私には明瞭にモノを言うが、他人には曖昧な言葉を使う…昭和天皇が「総理大臣にしてはならぬ」と語った政治家【2025年9月BEST】

私には明瞭にモノを言うが、他人には曖昧な言葉を使う…昭和天皇が「総理大臣にしてはならぬ」と語った政治家【2025年9月BEST】

「どーも陸軍のものは常識が乏しい」

2025年9月に、プレジデントオンラインで反響の大きかった人気記事ベスト3をお送りします。歴史部門の第2位は――。 ▼第1位 だから徳川幕府は260年も続いた…徳川家康が3代将軍に「優秀な次男」ではなく「愚かな長男」家光を選んだワケ ▼第2位 私には明瞭にモノを言うが、他人には曖昧な言葉を使う…昭和天皇が「総理大臣にしてはならぬ」と語った政治家 ▼第3位 15歳で第1子誕生…53人という日本史上最多の「子だくさん将軍」11代家斉が幕府滅亡を早めたと言えるワケ 昭和天皇とはどんな人物だったのか。朝日新聞の北野隆一記者は「独白録を読むと、曖昧な事を嫌う性格だったことがわかる。それゆえ、昭和天皇が好ましく思っていなかった政治家がいた」という――。(第1回) ※本稿は、北野隆一『側近が見た昭和天皇』(幻冬舎新書)の一部を再編集したものです。

侍従長の日記にみる戦前期の昭和天皇の実像

侍従長となった百武三郎の日記に戻る。

百武は海軍時代から日記をつけていたとみられるが、このうち東京大学には侍従長に就任する1936(昭和11)年以降のものが寄託され、閲覧可能となっている。以下、日記の記述をもとに昭和戦前期の昭和天皇や宮中の動きをたどる。

日記によると百武は、36年12月4日には戦後に首相となる吉田茂駐英大使からの情報を天皇に伝えた。「英皇帝[エドワード八世]はシンプソン夫人との結婚に固執せらるため、内閣と正面衝突し一般憂色[憂えている様子が]あり」と。4日の「昭和天皇実録」には以下のように書かれている。

侍従長百武三郎に対し、新聞報道されている英国皇帝エドワード八世に関する件につき、外務省とよく連絡をとり報告するよう命じられる。後刻、侍従長より、本日英国駐箚ちゅうさつ特命全権大使によりもたらされた情報として、同皇帝が米国人ウォリス・シンプソンとの御結婚に固執のため内閣と衝突状態にある旨の言上を受けられる。

詳細を見る

この記事を読んだあなたにおすすめ

画像

https://style-cp.kidsna.com/advertisement

2025.10.17

ニュースカテゴリの記事

KIDSNA STYLE 動画プロモーションバナー
【天才の育て方】#25 古里愛~夢はグラミー賞。名門バークリー音楽大学に合格した、13歳のジャズピアニスト

天才の育て方

この連載を見る
メディアにも多数出演する現役東大生や人工知能の若手プロフェッショナル、アプリ開発やゲームクリエイターなど多方面で活躍する若手や両親へ天才のルーツや親子のコミュニケーションについてインタビュー。子どもの成長を伸ばすヒントや子育ての合間に楽しめるコンテンツです。