【天才の育て方】#25 古里愛~夢はグラミー賞。名門バークリー音楽大学に合格した、13歳のジャズピアニスト

【天才の育て方】#25 古里愛~夢はグラミー賞。名門バークリー音楽大学に合格した、13歳のジャズピアニスト

KIDSNA STYLEの連載企画『天才の育て方』。#25は、アメリカの高校卒業認定資格を取得し、世界史上最年少の13歳で名門バークリー音楽大学の大学生となった古里愛さん。持って生まれたピアノの才能におごらずに、並外れた努力を積み重ねる、愛さんのルーツや背景を、母親の智子さんにもお話をお伺いしながら紐解いていく。

「コロナ禍でピアノを練習できる時間が増え、成長スピードを実感していたのに、日常に戻るのがもったいないと感じた」

「自由に自分らしく演奏するというのは難しいことでもあり、ジャズの一番の魅力でもある」

「分断された世界をつなげる橋のような存在の音楽家になりたい」

こう語るのは、世界最年少で名門バークリー音楽大学の大学生となった現在13歳の古里愛さん(以下、愛さん)。

3歳でピアノを弾き始めた愛さんは、8歳のときクラシックのピアノコンクールで東京都の小学生代表の座をつかみ、その後9歳にしてジャズの道を志す。

ジャズをもっと本格的に学びたいと、名門バークリー音楽大学への入学を目指し、一日12時間以上勉強の末、アメリカの高校卒業認定資格を13歳で取得。そして同大学に合格、世界史上最年少の学生となった。生まれ持った才能だけではなく、自分の目指すものに対して並外れた努力を重ねる愛さん。お母さまの智子さんにもインタビューに同席いただき、愛さんの活躍の裏側を聞いた。


人間はピアノが弾けるものだと思っていた

ーーピアノを始めたきっかけを教えてください。

愛さん:母がピアノバーを経営しているので、小さい頃から、毎日のようにミュージシャンの演奏を聞いて育ちました。そのせいか、当時人間は誰でもピアノが弾けるものだと思っていて(笑)。すごくやりたくて始めたというよりは、それが当然だと思って始めたような感じです。


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※写真提供:お母さま

母:生まれ育った環境が特殊だと気が付いたのが、小学1〜2年生頃だったようです。その話をされたのはもっと大きくなってからだったのですが、後から知って私もびっくりしました(笑)。

愛さん:私が5〜6歳の頃だったと思うのですが、バーで行われたイベントを今でもよく覚えています。それは、常連のミュージシャンの方々がくじを引いて、名前が呼ばれた人が数人で即興の演奏をするイベントでした。いろいろなジャンルの方が混ざりあって即興で音楽が作られていく様子が、子どもながらにとても楽しかったことが心に残っています。

ーー愛さんの原点となっているんですね。ピアノは最初から上手だったのでしょうか?

母:3歳で音楽教室に通い始めましたが、最初からすごく上手で、こんなに小さな手でよくできるなと感心しました。きっと指が長かったこともあるし、褒められるのが好きで頑張り屋な性格が才能を伸ばしたのかなと思います。小さい頃から大人が集まる場にいつもいたので、褒めてくれる人が多い環境だったことも、愛にとってはよかったと思います。


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※写真提供:お母さま

明るく前向きで、嫌なことがあったり怒られたりしても1秒後には笑っているような性格は今も昔も変わっていなくて。精神的に強い人間だと思いますね。

ーー最初からジャズを弾いていたのでしょうか?

愛さん:いえ、最初はクラシックをやっていて、9歳のときにジャズを始めました。きっかけはコロナ禍で学校が休校になったことで、家でピアノを練習する時間が増えたんです。そのときに、それ以前よりも自分の成長スピードが加速している気がして。たくさん練習してここまで上達したのに、日常が戻ってしまったらもったいないと思ってしまいました。

そこで、もっと本格的にピアノを勉強したいとお母さんに相談しました。母は昔通っていた専門学校である国立音楽院のジャズの先生なら紹介できると言ってくれて。国立音楽院の初等部に入ったのが、ジャズをはじめたきっかけです。


13歳でアメリカの音大生になるまでの道のり

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※写真提供:お母さま

ーー現在、13歳でありながらアメリカの名門バークリー音楽大学1年生である愛さん。進学の経緯を教えてください。

愛さん:国立音楽院でジャズを学んでいるときに、バークリー音楽大学卒の先生が「そんなに弾けるならバークリーに行ったらいいんじゃない?」と言ってくれたことが、バークリーを視野に入れたきっかけです。その後、バークリーのサマーキャンプに参加し、教授の方々や周りの生徒の音楽に対する姿勢に感動して、一日も早くここに入りたいと感じました。

ーー飛び級でアメリカの大学に入るにはものすごい苦労があったと思いますが、どのような道のりだったのでしょうか?

愛さん:大学入学にはアメリカの高校卒業資格が必要だったので、そのための勉強を必死でしました。約2年間、毎日12時間くらい勉強をして、高校3年生までの勉強を終えました。私は2歳~8歳頃までインターナショナルスクールに通っていたので英会話はできたのですが、文法や語彙は苦手だったし、それ以外の科目は好きでも得意でもないので大変でしたね。

ですが、これが終わったらレベルの高い音楽を学べるというモチベーションで、何とか乗り越えることができました。

ーー憧れのバークリー音楽大学に入学されて3カ月くらいだと思いますが、学校生活はどうですか?

愛さん:毎日自分の夢に近付いている気がしています。私の夢は、グラミー賞を受賞することなのですが、バークリーの先生はグラミー賞を受賞している方も多く、そういった方々に教えていただいているので、毎日が刺激的です。


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また、周りの同級生のほとんどは18歳ですが、年の差を感じることは殆どありません。みんなお互いの音楽が好きなので、尊敬し合える友だちです。


理論を学び、理論を壊す

ーージャズといえば、即興のイメージがありますが、頭のなかではどのように曲を構成しているのでしょうか?

愛さん:練習のときは、ジャズのスケールやコードの理論を多少考えながら弾いています。一方で、本番では理論は一切考えないようにして、ただ楽しむことを大事にしています。自分が楽しんでないとお客さんに楽しんでもらうことはできないと思うので。

とはいえ、この”理論を考えることをやめて演奏を楽しむ”ということが、実はとても難しいのです。

ジャズを始めた頃の私の演奏は、理論に基づきすぎていたので面白味がなかった。でも、プロの方の演奏を聞いていると、ジャズを知っているお客さんは「そうくるのか」みたいな感じで笑いが起きるんです。そのような瞬間を見て、理論では予想できない裏切りがジャズの面白さだと体感しました。

だから、勉強としてジャズの理論を学び、本番ではそれをいかに壊すかを今は考えています。プロの方々の演奏を聴いて理論の壊し方を学び、そこに自分の好みもプラスして、本番では自由に演奏すること。自由に自分らしく演奏するというのは難しいことでもあり、ジャズの一番の魅力でもあると思います。


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※写真提供:お母さま

ーー作曲もしている愛さん。どのように曲を思いつくのでしょうか?

愛さん:曲を作るときは、日常の生活のなかで「素敵だな」「面白いな」と感じたことを記憶しておいて、それをタイトルにして作曲を始めることが多いですね。友だちと話しているときや、ベッドに入ってもなかなか寝れないときに、ふと思いついたりします。

初めて作った曲は『More to come』という曲です。私自身がまだまだこれから成長するから見ていてほしいという想いを込めて、11歳のときに作りました。この曲もタイトルを先に決めて、そこからイメージして音楽にしています。


大人だって完璧な存在ではない

ーー愛さんは今まで何度も壁を乗り越えた経験があるかと思います。特に大変だったエピソードがあれば教えてください。

愛さん:小学2年生のときの出来事かなと。出たピアノコンクールの小学生部門で東京都代表の座をつかみ取ったのですが「次は全国大会で優勝するぞ!」というタイミングで、コロナによってコンクール自体がなくなってしまったのです。自分がいくら頑張っても思い通りにならないことだったので、とても悔しかった覚えが今でもあります。

ただ、コロナがジャズを始めたきっかけになったので、何があっても自分がいまできることを頑張っていたら、必ず道は拓かれると学びました。

母:愛が前を向いていられるようにその時々でできることを、家族で案を出し合うようにしています。ジャズの道が見つかったのも、みんなで案を出して相談した結果ですが、最終的な決断は愛自身にしてもらうことは大切にしています。

ーー愛さんはまだ13歳なのに、考え方が達観していますよね。

母:私たち親がしっかりしていないからかもしれません(笑)。子どもの頃って、大人はすごい存在だと思いがちですが、愛の場合は「大人だって未熟だし、完璧ではない」と理解していて、だからこそ「子どもも大人を支えるよ」という気持ちを持ってくれているように感じます。


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※写真提供:お母さま

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集中できる環境を用意してあげたい

ーー親子のコミュニケーションで大切にしていることを教えてください。

母:隠し事をせず、何かを決めるときはみんなで話し合うことです。特にアメリカでの暮らしは家族が同じ空間で過ごす時間が長いので、お互いにストレスを貯めこまないように意識しています。愛が音楽に前向きに取り組めるように、極力無駄なストレスを減らして、集中できる環境を用意することが私たちの役割かなと。

ーーお母さまのなかで教育方針はありますか?

母:うーん……。そう聞かれるとなかなか思いつかないですね……。

愛さん:私がすごく母に感謝しているのは、いつでも決めつけないで話してくれること。何かアドバイスをしてくれるときも「絶対こうしたほうがいい」みたいな断定的な言い方はしなくて、「~かもしれないね」と言ってくれます。意見はくれるけれど、ちゃんと私に考えさせてくれて、最終判断を委ねてくれるところがとてもありがたいです。

母:それは単に私に自信がないだけなんです。新しい曲を聞かせてもらうときも、「もう少しこんな感じのほうがお母さんは好きだけど、でもどちらもいいんじゃない?」と、問いかけるような言い方をすることが多いかもしれません。

子どもって、よくも悪くも無限大の可能性を持っている存在ですよね。その可能性がどんなふうに人生を切り開いていくのかは全くわからない。その過程を間近で楽しませてもらえることが、親の醍醐味だと思っています。大きなことにどんどん挑戦していく娘を間近で見られることが、とても楽しいです。


天才に聞く天才

ーー愛さんにお聞きします。愛さんが思う「天才」とはどんな人でしょうか。

愛さん:私はアゲハ蝶を育てていたことがあって、そのなかでアゲハ蝶には不思議な力があると感じていました。それを実際に科学的に証明したのが、長井丈くんという10歳の子。普通の人は自分が興味を持ったことを面白いと感じるだけで、そこで終わってしまう。でも、その子はすごい労力と時間をかけて、大人でも誰も成し遂げられなかったことを証明したんです。

そう考えると、諦めないというのが天才のひとつの特徴なのかなと思います。だから私も、困難なときも絶対に諦めないということは、常に心がけている部分です。


夢は世界中に橋をかけるような音楽家

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ーー愛さんの目標を教えてください。

愛さん:繰り返しになってしまいますが、2~3年以内にグラミー賞を取ることと、それと同時に、誰も作ったことがないような音楽を作るという夢もあります。

そして、世界中の人をつなげられるような音楽家になりたいです。音楽には国や人種、分断されているさまざまなものの橋渡しになるような、全てをつなげる力があると思います。私はそんな音楽の力を、最大限に発揮できる人になりたいと思います。


編集後記

インタビュー中に愛さんが紡ぐ言葉は音楽のように心地がよく、また何事もごまかさずに真摯に向き合ってきたであろう芯の強さが伺えた。

また、ニコニコと微笑みながら楽しそうに愛さんの話をするお母さまを見ていると、愛さんが夢に向かって邁進できるのは、絶対的に安心できる家族という居場所があるからではないかと感じた。

愛さんはその才能と凡人にはできないような努力で、ますます広い世界に羽ばたいていくことだろう。「音楽で世界をつなげたい」と語る愛さんの今後の活躍から目が離せない。


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<取材・撮影・執筆> KIDSNA編集部

天才はどう育ったのか?幼少期〜現在までの育ちを解明

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<連載企画>天才の育て方 バックナンバー

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