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親だけが子どもの責任者ではない。シェアで得られた安心感【拡張家族Cift】
ワンオペ育児に産後うつ。家族が密室だからこそ起こる問題を解決するカギが渋谷にある?「拡張家族」をキーワードに社会実験を行うCift(シフト)の連続インタビュー企画。第二回目は、Cift発足初期に子どもと一緒に入居し「子育てをプロジェクト化した」と語る神田(平本)沙織さんに、Ciftに入るまでの経緯と育児にメンバーを巻き込むコツを聞いた。
前回は、石山アンジュさんにCiftが実践する「拡張家族」について伺いました。
今回はCift発足初期に入居し、メンバーを自ら巻き込んで「子育てをプロジェクト化した」と語る神田(平本)沙織さんにお話を伺います。
自営業には産休も育休もない
――Ciftに入った理由を教えていただけますか?
神田さん:一番の理由は、「ワンオペ育児を全力で回避したかったから」ですね。
2015年5月に夫婦で起業したのですが、その年の10月に妊娠がわかって、翌年に第一子を出産しました。でも実のところ、起業1年目での妊娠は想定外で。
会社員から自営業になったとたん子どもができて、しかも妊娠や出産にまつわる知識がまったくなくて、被雇用者である会社員なら得られる権利が自営業にはないこともその時に初めて知りました。
たとえば、産休や育休、所得の保障がなく、健康保険や年金の免除もない。妊娠した途端に自分が社会問題の当事者になって、とても戸惑いました。
出産後は当時住んでいた港区で待機児童問題にも直面して。夫は同じ会社の経営者なので、働いてもらわないと収入が得られない。月によってはベビーシッター代に30〜40万円もかけながら仕事を続けようとしたのですが、それでも妊娠前のような柔軟な挑戦はできません。
母としても、経営者としても思い通りにいかないことが多く、産後うつ、アイデンティティロスのような状態に陥ってしまいました。
――そのような状態からどうやってCiftのプロジェクトを知ったのですか?
神田さん:発起人の藤代(健介)くんは夫の友だちで、「クリエイターが集まるシェアハウスを渋谷に作りたい」という構想があることは知っていたのですが、最初はビジネス色が強い印象だったので自分には関係ないと思っていました。
ところが徐々に「家族のような共同体」を目指すというコンセプトが出てきたことで、少しずつ自分ごととして考えるようになって。
当時は夫婦だけで子どもを育てながら働くことに限界を感じていたし、子育ての当事者である私を通して、Ciftのメンバーに子育てにかかわってもらったり、子育てにまつわる現実を知ってもらったりすることがゆくゆくは社会を変えるきっかけになるかも、とCiftに住みたいと思うようになりました。
そのことを夫婦で話し合った結果、私と当時1歳になる直前だった息子とふたりでCiftに入居することになり、そこからはオフィスと、夫と暮らす自宅、Ciftの3拠点を行き来する日々が始まりました。
母親に対する世間の厳しい視線を遮断してくれた
――入居した時点で、ほかにも子ども連れの方はいましたか?
神田さん:いえ、当時子ども連れは私だけでした。ただ、子育て経験がある方はいて、一緒に子どもを見てくれることはありました。
たとえ子ども連れの人がいないとしても、「人がいない家には帰りたくない」という思いが強かったんです。
いまはSNSがあるし、匿名でママたちとつながれるサイトもありますよね。それでもやっぱり、目の前に人がいる安心感は絶大だった。
本当に些細なことですが、Ciftのリビングで子どもとご飯を食べているときに気遣ってくれたり、逆に私がお味噌汁をたくさん作ったからおすそ分けしたり、そういう何気ないやりとりに救われました。
つまりは、私と子どもがここにいることを知ってくれて、見守ってくれる人が身近にいること自体に大きな安心を感じたのだと思います。
――たしかに、何気ない会話ができるだけでも気持ちが和みますよね。子どもが小さいと、何かと孤独を感じやすいですし。
神田さん:そうですね。自宅で夫の帰りを待ちながらワンオペで子育てしていたときは、極端に言えば「玄関の扉の外はみんな敵」みたいな意識があったんです。ベビーカーで電車に乗っている最中にも、暴言を吐かれたり嫌がらせされたりして。
物理的にも心理的にも、自分と子どもがむき出しの状態で社会に晒されている感覚でした。「敵だらけの外界から子どもを守らなきゃ」と気を張って、孤立感やプレッシャーに押しつぶされそうで。
だけどCiftに入ってからは、玄関を開けた先にも自分や子どもを知ってくれているコミュニティがあったので、内と外のあいだのクッションのような存在になってくれた。そのことが救いになりました。
自分の接する世界が内と外の両極だけだときついけど、Ciftがその中間で防御せずにいられる場所だったからこそ、少しずつ社会復帰できたと思っています。
子どもができても急に育児のプロになれるわけじゃない
――Ciftがあったから、産後うつやアイデンティティロスの状態から回復できたのですね。でも不思議なのは、なぜCiftのメンバーに対しては「敵」とみなさずに信頼できたのかという点です。特に、子どもにかんしては自分のこと以上に神経質になってしまう場合もあるじゃないですか。そこを寛容に保つにはコツがいるのかなと思ったのですが……。
神田さん:私の場合は、子育てにまつわるハードルを限界まで下げて、神経質にならないよう心がけました。かかわり方はどんなかたちでもいいし、死ななければいい。そのおかげでいろんな人にかかわってもらう余白が生まれたんだと思います。
なぜそういう考え方ができたかというと、私自身がもともと子どもや育児に関心があったわけでもなく、スキルも知識もなかったからです。
子どもを産んだらママにはなれても、突然子育てのプロになれるわけではないですよね。子どもが泣き止まないときどうすればいいか、どんなものをどうやって食べさせるか、そういうひとつひとつの知識が急にインストールされるわけではないので。
神田さん:だから、私が子どもの保護者であることに変わりはないけど、子育ての知識や経験のレベルに関して言えば、未経験で子どもを持った私と、未経験の他人に大きな差はないと思ったんです。
いくら保護者だからと言っても、私がやってうまくいかないことはたくさんあるし、それならそういう試行錯誤を含めて、いろんな人たちにかかわってもらったり見守ってもらったりしたほうがいいと思って。
それに、ご飯を作ったり、お風呂に入れたり、直接子どもにかかわることだけが育児ではなくて、オレンジジュースを買ってきてくれるのも育児のひとつですよね。マンションに住んでいたら、そういうおつかいを頼むのも一苦労なので。
だからCiftへの入居が決まったときに、子育てをみんなで立ち上げるプロジェクトにしようと思ったんです。
私が唯一の子どもの責任者だとしたら、私が作ったルールにみんなが従うことになるけど、そうはしないと。みんながフラットな状態で子どもにかかわってもらうことは、子どもを自分に所属した存在として捉えるんじゃなく、ひとりの人間として捉えた結果でもあります。
神田さん:子どもがしゃべれるようになってからは、何か判断が必要なときは私を通さず子どもに直接聞いてもらっていました。このことで私が四六時中気を抜かずに「ママ」をやる必要がなくなって、自分を取り戻せたんだと思います。
それに、子どもを育ててくれる人がたとえば10人いたとしたら、もしも私や夫が死んだとしても安心だと思って。
――そもそも育児にまつわる責任が、母親に偏りすぎていますよね。
神田さん:そう思います。子どもとふたりきりで家にいる状態だと、もし私が30分気絶したとしたら、それだけで子どもの命にかかわるかもしれない。それはあまりにもリスクが高いですよね。
――子育ての負担を分散するよう工夫されたことで、不安を取り除いたわけですね。一方、お子さんについても伺いたいです。自分の親、幼稚園や保育園の先生以外の大人と常日頃から接する環境は、お子さんにとってどんな影響がありましたか?
神田さん:子どもはいまのところほとんど人見知りしないですね。ひとりの事例なので、こういう環境で育てば必ず人見知りをしない子に育つ、と言えるわけではないのですが。
でも、知らない人が来たら後ろに隠れるとか、親を通して世界を見ることはほとんどないように感じます。子ども本人が社会のなかで、一対一でいろんな人と関係性を築いていく過程を私が見せてもらっていますね。
Ciftにいた3年間のうちに、のべ100人以上の人が子どもの隣に座って、口を拭いたり、アーンして食べさせてくれて。時には英語やスペイン語で話しかけられたりして。多様な他者と共に過ごすことがごく日常としてあるんでしょうね。初めての公園に行ったときでも、大人も子どもも関係なく「こんにちは」って入っていけるのは、すごいなと思いますね。
――Ciftでの子育ては、子ども連れに冷たい社会と格闘する鎧を脱げる場であり、子どもが社会を信用する礎になったことが伝わってきました。
現在神田さんは主な拠点を岐阜に移していますが、Ciftのメンバーとの交流やCiftの活動を発信し続けています。
次回は、Ciftに現在進行形でかかわりながら子育てをするおふたりに登場いただき、別の視点から「拡張家族」に迫ります。
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<取材・執筆・撮影>KIDSNA編集部