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すべての親が4タイプに分けられる。過保護、高圧、甘やかし、無関心…あなたはどれ?【出口保行】
KIDSNA STYLE編集部が選ぶ、子育てや教育に関する話題の最新書籍。今回は、『犯罪心理学者は見た危ない子育て』(SBクリエイティブ)をご紹介します。これまで1万人を超える非行少年・犯罪者を見てきた犯罪心理学者、出口保行氏が子育ての4つのタイプとそれぞれの危険な特徴を解説する一冊から抜粋してご紹介します。
すべての親が4タイプに分けられる
子どもに大きく影響を与える「親の養育態度」は、心理学的観点から、「過保護型」「高圧型」「甘やかし型」「無関心型」の4つに分けられるとされています。そしてこの4タイプには、非行少年の親のみならず、すべての親が当てはまります。
もちろん、各タイプがそのまま失敗というわけではないのですが、どのタイプであれ、行きすぎると「危ない子育て」となってしまいます。そのため、それぞれのタイプにひそむ危険や注意点を解説します。自身の子育てが行き過ぎないよう振り返るきっかけになれば幸いです。
「支配」×「保護」=過保護型
子どもを支配し保護する、過剰に積極的な養育態度。世話を焼きすぎて、子ども自身の成長の機会を奪ってしまう。子どもは依存的で、自主性がなく、打たれ弱くなる。
「支配」×「拒否」=高圧型
子どもを受け入れず、支配的に振る舞う養育態度。命令して、親の思う通りに行動させようとする。子どもは自主的に何かを達成しようという意欲に乏しく、自己肯定感が低くなる。
「服従」×「保護」=甘やかし型
子どもの顔色をうかがい、子どもの言いなりになる養育態度。必要な指導をせず、子どもに課題解決の機会を与えない。子どもは共感性が乏しく自己中心的に。
「服従」×「拒否」=無関心型
子どもに対して拒否的であり、主体的に子どもに関わらない養育態度。親自身の生活が中心であり、子どもへの関心が薄い。子どもは被害感や疎外感が強く、自己肯定感が低くなる。
この4象限のように、2種の方向性の養育態度が重なったケースがほとんどです。どの親も、この4象限のいずれかに属しています。ですのでここでは、「過保護型」「高圧型」「甘やかし型」「無関心型」の4象限を、いわゆる「子育ての4タイプ」として扱っていきます。
タイプが極端に偏ると問題が出る
少年鑑別所において多くの非行少年の心理分析を行う中で、非行の背景に親の養育態度の偏りを感じることは多くありました。
それでは、4タイプではどのタイプが多いのでしょうか?
一般的に思い浮かぶのは「無関心型」かもしれません。親が子どもに関心を持たず、子どもが何かしても「私は知らない。子どもが勝手にやったのだから、私のせいじゃない」という親は一定数います。
そのような態度では、子どもが責任について学ぶことができませんね。じゅうぶんな愛情を受けることもなく放置されれば、そりゃあグレるでしょうと言いたくなります。
しかし、そればかりではありません。それぞれのタイプに印象深いケースが多くありました。ですから答えは「どのタイプも多い」です。
養育態度がどちらの方向であっても、極端に偏れば問題が出るのです。
【過保護型】子どもの問題解決能力を奪う
過保護型の保護者は、子ども本人が望む以上に世話を焼き、手助けをしてしまいます。子どもが失敗しないように先回りして安全を確保したり、障害を取り除いたりします。その結果、子どもは、本来なら発達の過程で身につく問題解決能力が身につきません。
子どもを目の届くところに置いて、庇護・保護のもとで育てたいという気持ちから支配的になり、監視します。すでに子どもが自分で判断できる年齢になっていても、親が判断して援助をし続けます。子どもは依存的になり、自立心が育ちません。
子どもから援助を求められることに価値を見出す場合、共依存に陥りやすくなります。必要以上に依存しあい、なかなか抜け出ることができません。
子どもは我慢する経験や失敗に対処する経験が少なく、ストレスに弱くなります。失敗の原因を自分に求めることができず、他人や状況のせいにしがちになります。
失敗を責められると意気消沈して何もできなくなるばかりか、責める側に攻撃心を抱き、人間関係をシャットダウンしてしまうことがあります。
手を貸すことをやめられない…親の欲求不満耐性が低い可能性も
手を貸すことをぐっとこらえるというのも、大変なものです。忍耐力が必要です。見守るよりも、手助けしてしまったほうがラクだと感じることは山ほどあるに違いありません。
ここで知っておいてほしいのは、欲求不満耐性についてです。欲求不満耐性とは、物事が自分の思い通りにいかないときに、その欲求不満の状態に耐えうる力のことです。ただ耐えるだけではなく、対処する方法を考えて対応していく力も含まれます。ドイツの心理学者ローゼン・ツヴァイクによって提唱されました。
欲求不満耐性は、どう育てられたかが大きく影響します。欲求不満耐性が低ければ、思い通りにいかないことに対してうまく対処できず、攻撃的になったり、逃避的な行動に出たりしやすくなります。それが非行・犯罪として現れることもあります。
多くの人は子どもの頃、ほしいものを買ってもらえずに我慢したり、学校や習い事などに行きたくなかったり、テストの点数が思いのほか悪くて親にどう見せるか困ったり……といった大小の困難に対して、それをどう乗り越えるか考えた経験があると思います。これは実は大切なことです。
人生なんでも思い通りに行くわけがありません。とくに社会に出れば、さまざまな人と関わる中で譲歩したり、ときに我慢することも必要になります。
たとえば「仕事の成果が出ない」「そもそもやりたい仕事ではない」と欲求不満状態になったとき、それをどう解決するか。欲求不満耐性が高ければ、「もう少し頑張って続けてみよう」とか「自分のやりたい仕事を見つけて、一から出直してみよう」などと健全な対処法を考えることができるでしょう。
子どもの頃から、小さな我慢や、それに対処する経験をしてきたことで欲求不満耐性が高まっていくのです。
過保護型の親は、親自身の欲求不満耐性が低いとも考えられます。手助けしたい欲求を抑えて、それに対処しなければなりません。これもトレーニングです。少しずつ我慢して見守ることを繰り返して、親自身の欲求不満耐性を高めていくことです。
子どもと自分の問題を正しく認識する
私が見てきた過保護型の保護者の中には、過度に自罰的な人が多くいました。子どもに何か困ったことがあると、何でも自分のせいだと考えてしまうのです。
助けてあげられなかった自分が悪い、希望を叶えてあげられなかった自分が悪い。子どものためにあれこれやってあげながらも、常に罪悪感を持っているような状態です。何でもやってあげないと気が済まず、「自分でやりなさい」と言うことができないのです。
「これはお子さんの宿題であって、あなたの宿題ではないですよね?」
非行少年の親にそう話したことは何度もあります。
「でも、私がやってあげないとできないから……。できないのは私のせいだから……」
不要な罪悪感に支配され、問題が正しく認識できていないと言えます。必要以上に自罰的であることは、子どもにいい影響を及ぼしません。
【高圧型】子どもが指示待ち状態になる
高圧型の親は子どもに対して支配的で、親の言う通りにさせようとします。何かと束縛し、些細なことにも干渉します。従わない場合には罰を与えることが多く、「〇〇しなければ、こんなに大変なことになる」といった恐怖心をあおるのもその一例です。
学歴や就職先など、社会的評価につながる部分に関してはとくに干渉が強くなることが多いです。世間体を気にするのです。また、親自身が引け目に思っていることを子どもに投影し、補償しようとします。
子どもは親の顔色をうかがうことが常となり、自主的・積極的に物事に取り組もうとする意欲が育ちません。失敗したときは、「そもそも自分の判断ではない」と考えるので、他罰的になります。自分の存在を認められていないという思いが強く、自己肯定感が低いのも特徴です。
指示待ち人間が陥りやすい闇バイト
「~しなさい」と命令して人を動かすのはラクです。
子どもに対して「~しなかったら鬼が来るよ」「~できなければ食事抜きだよ」などと恐怖を与えてやらせるのは、簡単です。しかし、それでは子ども自身の主体性が育まれません。自主的に判断して動くことができない子になってしまいます。
主体性が低ければ、社会でやっていくのは難しいと言わざるを得ません。いまの時代、いわゆる「指示待ち人間」を歓迎する職場はまずありません。
闇バイトで捕まる非行少年たちは、多くは自立が難しい子です。普通のバイトがつとまらず、現状を打開するような策を考えることもできません。指示通りに動くことはできるし、ある意味真面目なのですが、それだけでは社会生活ができないのです。
大切なのは「やってみたい気持ち」を育むこと
高圧的な子育てをすると、子どもの「失敗回避動機(失敗を回避したいという後ろ向きな気持ち)」が強くなります。親の言う通りに物事を行わなかったときの罰をおそれて、行動することが普通になっているからです。
また、親の要求が過度であるほど失敗する確率が高くなり、成功体験を積むことができません。ますます「自分にはできない」という気持ちが強くなります。
失敗しても、それを前向きにとらえることができればいいのですが、罰が与えられるような環境ではそれどころではないでしょう。
「達成動機(目標を達成したいという前向きな気持ち)」を高めるには、内発的な動機付けが重要です。失敗したら罰を与えるのも、成功したら報酬を与えるのも外発的な動機付けです。「テストに合格したら、ほしいものを買ってあげる」というのもたまにはいいですが、達成動機は高まりません。
本人の好奇心を満たしたい気持ちや、成長したい欲求が内発的な動機付けにあたります。「やってみたい気持ち」が何より大事なのです。
【甘やかし型】子どもの社会性が育まれない
甘やかし型の親は、子どもの顔色をうかがい、子どもの言いなりになるのが特徴です。子どもがほしいものをほしいだけ与えたり、好きなことを好きなだけさせたりし、我慢させることをしません。
甘やかし型の養育態度で育てられた子は、何でも自分の言う通りになると思い、自己中心的になります。共感性が乏しく、他人の目線で物事を考えることが苦手です。
思い通りにいかないと人を責めたり、乱暴な態度をとったりすることが多くなります。自ら状況判断する必要がなく育っているため、空気の読み方がわからず、浮いてしまいやすくなります。
子どもの将来を考えずに要求に応じる
「甘やかし型」と「過保護型」は似ています。
どちらも、子どもは欲求不満耐性が低くなり、他罰的になります。親が子どもから依存されることに存在意義を見出す場合、共依存となって抜け出しにくいのも共通しています。
あらためて両者の違いを見てみると、ポイントは親の支配があるかどうかです。親が先回りして問題解決にあたるのが「過保護型」、子どもの要求のままに何でもしてあげるのが「甘やかし型」です。
結果として、どちらも過保護に見えますし、甘やかしているのは同じです。ただ、「甘やかし型」は子どもの将来を考えていません。「過保護型」も、正しく考えられているとは言えないのですが、少なくとも子どもの将来を心配して保護しようとしています。
一方、「甘やかし型」は、その時々で子どもの要求に刹那的に応えることの連続。そこが大きく違うところです。
子どもをついつい甘やかしてしまう人は、「これは子どもの将来にとってよいことだろうか?」と考えてみてください。要求に応えなければ、その場では子どもが泣いたり怒ったりするかもしれませんが、我慢することも大事です。
そもそも子どもは長期的に考えて判断することが苦手です。今に集中しているのです。この先どうなるかまでは考えが及んでいません。長期的スパンで考えることができる大人が、助言しながら一緒に考えることが必要なのです。
気持ちを言葉で伝えられるよう促す
甘やかされて育った子は、「自分の思考や感情が相手に伝わっている」という思い込みが強くなります。これは認知バイアスの1つで、「透明性の錯覚」と言います。
とくに身近な人に対して「言わなくてもわかっているだろう」と思い込んでしまい、「なぜ、わかってくれないのか?」とイラッとするというのは多くの人が経験していることでしょう。
「疲れているのをわかっているはずなのに、なぜ家事を手伝ってくれないのか?」
「こうしてほしいと思っているのに、なぜやってくれないのか?」
伝えてもいないのに、相手がわかっていると思い込んでいるのです。そのほか、噓や隠し事が実際以上に相手にバレていると感じたり、相手が知らない知識であっても共有できていると思ったりするのも「透明性の錯覚」の働きです。
誰もが陥ることのあるバイアスですが、「透明性の錯覚」が強いとコミュニケーションに支障が出るのがおわかりでしょう。本当はもっと言葉で伝えるべきところをえないままに「なぜわからないのか」と責めたり嘆いたりすることで、周囲の人には「難しい子」「扱いにくい子」と思われます。
顔色をうかがって機嫌をとってくれる家族なら問題なくても、社会適応は難しい。学校や職場で浮きやすくなります。
子どもがこのバイアスに囚われないためには、きちんと言葉で伝えるよう促すことです。
たとえば、目玉焼きを目の前に、怒った顔をしている子に「ごめん、醬油がなかった?はい、どうぞ」と渡してあげるのではなく、「どうしたの?」と聞いて、醬油を取ってほしいという気持ちを言葉にさせます。
子どもをよく観察している親は、言わなくても子どもの気持ちがわかってしまうと思いますが、きちんと伝えさせることも大事なのです。
【無関心型】対人トラブルを起こしやすい子になる
無関心型の親は、子どもへの関心が薄く、親自身の生活を中心に考えています。衣食住を保証していれば親の責務を果たしていると考えていますが、根底に愛情が不足しています。
物理的には問題なく生活ができていても、子どもは愛情飢餓状態に陥ります。被害感や疎外感が強く、自分を大切だと思えなくなります。
無関心型の親に育てられた子は、しつけをきちんと受けていないことも多く、集団行動が苦手です。コミュニケーション能力に乏しく、対人トラブルを起こすこともよくあります。
家庭の外に自分の居場所を求め、それが非行につながるケースもあります。
「子どもに迷惑をかけられた」という感覚の親
「私たちはじゅうぶんなことをしてきたのに、子どもが勝手に悪いことをした」
無関心型の親は、子どもに迷惑をかけられたとばかりにこう言います。
問題が起きたのは、子ども自身に原因がある。性格や価値観など子どもの内面に問題があるか、能力が劣っているのが原因なのだと考え、自分に原因があるとは思っていません。
これは「行為者-観察者バイアス」の一種です。私たちは、他人の行動はその人の内的な特性に要因があり、自分の行動は環境など外的な状況に要因があると考える傾向があります。
「子どもがこういう性格だから問題を起こした。私が見てあげられなかったのは仕事で忙しかったから仕方なかった」
ついこんなふうに考えてしまいます。しかし、冷静に考えればおかしいですね。他人の行動も自分の行動も、内的な特性と外的な状況の両方が影響しているはずです。
「行為者-観察者バイアス」が強いと、子どもの非行や問題行動に対して親の内省が深まりません。世間体を気にして反省しているように見せることはありますが、本当に自分と向き合っていない場合、なかなか問題は解決しないのです。
「放置」と「放任」の違いは?
「うちは放任主義なので、子どもを自由にしています」という人もいます。
ここで「放置」と「放任」の違いを確認しておきましょう。大事な問題です。「放置」と「放任」、言葉は似ていますが、意味はまったく異なります。「放任」には、前提に信頼があります。子どもを信じて、子どもの自主性に任せる養育方針が放任主義です。
放任主義の子育てをするためには、その前段階として安全に関わる事項や社会規範をしっかり教えることが必要です。社会生活を営むうえで最低限必要なルールが指導されていなければならないのです。
こうした基礎があって、子どもを信用して自主性に任せることは、とてもよいことです。子どもの成長を大きく促します。安心してさまざまなチャレンジをすることができるからです。
一方の「放置」は、子どもに無関心でほったらかしていることです。親としてするべき指導をせず、自分のことに集中している状態です。社会のルール、常識、言葉遣い、マナーなどを教えないので、子どもは浮いてしまい、社会適応ができません。
学校に行って先生や友だちに会っても挨拶をすることができず、先生に自分の言いたいことを一方的にタメ口で話しているとして、親が「自主性に任せよう」と何も指導しなければ、その子はいずれ困ったことになるでしょう。
「放任主義」「子どもの自主性に任せている」と言う人は、そのベースがちゃんとあるかどうかを振り返ることも大事です。放任という言葉を、親の忙しさの言い訳にしていないか、とも自問してみましょう。