子どもの尊重が大切だと知ってるけど…ベンチャー企業社長が子どもに「話してみたこと」
KIDSNA STYLE編集部が選ぶ、子育てや教育に関する話題の最新書籍。今回は、『だから声かけ、話し合う』(東洋館出版社)を一部抜粋・再構成してご紹介します。ユニークな事業と働き方が注目を集める、ソウ・エクスペリエンス株式会社代表取締役社長であり、3児の父である西村琢氏が、「肩の力を抜いて、子どもと楽しく暮らすこと」をテーマに書いた一冊です。後編では、西村氏が「子どもに話してみたこと」を抜粋して紹介します。
前編記事はこちら▽▼▽
「話してみた」こと
それを「わだかまり」と言うのだよ
早いうちにわだかまり(という言葉)を教えたのは、けんかを再燃させないためというのもありますが、もう1つ理由があります。子どもが自分の中に抱く違和感に対して、自覚的で、敏感であってほしいと思うからです。
学校での交友関係。職場の上司や同僚との関係。もしくは仕事そのもの。それがつらかったり違和感があったりすれば、本来、いつやめても良いわけです。違和感があれば、すぐに立ち去る。
常識が身につきはじめる小学生は「逃げてもいい」「逃げられる」ことを知らない可能性もあります。そこで日頃から違和感に対して敏感でいることを心がける。そのための第一歩としての、わだかまりというわけです。
そんなふうに逃げることを許していたら、忍耐力がなく、ワガママな人間になってしまうと思われるでしょうか。そうかもしれません。ですが「すこしワガママ」と「すこし我慢強い」のいずれかであれば、「すこしワガママ」くらいで良いというのが私の考えです。
自分の大切な子どもである君たちが、目の前で傷つけられるのは見たくない
たとえば兄弟げんかで殴り合いとか取っ組み合いが発生したとき、それは2つの意味で良い機会であると思います。
1つは暴力は絶対ダメであることを伝えられること。何も起きていない日常の中で暴力はダメだと伝えるよりも、暴力をふるってしまった心の痛み、そして暴力を受けた身体の痛みが残る中で伝えるほうが100倍くらい説得力があるのではないでしょうか。
もう1つ、暴力をともなう兄弟げんかは、子どもへの愛情を普段とは別の形で伝える良い機会であるようにも思います。自分の子どもが傷つけたり傷つけられたりする様子を目の当たりにするつらさ。それをけんかの当事者である子どもたちに切に訴えることは、きっと彼らの心に響くはずです。多少の演技を含めてオーバーに表現するのもありだと思います。
あなたを愛している。愛しているあなたが傷つけられるのを見るのはとてもつらい。大切なことは表現を変えつつ、何度も繰り返し伝えていくことだと私は思います。
ママとパパは別の人間だからね。違う意見をもつこともあるよ
「ママ(パパ)はこう言ってたよ」よく聞くセリフです。多くの場合、子どもが何かしらの提案をして、それに対して親の片方は許可したけれどもう片方がNOを突きつけたような場面です。今晩ゲームをしていいか、コーラを飲んでいいか、高学年になってくると、友達同士でどこまで出かけていいのか、といったトピックも出てきます。
この類の話が難しいのは、はじめはちょっとした問題だと思いきや、割と夫婦間の意見や考え方に溝があることが次第に明らかになるようなケースがあるからです。
そんなときは取りつくろうのはやめて、諦めてしまうのはどうでしょうか。夫婦はパートナーでありチームだけれども、あくまでそれぞれ別の人間。もちろんふたりがいつも別のことばかり言っていて子どもが混乱するのは避けたいですし、話し合いの場を設けたりお互いの立場を尊重したりして、歩み寄る様子をしっかり見せることも大切でしょう。
けれど、どこまで話し合っても意見が合わないこともありますし、別にそれは不思議なことではありません。むしろ、それぞれが大人として成熟しているからこその不一致。そんなときは、一旦、「ママとパパは別の人間だからね。違う意見をもつこともあるよ」とダブル・スタンダードでも構わないと思います。
こっち(ママかパパのことです)はOKだけどあっちはダメっぽいぞという、状況次第で変わるルール。それくらいがちょうど良いのではないでしょうか。
スマホは貸してあげているのだよ。それを忘れないように
子どもにいつからスマホを持たせるのか、これは夫婦のあいだで意見が分かれやすい問いではないでしょうか。我が家では長男には小学6年生の卒業間近にスマホを与えました。
持たせた当初から一貫して伝えているのは、これはあくまでも親の持ち物であり、携帯電話会社と契約しているのも親、それを君に貸しているのだよということです。君の視点から言うと、あくまでも借り物である以上、好き勝手なことはしないでほしい。そういったことを繰り返し、伝えています。
どんなアプリやどんな使い方ならいいのか、悪いのか。それはご家庭ごとの判断があるでしょう。しかし、どんな使い方をするにしても、あくまでも貸している/借りているものであるという前提で、そうである以上、妙な使い方をしていないか時たまチェックはするし、報告してもらうこともある。そういう関係性を明確にしておくことは大事なことではないかと思います。
ほどほどにしろよ
〝ボール遊び禁止〟と書かれている公園にほかの誰もいないとき、自分の子どもが友達とボール遊びをしている。これは許されるのでしょうか。それを見かけたときに、親としてはどう振る舞うべきでしょうか。
もちろん普遍的な答えはありませんが、私は「ほどほどにしろよ」と答えることが多いです。そして、子どもたちは近所のおじいさんから「ボールはダメだと書いてあるだろ」と叱られて、しょんぼりして帰ってくる。漫画のような話ではありますが、これは実際に以前、自宅周辺で起きた出来事です。
嘘をついたり物を盗んだり、暴力を振るったり、子どもといたずら、子どもと悪事は切り離すことができません(いや子どもだけでなく大人もですね)。だからといってすべてを未然に防ごうとすると、なぜそれがダメなのかを体感できない。それが難しいところです。
そこで、親としてこういう心構えをしておくのはいかがでしょう。第1段階として、守るべき大切なルールは常日頃から伝える。ルールを破らないように見張るのでなく、あくまでもルールを伝えるという点がポイントです。
どんなに伝えていても必ず違反したり、結果として痛い目にあったりするケースは出てくるので、そこからが第2段階。失敗や間違いの確認、必要であれば謝罪など後処理を済ませた上で、この経験を通じてひとつ賢くなったねと子どもに伝える。そして同じ過ちを起こさないよう願う。これだけです。
第1段階で予防しすぎるのは子どもとしてはうっとうしいはずですし、第2段階で「ほらみたことか」みたいな態度で接するのは、親の振る舞いとしては恥ずかしい。だとするとルールを伝える、破ってしまったらフォローする。このような小さな積み重ねが大切なのではないでしょうか。