こちらの記事も読まれています
【天才の育て方】#02 牛田智大〜史上最年少ピアニストができるまで〜[前編]
Profile
KIDSNA編集部の連載企画『天才の育て方』。 #02は12歳でプロデビューを果たした史上最年少の天才ピアニスト、牛田智大にインタビュー。幼少期から現在まで何を学び、何を感じ、何を想ってきたのか、そのルーツに迫る。
「ピアノは自分の一部であり、アイデンティティ」
「学生生活の記憶がない」
こう語るのは、12歳の若さで史上最年少ピアニストとしてCDデビューを果たし、現在もプロとして活動を続ける牛田智大さん(以下、牛田智大)。
生後間もなく上海へ転居し、幼少期を過ごす。小学校入学時には日本に戻り、国際的ジュニアコンクールで5年連続1位を受賞するなど若き天才としての実力を発揮。現在も世界的なピアノ指導者の元、勉強を続けている。
堂々とピアノを弾く姿からは自信に満ち溢れた印象を受けるが、実際に対面してみると、自身の思い出や内面的な話では言葉を慎重に選ぶ非常にシャイな一面が見られた。
彼にとって生活のほとんどの時間を捧げるほど夢中になるピアノとはどのような存在なのか。若き天才ピアニストができあがるまでを紐解いていく。
すべてにおいてピアノが軸
幼少期からコンクールで1位を受賞するなど、ピアニストとしての頭角を現していた彼は、どういった経緯でピアノに興味を持ち、続ける意思を固めたのだろうか。才能を目覚めさせたルーツを探る。
ピアノ=生活のすべて
ーー牛田さんにとってピアノとは?
「自分の感情や考えの中心にピアノがあります。生活になくてはならない存在ですね。ストレスが溜まるのもピアノのことで、発散するのもピアノです」
ーーストレスの原因も発散する方法もピアノ!他に発散や癒やしとなるものはないんですか?
「…ないですね。
しいて言うなら、猫と遊ぶぐらいですかね」
言葉数は少ないものの、彼のなかでピアノの存在がいかに大きいかが感じられる。12歳でデビューを果たした彼は、学校生活をどのように過ごしていたのだろうか。
ピアノ以外は完全にオフ
ーー小学校の頃からテレビ出演やコンクールなど露出が多かったと思いますが、学校生活はどう過ごしていましたか?
「そうですね…
学校生活の記憶は、正直ほとんどないんです。ピアノに向かっている時がオン、学校に行っている時がオフの状態だったので…」
ーー学校がオフの状態だと、学校生活で困ることもあったのでは?
「よく覚えていないのですが…
オンとオフがあることも個性として受け入れられていました」
ーーとはいえ、学校では大スター的存在だったのではないですか?
「それはないです。クラスメイトには自分だと認識されていませんでした。テレビに出ている時はハツラツと話すようにしていましたが、それが普段の様子とは全く違っていたのでしょうね(笑)」
まさに今、この取材中もきっと、ピアノから離れたオフの状態なのだろう。そのメリハリは彼が天才ピアニストへと成長していくうえで欠かせないものだったのかもしれない。
彼がこれほどまでにピアノに没頭するその原点は何だったのだろうか。
天才ができるまでのルーツ
すべての軸がピアノだという彼は、現在の実力に至るまで、どのような経緯を辿ってきたのだろうか。
ピアノとの出会いは0歳
ーーピアノに初めて触れた時のことは覚えていますか?
「僕は覚えていませんが、生まれてすぐ、と母から聞いています。家に電子ピアノがあったので、おもちゃ代わりに遊んでいたと。電子ピアノ特有の、同じ鍵盤からいろいろな音色が出ることをすごく面白がっていたそうです」
ーーその時感じた面白さが、現在の活躍に繋がっているのでしょうか。
「そうですね。コンサートなどでピアノを弾く時も、ひとつのピアノから意味をもった複数の音を出していくので、電子ピアノでの遊びは一つの原点になっていると思います」
感性の核はピアノ以外
ーー幼少期、ピアノ以外に習い事はしていましたか?
「サッカー、バレエ、お絵かき教室などいろいろ習い事をしていました。母が幼児教育を勉強していたこともあり、子どもに良いとされているものは全てやっていた、と聞いています」
ーー今だからこそ感じる役立っているものとは?
「リトミックは今でもすごく役立っていますね。母が取り寄せたリトミックのビデオを毎朝観ていて、『ドミソのポーズ!』『ドファラのポーズ!』など言いながらキャーキャー大騒ぎしていたそうです。楽しかったことはよく覚えているし、感性の核となる部分を身につける大きなきっかけになっていると思います。
演奏家にとって最も難しいのは、音が少ない部分を魅力的に演奏することです。音が多くテンポが速い技巧的な部分は練習すれば誰にでも弾けますが、音が少ない部分においては自分の中で『こういう音色を出したい』という明確なイメージを持ち、少ない音それぞれに意味を見出して音色やフレーズを作り出すことができないと、冗長で単調な音楽になってしまいます。
リトミックを毎日続けたことで和声感覚やフレーズ感覚、休符などで音がない、音が少ない部分にも意味を見出せる感性をつかめた。これが音色を自分でイメージし創造する力の核になっていると思います」
約束は9歳
「ピアノを続けるにはお金がかかるということもあり、9歳まで本気でやって、あとは中学受験の勉強を始める、というのが両親との約束でした。小学校時代は、机に中学受験のテキストが積み上げられていましたね(笑)」
ーーその「約束の9歳」になる年に、国際的ピアノコンクールで1位を受賞されたんですね。努力の成果が表れたわけですが、自分の育った環境についてどう感じていますか?
「両親としては、自分の人生の物語を自分で作ることができて、世の中に新しいものやストーリーを提案していける人になってほしいという思いがあったようです。だから、興味があるものを突き詰めさせようと。ピアノでは何時間でも遊んでいたから、好きなことだとすぐにわかったと言っていました。
両親は『やりたい』と一言言っただけで十分すぎる環境を整えてくれました。何かを目指すなら、小さい頃の方が取り組む環境を整えやすいと考えていたようです」
ーーピアノに向ける時間が必要な分、学校の勉強との両立は大変だったのでは?
「そこにおいても母はよく協力をしてくれました。幼稚園に入る前にピアニストになりたいと言った時は『ピアニストになったらサイン会があるから字の練習しよう』とか、『お客さんの数を数えるには算数ができなきゃね』と言われました。勉強にも意識を向けるきっかけを常に考えていてくれていたんだと思います」
親子ではなく、チーム
3歳からピアノを習い始めコンサートなどに出場するようになってからは、ピアノにおいては親子の関係性を超えて、チームとして本人、父、母、先生のそれぞれが役割を担い取り組んでいるようだ。
コンサートやコンクールに向かう時、どのように挑んでいるのだろうか。
「両親は僕の気持ちを応援したり引っ張るというよりも、先生とのレッスンスケジュールの調整や僕の身体や精神的なメンテナンスなど、コーディネーター的な役割を担ってくれています。
普段からコミュニケーションは常にとっていて、例えば、印象的な風景をみたら感想を話し合ったり、日常の出来事について感じたことを子どもの見方、親の見方、先生から見たらこうだね、というように、立場によって変わる考え方を共有することもあります」
ーー想像できないのですが、牛田さんにも思春期や反抗期はあったのですか?
「あまり言いたくないなぁ(笑)。まぁ、よくある反抗期的な時期はあったんじゃないですかね(笑)
ただそういう時期でもコミュニケーションを取らないとコンクールやコンサートの準備が滞ってしまうので、『ここで反抗すると今までの努力が無駄になってしまう』という考えを最優先していました」
ここでも、ピアノを第一に考え優先する姿勢が伺えた。彼自身の感情をも超えるピアノは、まさに「彼の一部」と言えそうだ。
後編では、熱く語ってくれたピアノへかける思いから、ピアノを弾き続けさらに上を目指してゆく理由を紐解いていく。
KIDSNA編集部