なぜ「子孫を増やすべき皇帝」が男色に溺れたのか…古代中国の宮廷でマッチョよりモテた男性の"条件"
世界史の授業では絶対に教えない「同性愛の実態」
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古代中国において、皇帝の至上命令は「子孫繁栄」だった。しかし、歴史の裏側を覗くと同性愛に溺れる皇帝も少なくなく、帝に愛される美少年には、ある共通点があったという。中国史の専門家2人が解説する――。 ※本稿は、中華耽美小説迷倶楽部『中華BL小説ガイドブック』(誠文堂新光社)の一部を再編集したものです。
なまめかしい白肌を持つ美男子を…
解説:早稲田大学文学学術院教授の柿沼陽平さん
中国古代の王族貴族は、性を問わずに恋愛をした。女性が女性を愛することも、男性が男性を愛することもあった。
子孫を残すことが父母に対する孝行であり、孝行なくしては生きていけぬ時代だったから、子どもは残しておいたほうがよいが、正妻を娶めとり、子をなす努力をかかさなければ、それ以外に恋愛対象がいてもあまり問題にならなかった。
むろん、妻との関係はギクシャクするわけだが……。
ところで、中国古代の美男子といえば、色白の美女のごとき男性を指すことが多かった。
たとえば、魏の明帝から「白粉を塗っている」と疑われるほどの「至白」の肌をもつ何晏かあん白玉とみまがうばかりの肌をもつ王衍おうえん。「凝脂ぎょうし」のごとき白肌と漆のごとき瞳ひとみをもつ杜乂とがいなどがいる。
また、魏晋時代に絶世の美男子として名を馳せた夏侯湛かこうたんと潘岳はんがくは、いつも仲よく連れ立って遊んでおり、「連璧」と評された。
「璧」とは玉器の一種だから、やはり彼らもなまめかしい白肌をしていたのであろう。
「私もすぐ捨てられる」と泣く美少年
男が選ぶ男もまた、色白の美男であることが多かった。君主のお相手として選ばれる美少年は「佼人こうじん」や「童どう」などと呼ばれ、とくに女性らしさを備えていたようだ。
実際に、戦国時代の魏の龍陽君は「天天ようようたる桃李とうりの花」と形容されており、モモやスモモの色鮮やかさに喩えられている。
龍陽君は仙女に比せられ、美女にため息をつかせるともいわれ、女性と競合するような形姿をしていたとみられる。
彼らの台詞もまた愛らしい(と同時に怖い)。龍陽君はあるとき、魏の恵王と釣りを楽しんでいた。魚を釣るたび、さきに釣った小魚を捨てる恵王に対して、龍陽君は「王はすぐ目移りなさる性格ゆえ、私もすぐ捨てられる」と泣いた。
そこで恵王は以後、ほかの美男子の採用を禁じたとか。表向きは龍陽君の愛らしさをしめす故事だが、もちろんその真意はライバルを蹴落とすことである。