【成田悠輔×社会】分からないことに親が口出しするのが有害
これからの未来を担う子どもの教育はどのような選択をし、見極めて実践していくことがよいのか。多くの情報や選択肢がある中で保護者たちは模索し続けています。そこで今回は、米イェール大学助教授で経済学者の成田悠輔氏が考える未来を見据えた「教育」と子どもたちを取り巻く「社会」についてお話を伺いました。
まず、単純に小学校ぐらいの成績と、大人になったときの年収の相関みたいなものを比較すれば、成績が高い子のほうが収入が高いというのはありますし、有名な学校に行った人とそうじゃない人のその後を比べたら、単純に成績が高い人の年収が高くなる傾向があると思うんです。
ただ、注意しなければいけないのは、それが本当に「成績が高いおかげで年収が高まってるのかどうかは分からない」という点です。
もしかしたら、単純に、家に恵まれている子たちは親のアドバイスももらえるから、成績が高い傾向があるのかもしれません。
コネもあるかもしれないので、いい感じの仕事につけて、収入が高いということもあるでしょう。
そうすると、成績が高まったおかげで年収が上がったのではなく、単純に「生まれが良かった」ということだけが別の形で顔を出しているだけかもしれません。
そういう意味では、成績と年収みたいなものは表面上は関係があると。
ただその間に、本当に深い因果関係とか、成績が高いからこそ収入が高まる、成績が高いからこそ、幸せな人生が送れるっていう関係があるのかどうかは、慎重に調べないとわかりません。
ーー世の中には学力には注力してこなかったけど、めちゃくちゃ稼いでる人もいっぱいいますもんね。
とくにメディアを見ていると変わった人の方が目立ちやすいから二重に危険なんですよね(笑)。
すごく変わった例ばかりが目に入るので、変わった例に基づいて、一般的な傾向を考えてしまうと大きく間違う可能性が高い。
さらに、国としての政策などを考える場合は、全体の平均的な傾向がすごく重要だと思うんですよね。
ただ、個々人を見れば、すごいばらつきがあるんで、結局平均的な傾向に従って正解を選んでいっても、最終的にはくじ引きを引いてるようなものではあります。
ですから、一般的な傾向はある程度参考にしつつ、あまり期待し過ぎない方が良いでしょう。
それよりも、多分若い子たちは、ちょっとした出会いや、ちょっとしたチャンスが降ってくると劇的に変わったりするじゃないですか。
全体的、平均的に何が正解なのかということと同じぐらい重要なのが、その正解をひっくり返してくれるチャンスや偶有性みたいなもので、そういう機会が世の中にはたくさん転がっています。
ーーやはり、正解がないことってすごく難しくて、たまたまテレビで見た誰かみたいに自分もなりたいと子どもから言われても、どう答えていいか分からなくなります。
ただ、成績と年収の話で考えると、確かに成績みたいなものを重視する理由もあるといえばあるんですよ。
将来的に長い目で見たときに、生涯賃金、あるいは全体として幸福な生活を送れたか、健康で寿命を全うできたか、そういうことが大事な指標になりますよね。
ところが、こういった指標が達成できているかどうかを調べようとすると、一生待たなければ分からないんです。
つまり、何か新しい教育政策を導入したり、新しい学校を導入したりしたときに、それが人生全体に対して与える影響を調べようとしても、あと100年待たなければ分からない。
なので、短期的に既に記録できる、観察できるものの中で、長い目で見たときのさまざまな幸せの指標と、そこそこ関係がありそうな不完全な指標を取ってくるしかないんです。
すると、各種ある指標の中でも、学力は比較的分かりやすくて、かつ、年収のような重要な指標と関連があることが分かっているので、とりあえずそこから出発しようという発想なんですよ。
結局、教育について考えても、本当に測りたいデータは測れないし、資源やお金はない。何をやっても不完全で、大体どの国でも教育制度にはみんな文句をつけてます。
だからこそ、あまり理想の教育や教育制度みたいなものを思い描きすぎないことが大事です。
教育、医療、福祉全般にいえることだと思いますが、「最適」を求めるより、全体で見ると駄目だが、相対的に駄目ではないやり方を選択する、妥協していくものなのかな。
ーー確かに、すごく期待して、入れ込んで、そこに一喜一憂するよりはいいですよね。
基本そんなうまくいかないものです。あと、教育に関しては「甘い誘惑は大抵落とし穴」くらいに考えておく。「これをやったらうまくいく」とか、「これに投資したらうまくいく」というタイプの殺し文句は、美味しそうに見える投資案件と同じなんですよ。
なにが重要かは、国や時代によって変わってくると思います。
学歴に関しては、現在のアメリカにおいて有名なエリート学校に行く子と、普通の学校に行く子で違いがでるのか、学歴の効果について研究をしたことがあります。
エリート学校に合格最低点で運よく入れた人たちと、ほとんど同じような成績なのに、運悪く落ちた人たちを比べることで、その人たちのその後に差が生まれたかどうかを検証しました。
結論から言うと、アメリカでは同じような成績の場合、有名な学校に行ってもそうで
ない学校に行っても、その後の進学先や収入にはあまり影響はないことが分かりました。つまり、学歴自体には効果はない。
もちろん、アメリカ以外に、たまたまデータがリッチだったという理由で、南米のチリ、北欧諸国、アフリカなどの国で研究がおこなわれていて、実際に学歴がすごく重要な役割を果たしてる場合も多いんです。
僕自身、日本の旧制高校の効果を測る研究もおこないました。
明治時代に旧制高校に入学した人たちが30年後、有名人や政治家、ノーベル賞受賞者になったり、セレブっぽい生き方をしたりしているかを調べた結果、多分に影響はありました。
そういう意味では、かつての日本では「学歴と関係があった」といえるかもしれませんが、現代日本においてはきちんと効果を測るのが難しく、あまり研究がないんです。
たとえば「東大に入ること」が、「その人たちの将来に本当にいい影響を与えているのかどうか」は未解決です。
ただ、「総合的に見たときの人生の幸せ度みたいなものにどれだけ影響があるか」は、さらに難しい問題ですよね。
成績や収入などに影響はなくても、学歴で自己満足したり自己卑下したりして心理的な幸福度が変わっている可能性はありますよね。そういうことを示した研究もあります。
でも「学歴が立派だろうがみすぼらしかろうが知ったことはない」と皆が強い心を持てれば、予言の自己成就のように関係なくなるわけですし、そのように社会が変わっていける可能性はあると思います。
まずは私たち自身、学歴、年齢、性別、経歴などを見て、人を値踏みするような生き方や考え方を少しずつ切り落とし、どんどん変えていくことが大切なのではないでしょうか。
だから僕も、テレビや新聞の人がやたら学歴を並べようとすると、軽蔑の空気を出すようにしています(笑)。
ーーとはいえ就職では履歴書や書類選考がまず最初にあり、絶対に見られます。そこが変わらない限り、ある程度気にするのは捨てきれませんよね。
たしかに「学歴なんて関係ない」と言い切られても、普通の生き方をしていく場合、選択肢の多くは変わってしまうので、実態としては間違っていますよね。
処世術としては、学歴なんてあればあるに越したことはないんですよ。ただ同時に、「処世術や戦略として学歴を持つかどうか」と、「それが大事だと思うかどうかは別」だと思うんです。
たまたま競争に失敗しても、そこにコンプレックスを感じなくても済むような心の状態をどう作り出すかが重要な気がします。
少し希望があるのは、学歴に限らず、あらゆるポジションにおいて、「出世したくない人が増えている」印象があること。
ーーたしかにそうですね。
今はコンプラ重視時代ですから、出世して管理者になればなるほど、無駄な責任とやりたくない仕事は増え、リスクも増えていくのに見返りは少ないですよね。
つまり、職歴といった世界においては、単純に分かりやすいヒエラルキーの上をどんどん目指すという価値観が壊れつつある。それと同じことが学歴についても起こせるはずです。
そのためには、学歴という軸で成功することが、いかに別の軸で呪いを作り出してしまうか、いかに退屈な生き方しかできなくなってしまうかといったことをみんなが認識できるといいですよね。
僕も東大出身ですが、知り合いを見ていると、すごく損をしてるなと思うシーンは多いです。
たとえば、東大に行ってしまうことで、霞が関の官僚や金融業界など、親や親戚たちから、何の文句も言われないようなキャリアパスが目の前にできてしまうんです。
20歳ぐらいの若者がこれを拒否する意志を持つのは困難で、深い動機もなく、「これが人がうらやむ道だ」という理由だけで入ってしまう場合がものすごく多いんです。
その結果、僕くらいの年齢になると、みんな人生の危機、アイデンティティクライシスに直面しています。「いわゆる優等生コースに乗ることの残念さ」みたいな部分が、みなさんに体感として伝わるといいのかもしれません。
ーー確かに身近にいないと分からないですよね。「東大生」というイメージのみで枠や形の方にとらわれる保護者はとても多いと思います。
ぶっちゃけ、霞が関の高級官僚みたいな職業って、やばいブラック企業に行くことと、実態としてそんなに変わらないです。だけど、それに価値があって、すごいことだとみんなが信じているから成立しているだけなんです。
そういった世界の実態がもう少し世の中に知られるようになったり、笑われたりするようなシーンが増えるといいな。
まず、基本的に分からないことにはあまり口出ししないこと。
同時に、中途半端に時流に乗ったアドバイスや誘導は、一見もっともらしくて、いちばん有害だと思います。
たとえば、すごく昭和的な価値観に則った「昔からみんなが知っている大企業に行け」というアドバイスは、明らかに時代遅れな価値観の押し付けと分かるから、抵抗しやすいし無視しやすいじゃないですか。
先日カフェで仕事をしながら隣のテーブルの主婦の方たちの会話に聞き耳を立てていたんですが、「最近はYouTubeがすごい。あれをやれば年収1億で、これからは子どもにそういう新しい職業をどんどん押していける親にならなくちゃいけない」と話していて、すごく危険だなと思いました。
5〜10年ぐらい前に始めていれば、今波に乗れていたかもしれませんが、みんなが参入し終わって、レッドオーシャンになったところに子どもや自分の部下を投げ込むのだけはやらないほうがいいですね。
働き方に関しては、ぶっちゃけどう変わっていくかはよく分かりませんが、一時的な潮流にあまり囚われず、長く変わらないものだけに注意し続けることが大事だと思います。
ーー今現在流行ってるものでも、この先ずっと続いて定着していくものなのか、一過性トレンドなのかの見極めは重要ですね。
流行りものに乗っかるなら、誰よりも早く波が来る前から乗らなければあまり意味がありません。
もう一つ大事だなと思うのは、働き方や職業も、すごく昔から歴史を通じて残ってきたものはそんな簡単に消えないということ。
たとえば、食事を作るシェフ、音楽家、ダンサーは、数千年前から存在する職能ですよね。千年単位で続いてきたものは、向こう10年20年で急に消える可能性はすごく低いと思います。
でも、最近現れた流行りものは一瞬で消える可能性がすごくあります。企業に勤めるサラリーマンという働き方だって、一見古いように見えて、歴史でいえば100年ないくらいのかなり新しい働き方ですよね。
ここ半世紀ぐらい一番支配的だった働き方が、いつまで支配的かは正直わかりません。みんながいろんな仕事を少しずつつまみ食いするような形が出てくる可能性は十分あり得るでしょうね。
職業選択における僕たちの悪い癖は、今周りにいる人たちのうち、多くの人がやっていることに流されがちだということ。
もし流されるなら、今周りにいる人たちではなく、歴史を通じて人類がやってきたさまざまな仕事の中で、ずっと残り続けてきたものを重視すべきです。
ブームは大抵の場合一時的な群衆行動の場合が多く、競争も激しくなりますが、歴史を通じて脈々と続いてきたものは、長い時間の試練に耐えうる、変わらない人の欲望みたいなものに通じている場合が多いです。
ーー成田さんのお話を聞いて、自分自身もかなり流されているなと感じました……。子どもには、物事を上辺だけで判断するのではなく、過去に何があったかまで見て判断することを教えていかないといけないですね。
一つ言えるのは、会社みたいなものの栄枯盛衰のスピードがすごく速くなっているということ。数年単位で、支配的な企業やサービスとかも一変してる感じですよね。
そうやって、覇者は変わり続けることを前提に生きていくしかないんです。
その観点で考えると、どんな職業や働き方がいいかを考えるよりも、むしろ「今の働き方は10年ごとくらいに大きく変わっていくものだ」ということを前提としながら、それに対応できる心構えをもつことのほうが重要かもしれません。
僕自身、ここ数年で勝手にリモートワークを始めたことで、二つの国で同時に働くことができています。
こんな働き方が可能になるとは5年前は思っていませんでしたが、コロナ禍で技術環境も変わり、世の中の価値観もガラっと変わりました。
ですから、あまり深い方針や、原則みたいなものは持ち過ぎず、その場その場で変わっていく時流をうまく使いながら生きていけばよいのではないでしょうか。
ーー変化に、自分がどう対応していくかも重要ですよね。
もしポリシーを持つのであれば、100年経っても変わらないような何かに対するポリシーでなければあまり意味がない。人間の欲望の中でも衣食住は何年たとうが根本的には変わらないだろうし。
接続ラグは長いより短い方がいい、モノの価格は高いよりは安い方がいいという価値観も、多分簡単には変わらないと思います。そういうレベルのすごく本能的な欲望に基づいた、不変のポリシーしか意味はないと思います。
結構みんな乗り越えてるんじゃないですか。
家庭内で絶縁状態になったり、家族が消えちゃったり、自殺されちゃったり、基本、誰もが家族関係で大きなトラブルを抱えてる場合がほとんどで、それがいつ来るか、どういった形でくるかだけの違いだと思います。
ただ、それが表に出ないだけ、言わないから、ないかのような気がして、「人生や家族って、そこそこスームズにいくことが普通」という間違った思い込みをみんな持ってるんじゃないですか。
多くの人は何かしらの地獄を抱えていて、その地獄を乗り越えつつも、そこそこ普通に生きていられている、ということが知られれば十分なんじゃないかなと。
だから、乗り越えるのに特別な強さとかはいらない。もうみんな乗り越えてるじゃないですか。
ーー円満な家庭で幸せに育った人からすると想像を絶するのではないでしょうか……。
表面上高学歴エリートに見える人でも、家族の問題を何かしら抱えている人が多い気はします。
人生、普通に働いて、稼いで、子どもを持って、家庭を築いて、家を持って、その両方を維持して、つつがなく40年、50年過ごすって、相当難易度の高いゲームだと思います。
体や心を壊すかもしれないし、会社が不祥事で潰れるかもしれないし、いろんなリスクにさらされて、基本的にトラブルが起きるのが普通です。
トラブルが起きてないのは、大体そのうちのどこかをバサッと切り落としてる人です。ホリエモンが「就職するな、結婚するな、子どもを持つな、家を持つな」とか言ってるじゃないですか(笑)。
リスク要因をガンガン切り落として自分のためだけに生きていけば、楽しく生きられる可能性は高まる。
だけど、いわゆる世の中にとって良いとされているような、社会の持続可能性を高めるような、生き方は個人にはすごい負荷を上げるのが普通です。
だから、時々壊れちゃうのは普通です。壊れたら壊れたで、掘っ立て小屋を立てながら、やり直していけばいい。人類はずっとそうやって生きてきたので。そういうものだっていうぐらい気楽な感じでいいんじゃないですかね。
ーー成田さんにそう言っていただけると、すごく説得力がありますし救われます。ありがとうございました。
▼成田さんのインタビュー動画はこちら
前編の成田悠輔的「教育論」についてはこちら
<取材・撮影・執筆>KIDSNA STYLE編集部