「先祖の墓参り=日本の伝統」は大間違い…江戸時代になるまで「遺体を埋めたら終了」だった民俗学的理由
墓を造るのは「偉い人たち」だけだった
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日本人はいつからお墓参りをするようになったのか。関西学院大学の島村恭則教授は「江戸時代よりも前、一般庶民は今のような墓を持たず、遺体は埋葬地に埋めてそれっきりというケースも少なくなかった。死者の霊は別の人間の霊魂として再生すると考えられていたからだ」という――。 ※本稿は、島村恭則『これからの時代を生き抜くための民俗学入門』(辰巳出版)の一部を再編集したものです。
遺骨の埋まっていない場所にお詣りするワケ
両墓制というお墓のあり方があります。これは、遺体を埋めるところ(埋葬地)と、お詣りするための墓(詣り墓)が離れて存在する、近畿地方を中心に分布しているお墓のあり方です。
なぜ、両者が離れているのでしょうか。詣り墓には、石塔が建てられています。この石塔の下には、遺体や遺骨はありません。それは、埋葬地に埋められています。そして、両墓制では、石塔のほうにはお詣りに行きますが、埋葬地のほうにはお詣りに行きません(例外的にお詣りに行く人もいますが、それはあくまで例外です)。
なぜ、行かないのか。埋葬地には、死のケガレ(穢れ)や、それが凝固した凶癘魂があって怖いからです。だから、石塔のほうだけにお詣りに行きます。
この石塔ですが、一般庶民が、死霊を祀るための装置の一つである「墓」として石塔を建てるようになったのは、およそ江戸時代に入る前後からとされています。そこから、今日のように、お墓といえば石塔をイメージするような状況が、次第に形成されていきました。石塔の歴史は、意外かもしれませんが、比較的新しいものなのです。
では、それまでは、どうだったのか。民俗学の研究成果を見てみると、一般庶民の間では、埋葬地に死体を埋めたらもう顧みることはなく、また石塔のような墓標に向かってお詣りするというようなことも行われていなかったのではないかといわれていることがわかります。