実は「投手が打席に立つ」のは日本だけ…世界では常識になった「指名打者制度」を無視し続ける日本球界の非常識
Profile
日本のプロ野球では、パ・リーグが攻撃時に投手に代わって打席に立つ攻撃専門の選手(指名打者)を認め、一方でセ・リーグは認めていない。指名打者(DH)制を認めるべきか、否か。ライターの広尾晃さんは「世界の潮流は指名打者(DH)を認める方向にある」という――。
指名打者制度が始まった“苦しい”事情
野球の指名打者(Designated Hitter=DH)は、1973年にMLBアメリカン・リーグ(以下ア・リーグ)が採用した。打者としては能力が劣る投手に代わって「指名された打者」が打席に立つというルールだ。
採用の動機は人気挽回。当時のア・リーグは12球団で、1970年の観客数が1208万5000人、71年は1186万9000人、72年は1143万8000人とじりじり減らしていた。72年の1試合当たりの観客数は1万2300人。スタジアムはガラガラだった。
「打撃が良いDHが打つことで、より得点が入りやすくなり、派手な打撃戦になる。お客も増えるだろう」
奇抜なアイデアを連発したことで知られるア・リーグ、アスレチックスの名物オーナーだったチャールズ・O・フィンリーなどが提唱し、導入された。一方、ナショナル・リーグ(以下ナ・リーグ)は導入しなかった。ナ・リーグの72年の観客動員は1553万人、1試合当たり1万6800人とまずまずお客が入っていた。
なにより、1871年まで源流をたどることができる老舗のナ・リーグにとって、1901年創設のア・リーグは新興のライバルであり、彼らの決めたことに従うのは抵抗感があったのだ。
DH制を導入した73年、ア・リーグの動員数は1343万4000人に増加した。しかしナ・リーグも1667万5000人と増加したから、効果のほどはよくわからなかった。
これ以後、ア・リーグはDH制を続け、ナ・リーグは導入しない時期が半世紀続いた。
今では考えられないパ・リーグの惨状
同時期、日本のプロ野球のパ・リーグも「お客が入らない」状況に苦しんでいた。NPBの場合、セ・パの観客動員の格差は、MLBよりも大きかった。
1973年の観客数を見ると、セ・リーグは765万1000人、1試合当たり1万9600人を動員。しかし、パ・リーグは406万人、1試合当たり1万400人だった。続く74年は、セ・リーグが759万5000人、1試合当たり1万9500人に対し、パ・リーグは350万1000人、1試合当たり8900人とダブルスコアまで差が開いていた。
筆者は当時、大阪スタヂアム(大阪市浪速区、既に閉鎖)や日生球場(大阪市中央区、同)でパの試合を見ていた。球団は周辺で無料の招待券をたくさん配っていたが、それでも球場はガラガラで、観客席で寝転ぶこともできた。
パ・リーグは人気挽回のために73年から前後期の「2シーズン制」を採用したが、お客はまったく増えず。人気浮揚策の第2弾として、75年からMLBのア・リーグが採用したDH制導入に踏み切ったのだ。