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完璧を目指さなくてもいい。「頑張る」のハードルを下げる大切さ
現役保育士のてぃ先生、1児の母であるpecoさんの「令和時代の子育ての子育て」をテーマとした対談企画第2弾。司会には自身も2児の母である、タレントの鉢嶺杏奈さんをお迎えしました。中編のトークテーマは、親の自己肯定感について。
子育ては思い通りにいかなくて当たり前
鉢嶺:では、続いての質問です。「子育ては思い通りにいかない」と思った瞬間がありますか?
peco:もちろんあります。最近息子が女の子の友達と一緒に絵を描いていたときのこと。楽しそうに「ママたちに秘密だよ」みたいな感じで描いていたので、なんか描いてプレゼントしてくれるんかな、と思って。
最初にお友達がママに渡した絵には「私のママでいてくれてありがとう。だいすきだよ」って書いてあったので、なんて素敵なのと思いながら息子の絵を待っていたんです。
そして息子が書き終わって、満面の笑みで渡してくれた紙には「うんち」って書いてあって……(笑)。女の子と男の子の違いはあると思いますが、本当に子育ては思い通りにいかないなと思ったエピソードです(笑)。
てぃ先生:でもその「うんち」の言葉に、全部入っていたかもしれないですね。
peco:え、「うんち」をもらって愛を感じないといけなかったんですか(笑)。そこまで汲み取らないといけないんですね!
鉢嶺:私が思い通りにならないと思ったのは、水族館に行ったときのことです。
息子はイルカやペンギンが好きなので楽しんでくれるだろうなと思いながら、何日も前から計画していたんです。それなのに、いざ行ってみると全然楽しそうじゃなくて(笑)。
盛り上げようといろいろ声をかけてみても、結局最後まで楽しくなさそうでした。
たまたま、その日の水族館の外には車の試乗エリアがあったので、5分くらい遊ばせてもらって家に帰ったんです。
そしたら今日いちばん楽しかったのは「車」って言うんです! 水族館には2時間くらいいて、車はたった5分くらいだったのに……。でも、息子にとってはそこが今日一番の思い出だったのかと考えると、親が子どもに喜んでほしい気持ちは大事だけど、親の思い通りにはならないから、その場その場で臨機応変に対応するしかないんだなと学びました。
peco:そう思えることが本当に優しい! 私だったら「あんた水族館に魚見に来たんちゃうん!?」とか言っちゃいます(笑)。
てぃ先生:僕たまに思うんですが、ディズニーランドに行くと赤ちゃんもけっこう来てるじゃないですか。でも、0歳のときに連れて行っても、本人はきっと覚えてはないですよね。それってある意味では、親の「0歳のときにディズニーランドに連れて行ってあげた」という自己満足だと思うんです。
それはもちろん悪い意味ではなくて。家族の思い出を増やすことによって、自分が親としてしっかりやってるとか、子どもが喜ぶことをしてあげてるとか、自己肯定感を高めるための行動でもあるわけです。だから、もし子どもが水族館で魚を見てなかったとしても「子どもを水族館に連れて行った私、いいママ!」って思ったらいいんじゃないでしょうか。
逆に、自分の行きたい場所に子どもについてきてもらうお出かけでもいいと思いますよ。僕が子どもの頃、母は僕と妹を毎週百貨店に連れて行ってくれたんです。でも別におもちゃコーナーに行くわけではなく、目的は自分の服を買うことでした。ただ、僕は嬉しそうに服を見ている母が好きだったし、それで親の心に余裕ができるのならいいと思うんですよね。
鉢嶺:いい話ですね! お母さんの心に余裕が生まれることが、結局子どもにとってもいい形だったりしますもんね。
自分がしている小さな「いいこと」に目を向けて
鉢嶺:では次です。「自分ってママ失格だな」と思ったことはありますか? 私はたまに思います。
てぃ先生:ママ失格なわけないのに。どういうときに思うんですか?
鉢嶺:たとえば、子どもの友達といっしょにごはんを食べていて、ママ友がうちの息子に対して「これ好きなんじゃない?」と気付いてくれたとき。私はそれに気付いていなくて、私から生まれたのになんで気付けなかったんだろう、と落ち込んだりします。
あと、赤ちゃんがなんで泣いてるのかわからなくて、自分はお母さん失格だと思ってしまう方もいると思うんです。そういう気持ちもわかるなぁと思います。
peco:「母親だから完璧にやらなきゃ」と、いろいろなことを考えすぎちゃうのかもしれないですね。さっきのごはんの話も、きっとママ友は考えていないようなことを鉢嶺さんはたくさん考えていて。でも、考えすぎゆえに、シンプルなことが思いつかなかったりしたんじゃないですか?
鉢嶺:たしかにそうだと思います。でもその瞬間って一生懸命やっていると、なかなか冷静に考えられなかったりするんですよね……。後から思い返すと大したことなかったなと思うんですけど。
てぃ先生:そういう思考になってしまう方って、自分のいいところに目を向けていないんですよね。ママたちってよく寝る前に「今日子どもに怒りすぎちゃったな」と反省すると言いますが、怒ってるとき以外は、子どもに対してたくさん親切にしているはずです。
たとえば子どもがごはんを食べてるときに、水を飲みやすいようにコップの位置をサッと変えたり、子どもがお着替えをしやすいようにサポートしたり。小さなことまで入れたら毎日数えきれないくらい、親切にしていますよね。ママたちはそれが当たり前だと思っているけど、すごいことなんです。
実は、そのような自分の何気ない親切に目を向けると、自己肯定感がどんどん上がっていくと言われていて。たとえばコンビニで商品が落ちていたとき、何気なく拾う人。そういう人って、ひとつ親切なことをしているのに、自分でいいことをしている自覚がないらしいのです。
だけど、自分のしたことを自分でちゃんと褒めてあげたらいいんです。それが自己肯定感につながって、子どもにも還元されますから。子育てをしていると、無限に親切なことをしているはずですよね。
peco:私はコンビニで商品が落ちてたら「落ちてる商品拾っている私、優しいなぁ」「いま拾ってますよー!」と心の中で大声で言ってます(笑)。でも鉢嶺さんはまさに、親切なことをめっちゃしているのに、自分で気付いてなそうな気がします。
鉢嶺:とんでもないです。でも、そのようなママはたしかに多そうですよね。
親も子どもも同列。子どもと同じくらい自分も大切に
てぃ先生:pecoさんは、ママ失格だと思うことはないですか?
peco:もちろん子どもに怒りすぎちゃったな、とか謝りたいことはたくさんありますが、母親失格とは思ったことないですね。もし仮に「私はダメなママだよね」と言葉に出してしまったら、それは子どもにとってすごく悲しいと思うんです。だからいつも「ママすごいでしょ!」というのを全面に出してやってるし、息子も「ママ今日も頑張ったね」とか言ってくれたりします。
てぃ先生:家庭内で「頑張る」ことのハードルを下げたほうがいいですよね。ここまで頑張らないと頑張ったことにならない、みたいなハードルがあると、家族みんなが苦しくなっちゃう。
peco:我が家はめっちゃハードル低いです。朝起きただけで偉い!
てぃ先生:子どもってもちろんかけがえのない存在だし、親御さんにとっては宝物。でも語弊を恐れずに言うと、常に自分のことよりも大事にし続けなければならないかと言うと、そうではない。親も子どもも大事にされるべき優先度や、幸せの価値は同じであるべきだと思うんです。
絶対に子どもが優先だと思い込んでいるママが多いけれど、子どもはあくまで家族の一員で、家族みんなが同列。たとえば「朝忙しいときに子どもに怒っちゃったから自分はダメな親だ」と思っているとしたら、そうではなくて。ママが急いで準備して仕事に行かなきゃいけないとしたら、間に合うように協力するのが家族なんだから。
親も子どもも家族の一員として家族みんなが幸せになるために、お互いに歩み寄っていく感覚でいたらいいんじゃないかなと思うんです。
鉢嶺:そう言われると、救われた気持ちになります。
てぃ先生:自分が親失格だと思ってしまう一因に、固定観念を持った周りの視線もあると思います。でも、結局子どものことを一番わかってるのは親だし、親と子どもの関係は本人たちにしかわからないですよね。それに対して周りの人たちが「もっと愛情を持って接しなさい」なんて言うのはお門違いだし、全く気にする必要がなくて。
peco:私もよく思います。24時間一緒にいる親子でないとわからない阿吽の呼吸ってたくさんあるし、簡単によその家族のかかわり方について口出すなんて、絶対にしないほうがいいですよね。なんか他人に言われても、気にする必要もない。
てぃ先生:電車でベビーカーに乗った子どもが窓の外を見ていて、ママはスマホを見てる、とか批判されたりしますよね。でもその子は窓の外を見るのが好きなのかもしれないし、電車にたどり着くまでにイヤイヤが大変でママは疲れ果てているかもしれない。当事者じゃないとわからないことだらけなのに、親子の生活のなかのほんの5分を切り取って批判する人もいますよね。もっとみんなで気遣えるような社会にしていきたいです。