「検査する意味がないのでしません」70代認知症の母を献身介護する娘が天を仰いだ医師の冷酷診断の背景

「検査する意味がないのでしません」70代認知症の母を献身介護する娘が天を仰いだ医師の冷酷診断の背景

社交的で明るかった母親は娘の名前さえ忘れてしまった

【後編】そばつゆをグビグビ飲む、納豆ご飯を水入りコップに投入…認知症母の"日常"にひるまない娘のあっぱれ介護魂 関東地方在住の40代の女性は、働きながら父親や2人の姉とともに認知症の母親を介護している。母親は徘徊を繰り返し、医療機関から理不尽な対応を受け、心身にダメージを受けたところで気づいたのは、「母は私の名前を忘れた」という衝撃的事実だった――。(前編/全2回)

この連載では、「ダブルケア」の事例を紹介していく。「ダブルケア」とは、子育てと介護が同時期に発生する状態をいう。子育てはその両親、介護はその親族が行うのが一般的だが、両方の負担がたった1人に集中していることが少なくない。そのたった1人の生活は、肉体的にも精神的にも過酷だ。しかもそれは、誰にでも起こり得ることである。取材事例を通じて、ダブルケアに備える方法や、乗り越えるヒントを探っていきたい。

仕事一筋の寡黙な父親ととにかく社交的な母親

関東地方在住の雨宮木綿子さん(仮名・40代)は、3人姉妹の末っ子。

父親は高校卒業後から自動車関係の仕事をし、21歳の時に3歳年上の母親と出会い、3年後に結婚。母親は結婚を機に仕事を辞め、30歳で長女を、32歳で次女を、37歳で雨宮さんを出産した。

「父は仕事一筋の寡黙な人ですが、自転車の乗り方を教えてくれたり、旅行に連れて行ってくれたりと、意外と子煩悩だったかもしれません。母はとにかく社交的な人。町内会やPTAの役員をやったり、茶道や書道を習ったりして、活動的で友人知人が多く、一歩家を出れば誰かに会って立ち話が始まるため、一時間以上帰って来ないことが日常茶飯事でした」


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写真=iStock.com/Dianne Gralnick ※写真はイメージです

家族仲は良く、毎年必ず父親の運転する車で家族旅行に出かけていた。

雨宮さんが中学生になると、父親が静岡で単身赴任になったが、毎週末父親は車で4時間かけて帰ってきていた。

当時は父方の祖母が高齢になり、両親は二世帯住宅を建てて祖母と同居を始めていたため、家族全員で家を空けることは難しかった。そのため、連休があるたびに母親と娘1人、娘2人など2人対2人に分かれて父親の単身赴任先に遊びに行っていた。

やがて姉たちが結婚して家を出て行き、雨宮さんは短大を卒業して事務職として働き始める。

翌年、友だちの紹介で、技術系の会社で働く1歳上の男性と出会うと、22歳で結婚。実家から電車とバスを乗り継いで1時間半ほどの場所で生活を始めた。

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2025.10.20

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