「小学生のランドセルは重くてもいい」と主張する人は不正三昧の自民党を支持し続ける人と全く同じ精神構造

「小学生のランドセルは重くてもいい」と主張する人は不正三昧の自民党を支持し続ける人と全く同じ精神構造

何を言っても全否定してくる人たちがいる。いったいなぜ、どういう精神構造なのだろうか。そして、それにはどう対処していけばいいか。作家・島田雅彦氏に、分析してもらった。

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ランドセルをキャリーバッグ式にする器具「さんぽセル」を考案した栃木県の小学生たち。大人たち からの全否定がニュースに

「昔のままでいい」と慣習に固執するワケ

このテーマを聞いて思い出したのが、以前に見たニュースです。2022年のことですが、栃木県の小学生が「ランドセルが重いから」とランドセルをキャリーバッグ式にする器具を自分たちで考え、発表したことがありました。ランドセルを転がすこともできるし、背負うこともできるいいアイデアです。

ところがそれを見た大人たちが、寄ってたかって否定し始めたのです。「低学年だとコントロールできないのではないか」「交通の邪魔になりかねない」「舗装されていないと動かせない」などと言って。しまいには「重たいランドセルを背負って通学したのはいい思い出だ」とノスタルジーに浸ったりしています。いかにも大人気ない、グロテスクな反応でした。

彼らは「ランドセルは背負うものだ」という固定観念から抜け出そうとしない。「ランドセルを転がして運ぶ」という発想の転換を受け入れられない。そういう心理はどこから生まれるものでしょうか。

第一に人は、自分の理解が及ばないことや信じたくないことを目の当たりにすると、全否定しようとします。

ライト兄弟の有名なエピソードがあります。彼らは世界で初めて飛行機で空を飛んだわけですが、最初にそれを見た人たちは、目の前で彼らが飛んでいるのに、誰も信じようとしなかったそうです。おかげでニュースになるのがだいぶ遅れたと言います。

太平洋戦争の緒戦、日本の連合艦隊による真珠湾の米軍基地への奇襲攻撃でも、現地時間12月7日の午前8時前に日本軍による爆撃が始まったとき、兵士や市民はそれを敵機の攻撃だとなかなか信じなかったのです。

米国太平洋艦隊司令長官もハワイ陸軍のトップも、攻撃を警戒しながらも何ら対策を講じず、当日朝もゴルフに行こうとしていました。「日本軍ごときがわが軍の基地を攻撃できるわけがない」という思い込みがあまりにも強かったために、奇襲を受けてもなお目の前の事実を受け入れられなかった。

第二に、保守的な考え方をする人たちは、長年続く慣習や通念に固執し、それを変えることに猛反対します。

選択的夫婦別姓問題はその典型でしょう。これは夫婦が同姓に改姓するか、それぞれが結婚前の姓を名乗り続けるか、選択の自由を認めるものですが、一部から強い反対の声が上がっています。別姓を認めたからといって反対者が不利益を被ることは特にありませんが、「結婚したら妻が姓を変える」という慣習に固執しているだけなのです。

古くからの慣習に従うことには、頭を使わずに済み、考えるエネルギーを節約できるというメリットがあります。物事を変えるにはそれなりの理由と説明が必要ですが、そんなものは聞きたくないし、理解しようと頭を使うのが面倒くさい。だから「昔のままでいいじゃないか」と、物事を変えようとする人を全否定するのです。いくら不正を働こうが、自民党を支持し続ける人も同様です。

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2025.04.18

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