築50年のマンモス団地に「ビールの醸造所」ができた…高齢者ばかりになった都内の公社団地に起きた異変
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東京都江東区のマンモス団地に、区内初のビール醸造所を持つ居酒屋がある。店名は「ガハハビール」。店主の馬場哲夫さんが2017年に立ち上げ、いまでは全国各地からビール好きが集まる人気店になっている。なぜ団地に、醸造所を作ったのか。ライターの山本ヨウコさんが、店主の馬場さんに取材した――。
江東区初となる団地のなかのブルワリー
東西線・東陽町駅から徒歩5分ほどの場所にある「南砂住宅」。8つの棟がそびえ立つマンモス団地の一角に、江東区初のビール醸造所(ブルワリー)を持つ居酒屋が佇んでいる。「横十間川酒造 ガハハビール」が、そのお店だ。
「お待ちしていました!」と威勢のいい声で出迎えてくれたのは、店主の馬場哲生さん。映像関係の仕事に携わったあと飲食業に転職し、居酒屋で調理、ビアパブでビールづくりの腕を磨いたユニークな経歴の持ち主だ。
馬場さんは2017年6月にガハハビールをオープンし、同年9月に第1号となる自家醸造ビールを開栓して以来、地域に根ざしたビール文化を育んでいる。
小さなブルワリーでつくられたビールをクラフトビール、それを店内で提供する酒場をブリューパブと呼ぶ。馬場さんは店名を体現するかのように「ガハハ」と豪快に笑いながら教えてくれた。
「うちはクラフトビールだけを出すパブではなく、クラフトビールと料理を楽しめる居酒屋。“ブリュー”と“居酒屋”をかけた『ブリュー居酒屋』なんですよ」
ブルワリーを有する団地は日本にいくつもない。馬場さんは「団地はスタートアップ向きの場所」と言うが、当時は周囲の人から出店を反対されたそうだ。それが今や、遠方からも多くのお客さんが訪れる人気店となった。2024年4月には、企業からの誘致で押上に2号店をオープンしている。
団地の一角からスタートしたガハハビールは、なぜ団地内外の人たちから愛されるビール店となったのだろうか?
映画監督になる夢を諦め、居酒屋のスタッフに
1978年、馬場さんは東陽町3丁目で生まれた。団地とは20分ほど離れた場所に住んでいたが、子どもの頃は広場を求めて友達とよく遊びに来ていたという。
中学卒業後は定時制高校に通い、「映画監督になりたい」という夢をかなえるため映像関係の専門学校に進学。遅れてきた青春を取り戻すかのように学生生活を謳歌し、22歳で卒業した。以降はフリーランスの助監督として働いたものの、仕事に恵まれない日々を過ごした。
気がつけば29歳。馬場さんを支え続けてくれた彼女との結婚を機に、今までとは違う世界で地に足をつけて働こうと決意する。
2007年、東京・高円寺にある海鮮系の九州料理居酒屋で、キッチンスタッフとして働きはじめた。店内では29歳の馬場さんが一番年上。みんなに気を遣われ居心地の悪さを感じたが「自分にはもうあとがない」と腹を括り、仕事に打ち込んだ。
自炊はしていたものの、仕事としての料理は未経験。多くの品を手際よく料理し、見映えよく盛りつけなくてはならない。家庭料理と居酒屋で提供する料理の違いに戸惑いながらも、必死で仕事を覚えた。