大人こそ、「性教育」の学び直しを【ツルリンゴスター×にじいろ】
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マンガ/イラストレーター
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マンガ・イラストレーター。長男出産後、SNSで何気ない日常のふとした出来事や気持ちを漫画やイラストで綴る。著書に『いってらっしゃいのその後で』『君の心に火がついて』(KADOKAWA)がある。挿絵やイラスト・マンガを執筆。関西在住。3人の子どもと夫、猫1匹、とかげ1匹と暮らす。
大好評だったツルリンゴスターさんとにじいろさんの性教育対談のこぼれ話を記事化!にじいろさんの提唱する「子どもひとりひとりに寄り添った性教育」の必要性をわかりやすく解説します。
大人になれば自然に分かること、気恥ずかしい、他人と共有しづらい、……さまざまな理由でオープンに語られることのなかった性教育。
一方、昨今ではネットやさまざまなメディアで「性教育」という言葉を見かけます。
性教育を受けることは、自分のこころとからだを守ることにつながることはもちろん、自分のからだは自分だけのものであること(かってに触らせない)、「No」には効力があること、性行為には「性的同意」が必要であることなどが、広く知られるようになりました。
前回の記事では、0-6歳から小学校低学年の子どもを育てる保護者に向け、性教育の必要性、おうちでできる性教育のはじめかたとポイントについて、元養護教諭で現性教育講師のにじいろさんと、漫画家のツルリンゴスターさんに対談していただきました。
今回は漫画には入りきらなかった、お二人のトークを記事化!養護教諭として小学生、高校生に接してきたにじいろさんだからこそ知っている、リアルな子どもたちの性の悩みと、そこに直面したときの親の対応についてうかがいました。
性教育のチャンスは何度でもあるし、完璧でなくていい
もともと10年ほど保健室の先生をしていて、出産し、一度は専業主婦になりましたが、高校の保健室で性の問題に直面しながらも予防教育ができなかったことがずっと心残りで。また、性教育にプレッシャーを感じて、焦っている保護者があまりに多いと感じることもありました。
そこで6年前からフリーランスで性教育の発信を始め、今はおもに性にまつわる講演、執筆などをしています。
私は「性教育のチャンスは一度きり」といった言葉で、保護者をむやみに不安にさせたり、落ち込ませりしたくない。
だから、保護者向けの会では「チャンスは何度でもあるし挽回できる。完璧も目指さなくて大丈夫」と伝えています。
前回、「性教育」というと、人によって思い浮かべる内容が違い、からだの成長・生理や妊娠出産のイメージが強いとお伺いしたのですが、
性教育は「体だけでなく、よい人間関係を築くことや心の話」、それが、同意、安全など、人権に関わる話ということにも、深く納得しました。
「性教育」や「性的同意」はとても大切ですが、一方で、現実的にそういう雰囲気になったとき、同意についての話し合いをどうやって切り出すのかが気になっています。
この二年くらい「性的同意」という言葉が日本でもかなりメジャーになって、嬉しい反面、「性の話だけしても響かないのではないか」という疑問がありますね。
だって、いきなり思春期の性行為に限定して「同意をとるように」いわれても......。結局は小さいときの「貸して」「いいよ」の積み重ねなんですよね。
だからこそ、性の話をする前には、人権教育の土台が必要なんです。
性的同意は、「Yes以外はすべてNo」で、かつ「Yesが成り立つのはお互いが対等な関係の場合」なんですよね。
シンプルに見えますけど、大人もちゃんと勉強しないと、なぜ同意が大切なのか分かっていないことが多いです。
子どもが「これはしたくない」「これは嫌」と言ったとき、つい「そんなこと言わないで」と否定してしまうことがありますが、否定したり怒ったりしないで、「嫌なんだね」「そっか」とまず聞いて、受け入れることが大事だなと思いました。
性教育講演会後に、高校生からの感想で「性行為の場面で繰り返し「No」を言うと、それが相手への暴力になるのではないか」というものがありました。そんなことは絶対にないんですけどね。
ただ、子ども時代から、自分が「No」と言ったときに身近な大人がそれを受け入れなかったり、機嫌が悪くなったりしていると、「Noは相手を傷つける悪いものなんだ」と学習してしまいます。
だからこそ、身近な大人が、「No」と言っても関係が変わらないことを行動でしめし、繰り返し学習させる必要があります。
「No」を受け入れることも大切だし、自分が伝えるときは、「この「No」はあなた自体を否定しているわけではない」ということをセットで伝えたいし、お互いにその意識を持つことが大切ですね。
実は、私も「No」を言うのは苦手なんです。でも「言えない自分がダメなんだ」と追い込むのは間違ってますよね。
学校の先生たちの話や、教科書の性教育は「こうあるべき」という正論や成功例がほとんどで、できる子には響くけど、できない子にとっては余計しんどくなってしまうという状況が生まれてきています。
だからこそ、子どもたちには「私もできないんだよ」と素直に伝えるようにしています。
うちでは性教育の本を手が届くところに置いたり、「人の体はその人だけのものだから勝手に触らないでね」という声かけもしてるつもりなんですが、それでも兄弟妹間でふざけて触ったり、それで喧嘩になったりするので「こんなに言ってるのになんで?!」と空を仰ぐことが結構あります。
そういうことってありますか?
もちろんありますよ!
子どもは忘れてしまうこともあるし、分かっていてもできないこともあります。
だからこそ、周りの人の力を借りて、繰り返し学ぶことが必要です。
正論は自分の中に軸としては持っておきつつ、個々の成長の具合と環境を見て、子どもとの関係に集中する作業が大切ですね。
セックスしても大人でなければ妊娠しない?性に無関心では危険なワケ
ーー読者層のお子さんは0〜6歳がメインなので、性教育と聞いてもどうしても「まだまだ先」という気持ちになりがちだと思うのですが、小さい頃から家庭でもおこなうことの意義についてお聞きしたいです。
現状では、小学校でも中学校でも、性教育を教える時間は限られています。
しかも、性行為がどんなものかについては詳しく教わらず、「生理」や「妊娠」を単品で学んでいるから、彼らの中では「性行為をすると妊娠する可能性がある」という風につながりにくく、中には「結婚しなければ妊娠しない」とか「大人しか妊娠しない」と思ってしまっている子たちもいます。
だからこそ、家庭で、「性行為とはどんなものか」「妊娠すると生理が止まる」「小学生でも妊娠の可能性はある」といったことを教えてあげる機会が必要なんです。
とはいえ、親子間で性行為の話題をするのはハードルが高いですね……。
小さい子なら性教育の絵本を読み聞かせしたり、もう少し大きければ年齢に合わせた本を置くのはどうでしょう。
本を置いても読む子と読まない子がいますが、性に関する本が家にあることで「うちは性に関する話はオープンに話していいんだ」というメッセージになります。
本を置いておくだけなら抵抗なくできますね!こどもも自分のタイミングで知識に触れられるから良さそうです。
にじいろさんの著書『10代の妊娠』でも触れていらっしゃいますが、今の社会って10代でセックスすること、妊娠することがタブー視されがちですよね。よく言われるのが「責任をとれないならするな」という論調ですが、どう思われますか。
日本の社会には「未成年は責任がとれないからセックスするな」、「そんなことはあってはならない」というスタンスが根強いように見えますが、国連の国際セクシュアリティ教育ガイダンス(※)には、「意図しない妊娠はおこるもの」と示されています。
これを見た時に、「そう、それだよ」と感じたんですよね。あってはならないものではなくて、妊娠は起こるものなんだ、と。
責任がとれない部分があるからこそ、周囲の大人のフォローが大事なのに、否定や禁止されているから相談もできないし、仮に相談しても「だからこうなったでしょ」という自己責任論で終わってしまう。
出典:/国際セクシュアリティ教育ガイダンス(ITSE:International technical guidance on sexuality education)
「起こってはならないもの」ではなく「起こるものですよ!」と言い切ってもらえると、親も子どもも心構えが全然ちがってきますね。
子どもが困ったときに、大人が「べき論」を言ってしまうと、その先困ったことがあっても、その子はもう相談してはくれません。
「最終的にあなたが決めること」「なにかあったら相談してね」と言ってあげてほしいです。
相談されると、正しいことを盾に「今のあなたは間違ってるからこうするべきだよ、こうするべきだったんだよ」とジャッジしてしまいたくなりますけど、
「最後はあなたが決めること」という声かけは、そういうジャッジよりも相談相手との繋がりを強くできるように感じます。
その後なにかあったときに相談してくれることが一番大事ですもんね。
私自身、何年もやっていくうちに、単に医学的に正しい知識で「正解」だけを言い続けても伝わらないと気がついて。
実際にこどもたちの声を聞いてきたからこそ、そう思われるんだと思います。
そういえば先日、都内に住む母娘にインタビューさせていただいたところ、学校の性教育もかなり進んでいるのかなと感じられることがあって。全国的に私たちが若い頃よりも進んでるんですか?
全体的に進んでいれば喜ばしいことなのですが、残念ながらまだまだ学校ごとの差がかなり大きいのが現状で、学校で包括的な性教育が受けられるかは、学校や先生次第という運要素が強いんです。
性教育を大切にしている学校は、からだのことだけでなく人権にも関わることだと理解していて、総合的な学習の時間をうまく活用して、人権教育として、性の多様性やジェンダーを扱っているところもあります。
いろんな学校を見てきましたが、6年間で1度も教科書以外の性教育をしていない学校も結構あります。具体的な包括的性教育をしている学校はまだまだ少ないので今後増えていくといいですね。
ジェンダー教育を大切にしている学校に通う子が、「心と体の性が違う人がいるなんて当たり前だよ」と言っているのを聞いて、そういう感覚が自然と言動に根付いていていることに希望が感じられました。
その子たちは私たち大人よりずっと人権教育が浸透した環境で生きてきている。その子たちが社会に出たときにどんな景色が見えるのかなと想像してしまいます。
ーー幼少期だからこそ自然と受け入れられるし、だからこそこの時期に身につけていくのが理想ですね。
そうですね、小さいときからずっと性教育をしている学校と、6年生ではじめて性教育をした学校では、理解度もまったく違います。
だから、知ることや教育が大事なんです。
もちろん、何歳からでも遅いということはありません。
大人が「教えなければ」ではなく、「大人も一緒に知識を身につけて変わろう」なんですよね。
にじいろさんはどのような経緯で性教育講師の活動を始められたのでしょうか?