「70歳すぎて経営続けたらあかん」TSUTAYA創業者が事業継承で「これだけは絶対やらない」と決めていたこと
『べらぼう』の蔦重にはできなかったこと
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いかなる大企業、どんな創業者にとっても最大の難事と言うべきが、事業の継承、後継者の発見と育成だ。蔦屋書店を一代でカルチャー発信基地に育て上げた増田宗昭氏は『べらぼう』で話題の蔦屋重三郎について「蔦屋重三郎は、歌麿、写楽、馬琴、一九と大勢の人は残したけど、結局、事業承継そのものは、たぶんうまくいかなかったと思う」という――。(第2回/全2回) ※本稿は、川上徹也『二人の蔦屋 蔦屋重三郎と増田宗昭』(太田出版)の一部を再編集したものです。
写真提供=カルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社 カルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社取締役会長の増田宗昭氏
平成の蔦屋重三郎か喜多川歌麿か
「俺は平成の蔦屋重三郎と言われてきたけど、最近、蔦重じゃなく本当は歌麿だったんじゃないかなと思ってきてる。川上君のストーリーとは違うかもしれんけど」
直接の取材は最後になる予定だったので「今日は事業承継について聞かせてほしい」と申し出た私に、増田はそう言った。
初回を除いて取材は、増田のゲストハウスで行われている。
「悪いけど横にならしてもらうで。昨日飲みすぎて」と、ジャージ姿の増田は、こちらに頭を向けてソファに横になる。これも見慣れた光景になった。
通常、取材中にソファに横になって話しだす大企業の経営者はまずいないだろう。しかしそれは決して不快ではなく、むしろ「心を許してくれてるんだな」と好印象に感じる。
おそらくそのような振る舞いは私だけではないだろうし、増田の人たらしマジックにかかってしまっているだけかもしれないが。
「そもそも事業承継がなんでうまくいかないか? それはやっぱり創業社長にとって会社は自分の子供で分身みたいなものやから」
増田は歌麿や蔦重のことを離れて、事業承継についての持論を語り出す。