あれから阪神ファンはおとなしくなった…阪神の暗黒時代を誘引した「カーネル・サンダースの呪い」の後日談
再び日本一になった2024年、住吉大社で供養された
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阪神タイガースは1985年に初めて日本一になった後、低迷期が長く続いた。国際日本文化研究センター所長の井上章一さんは「関西圏では、阪神ファンの手で道頓堀川に投げ捨てられたカーネル・サンダース人形の呪いだという都市伝説が広まった。それ以来、阪神が勝っても人形に狼藉をはたらくファンはいなくなった」という――。 ※本稿は、井上章一『阪神ファンとダイビング 道頓堀と御堂筋の物語』(祥伝社新書)の一部を再編集したものです。
自分を選手に見たてた「ダイバー」たち
1985年と近年のちがいが読みとれる逸話を語りたい。
戎橋からのダイビングはあの年にはじまった。しかし、1985年のそれは、以後に反復されたとびこみとは、少し様子がちがう。あの年だけの光景があった。たとえば、身をなげる当人が、その直前に阪神の選手へ自分を見たてた点である。
「一番、真弓」、「二番、弘田」……と宣言して、彼らの多くはダイブを決行した。
個々の選手にたいする敬意が、21世紀の優勝時になかったとは言わない。だが、たとえば周囲に「一番、赤星」と明言するとび手は、あまりいなかったろう。あるいは、「一番、近本」も。たいていの投身者は、そういう擬態をしめさずにとびこんでいったと、聞いている。その点で1985年のダイブは、やはりユニークであったと、言うしかない。
バース役に選ばれた「道頓堀のマスコット」
さて、あの年に阪神を優勝へみちびいた最大の立役者は、ランディ・バースであった。三冠王にかがやいた、史上最強と言われる助っ人の外国人である。だから、ほんらいなら「三番、バース」を名のるとびこみ手がほしいところだったろう。
だが、自らをバースになぞらえるファンは、なかなかあらわれない。戎橋にあつまった日本人には、アメリカ人へなりすますふんぎりがつかなかったのか。とにかく、バースのなり手はいなかった。
たまたま、近くをとおりかかった大柄な西洋人が、ファンに拉致されたりもしたらしいいきなり、まわりをかこまれ、「バース」とはやされ胴上げをされた人がいたと聞く。だが、彼らも「バース」に見たてた男を、道頓堀川へほうりこもうとはしなかった。いくらなんでも、それはあんまりだと、ファンだって考えたにちがいない。
いずれにせよ、戎橋にむらがる群集がいちばんほしがったのはバースであった。そんなファンの目が、ケンタッキー・フライド・チキン道頓堀店の店頭人形へむかう。おなじみのカーネル・サンダース像である。あの人形なら、バースのかわりになりうると、判断された。