「俺の夢は3000万円だけ残してPPKだ」軽自動車を作った男・鈴木修が語っていた理想の人生の幕引き
会社が困ったときには「戻ってくるわ」
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昨年末、94歳で亡くなったスズキの鈴木修元相談役は、40年以上にわたってカリスマ経営者であり続けた。だが80歳を超えると、それまであまり触れなかった人材論や人生の終わりについても語るようになっていった――。 ※本稿は、永井隆『軽自動車を作った男 知られざる評伝 鈴木修』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
式典直前にタイを結び…
2012年11月11日午前9時前。バンコク市内の西部にある四輪車および二輪車の販売店「スズキ ラマII」。67年からスズキの二輪販売代理店を務めてきたバンスズキが建設した新店舗である。この年の3月から営業を始めているが、この日は鈴木修を招いてオープニングセレモニーが開かれた。
鈴木修は、マイクロバスに乗ってスズキの幹部たちと一緒にやってきた。ドアが開き、真っ先に降り立つ。好みの色である黒の上下に、ホワイトのワイシャツはクールビズである。
バンスズキのブンロート・ラパロキット会長、その子息であるマヌーサク・ラパロキット社長らが出迎える。通訳を介し何か面白いことを言ったのだろう、鈴木修を中心に笑いが輪になって弾けた。
タイ人関係者たちの挨拶に応じていたが、日本人スタッフに何かを持ってくるよう指示をした。ネクタイである。式典が始まる直前、鈴木修は座ったまま黒い背広を脱ぎ、シャツの襟を上げてタイを結び始めた。やや、照れくさそうにだ。するとどうだろう、タイ人の列席者の間から、柔らかな笑いが湧いた。
現場に入ると「大魔神」に変身
ちなみに、1章に記したように鈴木修は新幹線のグリーン車内でも平気で着替える。ネクタイを外し堂々とワイシャツを脱いだ。上品そうなご婦人が横目遣いに通り過ぎ、こちらが心配になるくらいだったが、何となく許されてしまう不思議なキャラクターである。
さぁ、いよいよ式が始まる。鈴木修はマイクの前に立つ。
「ブンロートさんのファミリーとはオートバイのディーラーをしていただき、もう45年のお付き合い」「3月から販売を始めた四輪は月平均で40台を販売していただき、バックオーダーを700台も抱える好成績を上げていらっしゃる」
「車の問題や情報は、直接メーカーにお知らせを。どうか一つ、これからもスズキの一翼を担っていただきたい……」
バンスズキ側からも挨拶があり、記念品をやり取りし、地元の民族舞踊に合わせた太鼓演奏があって、駐車場のセレモニーはお開きとなる。
建屋面積が約1100平方メートルのショールームに入っていき、同社の女性スタッフ一人ひとりと握手を交わす。
ここまでならば、他の経営者とそう変わらないだろう。が、現場に入った瞬間から、鈴木修は人が変わっていく。変身した「大魔神」のようにだ。