「あなたはずっとイギリスにいなさい」帰国を親も喜んでくれると考えた娘をピシャリと突き放した83歳母の愛
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母娘関係に悩む人は少なくない。去年7月になくなった91歳のインフルエンサーであり、一人娘をもつ大崎博子さんも「母と娘ってどんなに仲が良くても、やっぱり難しいのよ。お互い言葉にしないでしょ」と語っていた――。
「貯金しておけば」とは言ったけれど…
大﨑さんの人生を語るのにはずせない人物がいる。娘・夕湖さんの存在だ。
70歳まで「衣装アドバイザー」として現場で活躍した大崎さん。50代半ばをむかえたころに、娘が大学を卒業した。すこし肩の荷がおりたなと安堵したのはつかの間、大崎さんが定年を迎えた60歳に、24歳になった娘は「イギリスに留学したい」と言い出した。
「英語が喋れるようになりたいからと。留学先も自分で調べて、手続きも自分で書類を作って、下宿先も自分で探してね。行くためのお金も娘は全部用意していて、あとはもう行くだけの状態。昔に『お年玉は貯金しておけば』とは言ったけれど、娘はアルバイトのお金をふくめて全部を貯金していたの。それで留学をするって言われたら、反対できないでしょう?」
短期だと思い送りだしたら、留学期間は1年、1年半、2年と延びていく。2年が過ぎたころ、夕湖さんの貯金がつきて、いよいよ帰国かと思ったが……。
「『もっと居たいのに、お金がない』って電話で娘が、涙声で話したの。弱音を言わない子だから、すごく珍しいことでした。だから、なけなしだけどお金を送ったの」
週に3回のアルバイト料で稼げる額はしれていた。しかし、はじめて母に頼り甘えてきた娘を突き放すことはできなかった。
しかし、本音では娘の帰国を願っていた大崎さん。娘が帰ってこない事態を受け入れられるまで、親子は何度も衝突したという。
理想は「スープの冷めない距離」
「だってね、母親って娘を手元に置いときたいものじゃない? 私の本音をいえば、娘には、うちの近所で所帯を持ってほしかった。いわゆるスープの冷めない距離ね。……だけど、いくら反対しても、子供って手元に置いとけない時は置けないものよ。やっぱり子どもの生活だから、結局は負けちゃうの。私も好きに生きてきたほうだから。同じよね」
娘はイギリスで会計事務所に就職、27歳でイギリス人男性と結婚した。3人の子どもを産み、イギリスを生活の拠点として暮らすことに。博子さんは、63歳になっていた。
「イギリスで就職したときに、いよいよ、これはもう帰ってこないなと覚悟を決めました。それからは、ずっと『離婚しても、日本には帰ってくるな』と言っています。向こうのほうが、離婚しても生活がしやすいから。私も年だから、あと何年も生きられないし、とにかく、自分の家庭をイギリスでしっかり守りなさいって。日本で父親不在のなかで子供を育てるって、昔よりは良くなっているかもだけど、私には簡単なことじゃなかったから……」
母として、できれば子どもと近くにいたい。それは、紛れもない本音だ。
そうであっても大崎さんが積み上げてきたのは、共依存と真逆にある、お互いを“個と個”として尊重し合う関係性だった。