生まれ持った才能や熱意は関係ない…スタンフォード大が証明「たった1割の成功者」になる1番シンプルな方法
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同じ目標を描いても、成し遂げられる人と、そうでない人とがいる。何が違うのか。ビジネス書を年間240冊読む豊留菜瑞さんは「ずばり、努力を継続できるかどうかにかかっている。研究によれば、何かを真に継続できる人は全体のわずか1割程度しかいない。その1割になるにはどうすればいいのか。科学的に効果的な方法が3つある」という――。 ※本稿は、豊留菜瑞『忙しさ幻想』(サンマーク出版)の一部を再編集したものです。
「やりたいことで稼がなきゃ」の問題点
最近、「やりたいこと」の定義が、少しずつ歪められているように感じます。
「やりたいことで稼がなきゃ」
「インパクトのあることをしなくちゃ」
「すごいことじゃないと」
このように「べき」や「ねばならない」が、いつの間にか「やりたいこと」に紛れ込んでいるのです。
本来、「やりたいこと」には、そんな義務は存在しないはずです。
「やりたいこと」とは、あなたの心が自然と向かいたい方向であり、純粋に「やってみたい」と感じる行動のはずなのです。
そこで、まずは「やりたいこと」の本来の意味を取り戻すべく、この「やりたいこと」が示す本当の意味をしっかり捉え直してみましょう。
「やりたいこと」には、2つの種類があります。
1つは「点の挑戦」
これは、小さな好奇心から始まる挑戦です。
新しい趣味を始めてみたり、行ったことのない場所に出かけてみたり。
見つけやすく、始めやすいのが特徴です。
もう1つは「線の挑戦」
大きな目標に向かって、継続的に取り組む挑戦です。
新しいビジネスを始めたり、キャリアを変えたり。
成功すれば大きな変化をもたらしますが、それだけに覚悟も必要になります。
「べき」が紛れ込むのは“線”だから
私は、ここで言う「線の挑戦」がそのまま「やりたいこと」になってしまったことが、冒頭の「べき」や「ねばならない」が、紛れ込んだ理由だと考えています。
「線の挑戦」の裏側には、「大きなことをしなければならない」という思い込みが隠れているからです。
かく言う私も、引きこもりだった頃は、「大きなことをしなければ」という思い込みに囚われていました。社会を変えるような願いでないと、「やりたいこと」に認定してはいけないと思っていたのです。
そんなわけはありません。
もう一度言うように、「やりたいこと」とは、あなたの心が自然と向かいたい方向であり、純粋に「やってみたい」と感じる行動です。
では、そういった純粋な思いはどのように取り戻せばいいのでしょうか。