「卑弥呼は邪馬台国の女王」はウソである…最新研究で明らかになった「近畿説vs.九州説」論争の有力説
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邪馬台国はどこにあったのか。瀧音能之(監修)『最新考古学が解き明かすヤマト建国の真相』(宝島社新書)より、一部を紹介する――。
弥生時代の祭祀の再現。吉野ヶ里遺跡・北内郭主祭殿にて(写真=Pekachu/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons)
「邪馬台国」の表記と読み方の論争
一般的に「邪馬台国」と表記されるが、『魏志』倭人伝の写本・版本はすべて「邪馬壹国」となっている(「壹」は「壱」の正字)。一方で『後漢書』東夷伝には「邪馬臺国」となっている(「臺」は「台」の正字)。『魏志』倭人伝が3世紀末の編纂なのに対して、『後漢書』は5世紀初頭の編纂で、『魏志』倭人伝の方が古い。しかし、『後漢書』は三国志の時代(220~280年)の前の時代の後漢時代(25~220年)についても記されている。そのため、『後漢書』には卑弥呼政権以前の倭国についても記録されている。こうしたことから、「ヤマタイ国」ではなく「ヤマイチ国(邪馬壹国)」とする説もあるが、確証があるわけではない。
『梁書』倭伝、『隋書』俀国伝などそのほかの中国の歴史書には「邪馬臺国」とあり、現存する『魏志』倭人伝は12世紀以降の写本・刊本であることから、「邪馬壹国」は「邪馬臺国」の誤写とするのが定説となっている。
ここでは読みやすいように以降は新字体の「台」で話を進める。「邪馬台国」を「ヤマタイ国」と読むようになったのは江戸時代からだ。中国では「台」に中央官庁や朝廷といった意味があるが、そのほかの国名や人物名を見る限り、あくまで音からの当て字と考えるのが自然だ。「台」は漢音ならば「タイ」、呉音ならば「ダイ」と読むため、これまで特に疑問に思われることなく、「ヤマタイ(ヤマダイ)国」と呼ばれてきた。