病床でヨボヨボにされてからでは遅い…和田秀樹「ピンピンコロリで終わるためにすべきたった1つのこと」
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納得のいく「死」を迎えるにはどうすればいいか。高齢者専門の精神科医である和田秀樹さんは「医療のベルトコンベアにいったん乗せられてしまうと、病名をつけられ、病人にされ、病院のベッドで薬漬けの最期を迎えさせられてしまう恐れがある」という――。 ※本稿は、和田秀樹『患者の壁 [ベルトコンベア医療]には乗るな!』(エイチアンドアイ)の一部を再編集したものです。
死ぬときは自宅と病院のどちらがいいか
人間は誰だっていずれ死ぬわけです。多少その時期が早まったり遅くなったりすることはあるかもしれませんが、死は確実に訪れるわけです。
患者さんが、少し長く生きるよりも、残りの人生の満足度を上げるほうを選択するという判断もあります。医者や家族が思っていたよりも早く亡くなることがあっても、本人が満足して亡くなったのであれば、それがいちばんだと思います。
死ぬときは自宅がいいか、病院や施設がいいか――患者さんが迷う選択肢です。病院は緩和ケア病棟やホスピスでなければ、ほとんどの自由が奪われます。病院に入院したら、好きなお酒が飲めなくなる、タバコも吸えなくなるというのでは、何のために生きているのかわからないという人もいます。そのためか、「最期は自宅で迎えたい」という人が増えています。私も病院で死にたいとは思いません。
孤独死は「ピンピンコロリ」のケースが多い
自宅で最期を迎える一つのパターンとして「孤独死」が上げられます。仮に私が一人暮らしをしていて、心筋梗塞で胸が苦しくなったときに、近くに電話や携帯電話があれば119番して救急車を呼ぶことは可能でしょう。しかし近くに電話がなければ、そのまま死んで「孤独死」としてカウントされます。
孤独死は大きな社会問題として、ネガティブなイメージで報道されますが、孤独死の9割は直前まで元気だった人です。元気がなく介護が必要な方であれば、誰かが2~3日のうちに訪問して対処しているからです。
孤独死は、いわゆる皆さんが大好きな「ピンピンコロリ」の形で亡くなるケースが多く、しかも自宅で亡くなるので、ある意味、理想に近い最期とも言えるでしょう。私は一人でいるのが好きなので、孤独死にネガティブな印象はありません。直前まで元気で、突然死ぬわけですから、それほど悪い最期ではないと思います。
読者の皆さんは、「孤独」と「孤立」が違うことを知っておきましょう。孤独は「寂しい」というような主観的な感情のことで、精神的な問題です。一方、孤立は客観的に見て他者とのつながりが少なく、周囲に助けがいないことです。そのため、周りに誰もいないほうが気楽だという人は、寂しさなどを感じていないので、孤独ではありません。