だから上皇さまの「昭和のプロポーズ大作戦」は成功した…難航した皇太子妃選びを成功させた「立役者」の名前
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上皇后美智子さまは1959年、皇太子だった上皇さまと結婚し、初の民間出身の皇太子妃となった。宗教学者の島田裕巳さんは「上皇と上皇后のご成婚までの過程を追うことは、現代において皇族が結婚することの難しさを明らかにすることに他ならない」という――。
男性皇族の重要な通過儀礼
秋篠宮家の悠仁親王が、誕生日の9月6日に成年式に臨むことが明らかになった。成年式は男性の皇族だけが行うもので、愛子内親王がそうした儀式に臨むことはなかった。
成年式は一般の成人式にあたり、成人したことを祝う通過儀礼の一つである。人生における各種の通過儀礼のなかでも、成人式は重要で、伝統的な社会では大人になる資格があるかどうかを問う試練が課せられることがある。
武士の社会では、「大狩」がそれにあたる。鎌倉幕府を開いた源頼朝が、富士の裾野で巻狩まきがりを行ったのもそのためだった。頼朝はそこで息子の頼家を披露したのだが、巻狩で、頼家は見事に鹿を射止めている。
そこに仕掛け、ないしは準備があったのかどうかはわからないが、狩りという試練を克服したことが、将来において武士の棟梁とうりょうとなる証しと見なされたのだ。
他に重要な通過儀礼があるとすれば、それは結婚式と葬式である。とくに女性の場合に、結婚式は人生のなかで決定的に重要な位置を占めている。愛子内親王についてはこれから、結婚ということが世間の関心の中心になっていくことだろう。
1959年の革命的なご成婚
そんななか、多くの雑誌を収蔵している東京世田谷区の大宅壮一文庫で、3月に「明るい皇室展」が開かれた。サブタイトルに「美智子さまを中心に」とあるように、上皇后が去年の秋、90歳の卒寿を迎えたことを踏まえてのものだった。
戦後の皇室の歴史のなかでも、1959(昭和34)年の、当時皇太子だった上皇との「ご成婚」は画期的な出来事だった。大宅壮一文庫では、当時を伝える週刊誌がまとめて公開されていた。私もそれを見に行ったが、いかに国民がご成婚に注目していたかが改めてよくわかった。
上皇后は、民間人として初めて皇室に嫁いだ。それまで皇室に嫁ぐのは皇族か公家の出身女性に限られ、近代になってからは華族がその供給源になっていた。側室でさえ、公家や華族出身の女性たちだった。
その点で、ご成婚は皇室の歴史のなかで革命的な出来事であった。そして、民間人の女性として上皇后が皇室の一員となったことは、戦後の皇室を明るいものにする上で決定的な役割を果たしたのである。