吉田松陰はテロリストを養成していた…教科書では書きづらい松下村塾で長州の若者に施していた危険な「教育」
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幕末の思想家、吉田松陰とはどんな人物だったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「松下村塾を主催し、後に明治政府をつくった優秀な人物を輩出した。ただ彼の教育には手放しでほめられない面もある」という――。
「絹本着色吉田松陰像(自賛)」の肖像部分・山口県文書館所蔵(写真=PD-Japan/Wikimedia Commons)
明治維新を成し遂げた吉田松陰の教え子たち
吉田松陰(1830~59)は幕末の思想家および教育者で、明治維新の精神的指導者でした。これは紛れもない事実です。松陰の活動でもっとも注目すべきは、「松下村塾」で数多くの志士を育てたことでしょう。しかし、実際に教えたのは1年余りにすぎないので、正確には育てたというより、短期間に強い影響をあたえた、というほうが正確だと思います。
松下村塾は、もとは松陰の叔父の玉木文之進が自宅で開いた私塾で、安政4年(1857)、松陰が数え28歳のときに継承しました。身分の分け隔てなくだれでも受け入れ、塾生名簿はありませんが、教えを受けた人は延べ92人になるようです。
その門下生に名を連ねるのは、幕末に尊王攘夷と討幕の志士として生きながら、志半ばで散った者として久坂玄端や高杉晋作。さらに、幕末を生き延びて明治政府の重鎮になった者として伊藤俊輔(博文)、山縣狂介(有朋)、品川弥二郎、山田市之允(顕義)……と、まさしく錚々たる顔ぶれです。
桂小五郎(木戸孝允)も、松下村塾では学んでないものの、藩校の明倫館で松陰から兵学の教えを受け、松陰を師と仰いでいました。
松陰は杉百合之助という下級の長州藩士の次男で、山鹿流兵学師範の吉田家に養子入りして、前出の玉木文之進のほか、兵学者の山田宇右衛門や山田亦介から兵学を教わりました。松陰の原点はこの兵学にあるのです。