江戸時代版『孤独のグルメ』に見る庶民の食への貪欲さ…皿持参で買いにいくテイクアウトの"煮しめ"や刺身サービスまであった
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江戸時代の庶民たちは、一日を締めくくる晩酌をどんなふうに楽しんだのか。食文化史研究家の飯野亮一さんとともに、江戸の晩酌を体験した『孤独のグルメ』の原作者、久住昌之さんは「現代人の自分がいま食べてもおいしいと思うつまみで飲んでいたようだ」と驚く——。 ※本稿は、『江戸呑み 江戸の“つまみ”と晩酌のお楽しみ』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
江戸の「振り売り」は魚売りもおなじみ
【久住】江戸の「振り売り」(天びん棒を担いで呼び声をあげながら食べ物を売り歩く商売)は、加熱したものばかりだったのでしょうか?
【飯野】いえいえ。魚売りもおなじみでした。しかも「夕鯵売り」。
【久住】普通の鯵とは違う?
【飯野】夕方に揚がった鯵のことで、とても新鮮なのです。鯵は江戸湾で獲れた魚の代表格で特に江戸っ子に好まれました。当時、日本橋の魚河岸には、夕方には夕河岸が開かれて鮮度のよい鯵が売られていたのです。
「夕鯵の声は売人も生てはね」(『誹風柳多留』天保四〈一八三三〉年)。あるいは
「うりにくる 夜鯵うつくし銀砂子」(『錦の袋』享保年間〈一七一六〜三六年〉)なんて、銀粉をまぶしたように鯵が光っている状態を表した川柳もあります。
【久住】なんとも贅沢。いま私たちがいる「芝浜」がある芝・芝浦界隈でも鯵が揚がったのでしょう。古典落語の名作『芝浜』では、魚屋の熊さんが「そこの桃色んとこ、ちょっとやってくれ」なんて言われて魚を捌くと、その手際と仕草がいいと評判だったが、呑むとこれがダメで……なんて描写があります。熊さん、鯵も捌いてたかな。
【飯野】江戸前の魚というと、かつおが連想されがちですが、珍重されるのは初夏の初かつおの時期だけでとても短い期間でした。オールシーズン獲れて、江戸っ子が「江戸前のナンバーワン」として挙げていたのは鯵なのです。夕鯵売りはまな板と包丁も携えていて、買ったその場で刺身用や塩焼き用と、客が食べたいようにリクエストして捌いてもらえました。
【久住】庶民の長屋には台所はあるが水回りはよくないですからね。魚屋さんが長屋の路地なんかで捌いてくれたら、後は帰って呑むだけだ(笑)。そんな情景を思い浮かべて、鯵をいただいてみましょう。