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【イタリアの教育】褒める文化で自立心を育むアモーレと芸術の国
さまざまな歴史や風土をもつ世界の国々では、子どもはどんなふうに育つのでしょうか。この連載では、各国の教育や子育てで大切にされている価値観を、現地から紹介。今回は、AMI(国際モンテッソーリ協会)公認国際教員のマリアーニ・綿貫愛香さんに話を聞きました。
日本の約5分の4ほど、ブーツ状の国土に世界で最も多くの世界遺産を有するイタリア。UNESCO World Heritage Centreによるとイタリア国内には55もの世界遺産が存在します。
また、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロ、ガリレオ・ガリレイといった歴史上の偉人たちの祖国でもあり、14世紀から16世紀にかけて西ヨーロッパで展開された文化復興運動、ルネサンスの発祥国であるイタリア。文化や芸術面において歴史的に影響を与えてきました。
「イタリアはアモーレと芸術の国。愛と感性を示すために、教育では『自己表現』を丁寧に教えていきます。
『世界でたったひとりの私』というオリジナルを大切にするため、正しい、間違っているに囚われず、自分の考えを表現するということを徹底して教え込みます」
こう語るのは、国際モンテッソーリ協会公認国際教員のマリアーニ・綿貫愛香さん(以下、綿貫さん)。ロンドン初のモンテッソーリ教育(I.C 1-2歳クラス)立ち上げに成功し、現在は北イタリアのミラノにあるバイリンガルモンテッソーリスクールに勤務しています。
※ I.CとはInfant Communityの略
私立も公立も、子どものクリエイティビティを育む
「自己表現って、ある意味で自分が美しいと思ったものを表わしていく行為です。
美しいと感じるものは人それぞれ異なります。だからイタリアには社会的な風土として『違うことが当たり前。違うことこそ素晴らしい』という価値観がある。イタリア人は本当に個人の自由と美意識を大切にするんです。
そのため、幼児期から感覚を使うことに注力しているように感じます。イタリアはモンテッソーリの他にもレッジョエミリアなども有名ですが、子どものクリエイティビティを育むという姿勢は私立校も公立校も変わりません。
たとえば息子が4歳のとき、ガラスを使ってモザイクアートをしていました。モザイクはイタリアの文化。小さな破片なので注意が必要ですが、子どもであっても本物を与えます。
それを大人は見守って待つ。大人が先走って手取り足取り教えるのではなく、子ども自身がたくさん間違えて失敗を重ねることで子どもは自分でできるようになります。それが自立であり、イタリアの教育で一貫して大切にしていることです。
できなかったことを子どもが何度も繰り返し、自分の力でできるようにするために本当に必要としているものを差出していく。本当の教育者とは、そういう者だと私は思います。
自己肯定力や自信は一朝一夕で得ることができるようなものではありません。一つ一つの小さな成功経験から得ていくもの。それが自分でできる!という自信につながる。
その積み重ねのプロセスが大事なのです。だから日々、自分自身を育てることができるように自立心を育むのです。
いい就職をするためにいい大学に行く……これは社会や時代の価値観です。しかし自立心があれば、このような価値観に惑わされることなく自分の幸せを見つけることができるはずです。
私たち教育者の興味の対象は子ども。その月齢や年齢に合った自立をビジョンとして掲げています」
イタリアでは、保育園も幼稚園も一律で教育科学省の管轄です。イタリア語で「鳥の巣」を表わすニドは0歳から3歳までの子どもが通う保育コミュニティー。3歳から6歳の子どもが通うのはスコーラマテルナと呼ばれ、日本の幼稚園にあたります。
少子化の進むイタリアの「合計特殊出生率(女性1人あたりの出生数)」(世界銀行)は、2018年で1.29人。同じく少子化国である日本の1.42人よりも低いポイントとなっています。
「イタリアでは少子化が進んでいますが、その分、先生の配置に余裕があるため、日本から教育者の方を招いて視察旅行を行うと、口々に『なんでこんなにゆったりしているの?』と聞かれます。大人がきちんと子どもの手を握って街を歩いている姿などから、時間の流れ方がゆっくりしていると感じるのかもしれませんね」
自立心を鍛える小学生から口頭試験
子どもたちが小学校に入学できる年齢は5歳半から6歳頃。10年間の義務教育のうち、5年間を小学校で過ごし自立心を育みます。
「イタリアの教育の特徴のひとつとして挙げられるのは、小学生から口頭試験を行うこと。テーマに対して、自分の意見を構想的に述べることが求められます。
たとえば『第一次世界大戦について述べよ』という問題。大戦が起きた年号など、数的なことをいかに暗記しているかではなく、流れを理解した上でいかに自分の考えやアイデアを述べることができるかを問われます。
さらに日本と異なる点は、小学校でも落第があることです。義務教育の過程でもできていなければやり直し。その点では容赦ありません。
公立の小学校では、日本の一般的な学校のように先生の板書を写すというスタイルで授業が進み、宿題も多いと聞いています。ただ一クラスの児童の数は日本よりも少なく、多くても25人ほど。
現在はコロナの影響で、我が校は一学級10人までと更に少なくなっています。
教育科学省が作成した教科書がありますが、どの教科書を使うかは先生次第です。3クラスあれば、クラスごとに3冊別々の教科書が使われることもあり得ます。
そういった意味ではイタリアの教育は自由度が高く、教師の質に任されている。画一的ではなく立体的、と表現することができるかもしれません。
また、2020年度から小学校の成績表のシステムが改善され4段階のみの評価となりました。
さらに温暖化などの環境問題が深刻化している背景から、地球市民であるという認識を高めるグローバル視点の授業も新たな試みとして導入されています」
小学校卒業後、3年間の中学生活の最後には卒業試験が待っています。国家試験であるテストに合格することで中学の卒業資格を得ることができるのです。
受験制度のないイタリアでは偏差値や順位といった価値基準がないため、先生、保護者、生徒の三者で相談して進路を決めます。
大きく理系と文系に別れる高校は5年間。大学入試がない代わりに、高校5年生の最後に生徒の成熟度を判断する「マトゥリタ」という国家試験があります。マトゥリタを3年後に控えた高校2年生の息子さんと暮らす綿貫さんは「受験生を5年間抱えているようなもの」と話します。
「イタリア人の間で『人生最大の難関』とも呼ばれるマトゥリタは、6時間以上に及ぶ筆記試験が3日間。深い考察力が求められるマトゥリタは、全問論述式のかなり難しい試験です。さらに4日目には数人の面接官を前にした口頭試験が待ち構えます。
イタリアの高校は5年間ありますから、日本でいう大学2年生が高校5年生にあたります。ラテン語や哲学は高校5年間の必修科目。
ラテン語はヨーロッパでは学問の基礎とされ、哲学的思考は深く考えるための土台となる。これらを高校生の間に習得して、大学の専門的な勉強が始まるのです。
息子がラテン語で赤点を取ったとき、学校から『家庭教師をつけてください』と言われました。家庭教師による効果もあり、ラテン語の成績が少し上がったところで再び学校から連絡が。
『家庭教師を辞めてください。いつまでも家庭教師をつけていると、自分で勉強する自立心を損ないます』と言われたのです。
自分で学問に向き合うことを徹底的に鍛える姿勢には、日本人の感覚からすると厳しいと思うと同時に、イタリアらしいエピソードだと感じました。自分の力で乗り越えていくことこそが勉強であり子どもの力になる、と」
イタリアの中学、高校では先生とは呼ばず教授、つまり『プロフェッサー』と呼ばれます。高等教育過程を教えるためには大学教授の資格がなければならないため、社会的に尊敬の眼差しを向けられると綿貫さん。
綿貫さんご自身もイタリアで先生をしていて、保護者の方から個人的な相談を受けたりと、いつも感謝されている立場であると感じると同時に、保護者と信頼関係を築けているのではないかと話します。
会話好きのイタリア人の気質もあり、家庭と学校で密なコミュニケーションが取れている反面、イタリアの教育は各家庭の習い事に委ねられる部分も小さくないといいます。
「小学校は15時から16時くらいまでですが、中学高校は13時くらいには終わります。そのため、各家庭の習い事でその子どもに必要な教育を補っている側面があります。
習い事はピアノ、空手、陸上、テニス、バレエなどあらゆる種類があり、お月謝ではなく一年分を一括で支払うことが多いですね」
クエスチョンマークに宿る学びの本質
「モンテッソーリの小学校は公立校とは全く違い、教科書、時間割、チャイム、宿題など一切ありません。
子どもたちが主体的かつ独自に取り組めるような環境が用意されています。自分のやりたい作業に取り組むので、子どもたちは目を輝かせていますよ。
クラス編成も学年で別れておらず、6歳から9歳までの子どもで1クラス、9歳から12歳の子どもで1クラスと縦割りです。
課外授業も多く、たとえばオリーブオイルやワインを作り、その土地に根差した文化を学びます。
モンテッソーリの場合は成績表がない代わりに、『評価証』というものがあります。数字で評価するのではなく、先生の言葉で子どもの各教科の進行具合を振り返ります。
息子もモンテッソーリの小学校に通っていましたが、ぎっしり4ページに渡り先生のコメントが書いてありました。子どもの現状と課題、家庭でのかかわり方などが細かく書かれています。
モンテッソーリに通う子どもたちは、競争やテストに慣れていませんが、小学2年生と5年生で義務とされている国語と算数の国家試験では普通学級を上回る好成績を収めています。
モンテッソーリの授業のひとつの特徴として『宇宙教育(コズミック教育)』が挙げられます。天文学、形象学、地質学、自然学、科学、物理、数学、言語……数え始めたらキリがないほどの学問が統合した全体性のあるメソッドです。
これらの学問を、ひとつの宇宙として根源のある物語として子どもに伝えていきます。言い換えれば、世界のあらゆるものはリンクしていることを教えているのです。
たとえば私の手元にあるペン。今私が手にしているけれど、誰かが発明し、作り、運び、売っていたもの。ペンひとつ取っても、すべて関連性があり切り離せるものではありません。
その関連性を360度、あらゆる角度から掘り下げて、世界と自分自身を見つめる教育です。
ですから1時間目は算数、2時間目は理科、3時間目は家庭科など、大人が管理する教育ではなく、その観念を越えて、子ども自身の興味を出発点としてマイペースに学ぶことができることが特徴といえるでしょう。
私たち大人は、子どもに学びの余白を残します。子どもが自分で知り、発見する喜びを奪わないことを心がけています。
卵にたとえると、白身の部分にあたる周辺部分は手をかけて整えますが、中心部である黄身には土足で踏み込むようなことはしません。それが子どもの人格を尊重し、本来の力を伸ばすことになるから。
知らないことを大人が一方的に埋めていくということは、大人が黄身を奪うということ。中心部分を奪われてしまった子どもは、知っていることと知らないことのふたつしかないのです。
けれど、子どもが自分で感じる『なぜだろう?』のクエスチョンマークに学びの本質があるのだとしたら、知っていることと知らないことの間、余白を残すことこそ大事なのかもしれません。
おもしろい、不思議、きれい、悲しい……このような感性が学びの原点になるのではないでしょうか。
未就学児も同じです。この時期はモンテッソーリでは人格形成期と呼びます。子どもは手で触れて、頭でアイディアを形成していく。だからたくさん時間をかけて何度も繰り返して達成することが学びになる。大人の役目は、ロールモデルであること。教えるのではなく、見守り寄り添い導いていくことです」
イタリア発祥のモンテッソーリ教育ですが、残念ながらイタリア国内で一般的にあまり浸透していない過去が長かったそうです。しかし、コロナショックの影響もあり、最近ではリバイバルが起きていると綿貫さんは言います。
「新型コロナウイルスは集団で群れる社会のあり方に一石を投じ、これまでの価値観を見つめ直す契機を与えました。
個々の学びを深めるモンテッソーリ教育は、いわば『群れない教育』。個性を尊重するイタリアの社会風土と相まって、今再びモンテッソーリ教育が注目を集めています。
そもそもイタリア発祥のモンテッソーリ教育が、なぜイタリアで浸透しなかったのか。今から遡ること100年以上前、イタリア初の女性医師マリア・モンテッソーリが誕生します。
医師として精神病院で働いていた彼女は、精神薄弱児(今でいう発達障害児)に、自由選択という発想を教育のプロセスとして組み込んだ新しいメソッドを施し、知的水準だけではなく、子どもやその家族の人生のクオリティーを上げることに成功します。
1907年イタリアの首都ローマにて、国家プロジェクトである『子どもの家』で幼児教育研究の代表を務めることになります。
子どもの内面に秘められる力を信じて寄り添い、見守り、導く。子どもの自由の原理を教育の軸とした結果、国家試験で普通児童よりも重度の発達障害児の方が、ずば抜けた成績をあげたのです。
それは当時においてもセンセーショナルなこと。モンテッソーリのメソッドを普通児童に与えたらどうなるのか。こうして、たちまちモンテッソーリメソッドがイタリア国内に留まらず、海を渡って広まっていきました。
たとえばアメリカのヘレンケラー。彼女の家庭教師であるサリバン先生は、モンテッソーリメソッドを一番に取り入れた方のひとりでした。
そんな中、イタリアのファシズム指導者、ムッソリーニが現れてから状況が変わり始めます。ムッソリーニはマリア・モンテッソーリを教育省に招き、イタリアすべての学校にモンテッソーリメソッドを取り入れようとしました。
しかしモンテッソーリの自由な教育と、ムッソリーニの国家統一論は衝突し、1930年イタリアにあるモンテッソーリスクールはすべて燃やされてしまったのです。マリア・モンテッソーリは命からがら亡命し、そこから各国を渡り歩き、地道にモンテッソーリメソッドを世界に広めたのです。
皮肉な話ですが、ムッソリーニがモンテッソーリメソッドを世界に広めたという言い方もできるのかもしれませんね。
ムッソリーニが政権時、イタリア国内では消されたように見えたモンテッソーリ教育ですが、実は彼女のパトロンである上流階級の貴族たちが、ひっそりと炎を絶やさずに守っていたのです。
北イタリアの湖の近くの別荘地。一見、別荘に見える建物の中で、静かに沈黙の中で連綿とモンテッソーリ教育が行われていました。
私はイタリアに来て、現在90代、最後の世代といわれるマリア・モンテッソーリの愛弟子たちに会ってきました。マリア・モンテッソーリが生み出したすばらしい教育法を絶やさずに、彼らは自由な教育を紡いでいたのです。学校を見学はとても感動的でした。こんなに美しい学校があるのか、と。
自分の心で感じて、自分の頭で考え、自分の体を使って行動して現実を変えていく。教育はその日々の繰り返しであり、積み重ねです。
モンテッソーリ教育に限らず、イタリアという国は、教育も芸術であると考えるのです。それは、人間がより善い存在になり、最も人間らしくなっていくプロセスにおいてこれ以上の美しい創造はないという意味です。
そんな自立心を持った子どもたちを育てる教育があるということを伝えていければいいなと思います」
<取材・執筆>KIDSNA編集部
セミナーのお知らせ
ホリステイックな視点から見るモンテッソーリ教育 大橋マキさんとのオンラインでのモンテッソーリ対談です。 親の視点、教育者の視点の両方から五感をフルに使い、自分自身を創造する子ども を支える教育について考案を深めていきます。
開催日時:2021 年 3 月 20 日 15 時から 17 時まで
参加費:3300 円
主催 :株式会社アサヒトラベルインターナショナル
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