【イタリアの子育て】フルタイム週18時間労働を実現する家族中心社会
さまざまな歴史や風土をもつ世界の国々では、子どもはどんなふうに育つのでしょうか。この連載では、各国の教育や子育てで大切にされている価値観を、現地から紹介。今回は、AMI(国際モンテッソーリ協会)公認国際教員のマリアーニ・綿貫愛香さんに話を聞きました。
グッチ、プラダ、フェンディ、ドルチェ&ガッバーナなど、数々の名だたるハイブランドを生み出したファッション先進国、イタリア。
北イタリアのミラノにあるバイリンガルモンテッソーリスクールで働くマリアーニ・綿貫愛香さん(以下、綿貫さん)は、イタリアの文化を「磨く文化」であると評します。
「ファッションは自己表現のひとつ。ですが外見だけではなく、感性や知性、振舞いや暮らしの空間など、内面や美意識を磨くこともイタリア人の特徴です。
たとえばイタリアの家庭では男の子は徹底してレディーファーストを教え込まれます。街中で『目の前のマダムが通るまでドアを開けて待っていなさい』と母親が小学生くらいの息子に厳しく教えているシーンに遭遇することもあります。
どのような言葉使い、装い、色合い、行動が美しいかといったことは習慣として小さな頃から教えています」
子どもの感性を育む美しい言葉
「磨く文化には身だしなみも含まれています。私の義理の母はイタリア人ですが、息子が生まれたときに『運動靴、普段履く靴、よそ行きの革靴。どんなに小さくても靴は毎シーズン3足用意しなさい』と言われました。
イタリア人は小さな頃からTPOを大切にすることを教わります。色と色の組み合わせや、質感の組み合わせなどから、どうすればもっと自分が美しいと感じるだろうかと考えながら装いを決めていくのです。
豊かな感性を育むということが文化として定着しているように感じます。美しいもの、きれいなもの、美味しいもの、楽しいことが大好きな国民です。さらにイタリア人はとても褒め上手。
『私の子どもは本当にブラボーなのよ。よくできるの』と、日本人の感覚からすると恥ずかしいくらいに褒めて自慢して愛して育てます。
独自性を重んじるイタリアでは人と同じことが正解ではありません。他の子どもができていて自分の子どもができなくても、その子の中で成長があればいい。そのときできなくても褒められることによってモチベーションが上がり、次第にできるようになっていきますから。
そのため人と違うからといって引け目を持つことはなく、自己肯定力の高い自信にあふれる人がイタリアにはとても多いのだと思います。
イタリア人にとって褒めることは、その人の個性、そのままの姿を尊重して認めること。また伝統あるものも大事にされます。だから独自性を維持したまま、感性豊かな創造力を育むことができるのではないでしょうか。
褒めるときに意識しているのは、子どもが絵を描いたとしたら『私はこれが好きよ』『私はこれが素敵だと思うわ』と、自分を主語にして褒めること。イタリアでは保護者も表現力が豊かなので、美しい言葉で子どもを褒めている光景をよく目にします。
ミラノに住み始めて、豊かな自己表現を身に付け、自分のスタイルを持った成熟した素敵な大人が多いと感じます。子どもの頃から尊重されてきたから、相手のことも同じように尊重することができるのでしょう。
このような文化が当たり前に馴染んでいる環境で育つイタリアの子どもは、芸術や美的感覚の洗練度の高い豊かな文化に育ちます。その文化を支えるもの、それはアモーレです。愛情いっぱいで、すごく幸せだと思います」
イタリアらしい保護者のかかわり方は、子どもが失敗したときにも垣間見えると綿貫さんは続けます。
「たとえば子どもが何かこぼしてしまったときは、まず『あら、こぼしちゃったわね』と事実を伝えます。そして拭くために布巾を渡す。目くじらをたてて怒る必要はなく、これだけでいい。こぼしたら拭けばいいのですから。
テストのとき『勉強しないと落ちるわよ』など、脅すつもりはなくても子どもを守りたいという気持ちが先走ってしまうものです。『〇〇したら〇〇だよ』と言ってしまいたくなりますが、そうではなくポジティブな言葉で具体的な提案をしていくことが大事です。
子どもは『歯を磨きたくない』といったこともありますよね。けれど、歯は磨かなければいけないもの。
子どもが自分で洗面所に行って磨く、あるいは保護者といっしょに行って磨くなど、ゴールを磨くことに設定して、それまでの選択権を子どもに与えればいい。磨くか磨かないかという選択ではなく、どちらを選んでも磨くという選択肢を与えます。
子どもにどんな大人に育ってほしいかというビジョンや決まり事は、イタリアの家庭内でもそれぞれあると思いますが、できるだけシンプルでいいのです。あとは子どもの個性を尊重し、見守るだけ。
シンプルで機能的で美しいこと。教育も同じです。どれだけ本質に出会っていけるのか?がすべてを大きく変えていきます。
人ってその人が本当にやりたいことをやるときに全力が出るのです。そして達成できたときの喜びは何事にも代えがたい。
子どもに声をかけるときは子どもだからといって、ごまかしたり嘘をついたり赤ちゃん言葉を使ったりはしません。イタリアの保護者は子どもにも本音を語り、美しい言葉を使うことを意識しています」
フルタイムで最短週18時間の労働を可能にする家族中心社会
綿貫さんがイタリアで出産した16年前は「ベイビーボーナス」と呼ばれる出産祝い金、約1000ユーロが政府から交付されました。しかし近年のイタリア政権は短命で、政権により方針が変わる不安定な状態が続いており、子育て支援制度も政権交代とともに一新されるといいます。
しかし基本的には出産にかかる費用や、子どもが受診したときにかかる費用はすべて無料。北欧諸国やオランダなどと比較すると社会保障が手厚いとはいえないものの、子育てしやすい環境は整っていると綿貫さんは話します。
「イタリアの子育ては父親も第一線に出てきます。私の学校でも保護者面談をすれば、父親も参加し夫婦揃っていることがほとんど。休日の午前中に公園へ行けば、父親と子どもばかりです。
育児を手伝うというよりも共に育てることが当たり前なので、『イクメン』という言葉をわざわざ作る必要もなく、母親だけがひとりで抱え込むことはありません。
また、イタリアでは祖父母とスープの冷めない距離に住んでいる人が多いですね。近くに住むおじいちゃんやおばあちゃんの手を気軽に頼ることができますし、それが難しければ第三者に頼ります。
たとえばベビーシッター。裕福な家庭では住み込みでお願いしていますが、一般家庭においても普及率は高いです。
私のスクールに通う子どもの約90%のお母さまが働いていますが、15時のお迎えが難しければ、祖父母かベビーシッターなど代理の方の手を借りることは珍しいことではない。
イタリアはカップル社会でもあるので、ベビーシッターや祖父母に子どもを預けてカップルで出かけることは日常です。子どもが入店できないレストランも多く、子どもは『大人はできること、子どもはできないこと』の境界線を、子どもたち自身しっかりと認識しています。
そのほか家事代行やハウスクリーナー、介護職などイタリアでは第三者の手を借りることに対して引け目を感じることはありません。仕事としてオファーしていることですし、むしろその職業に従事している人を社会的に支えるという認識があります。
子育てはひとりでできるものではないですし、子どもは社会で育てるものだという感覚が浸透しているように感じます。イタリア人は一般的に、人懐っこくて愛情深くておせっかい、そして優しい。
道を歩いているとまったく知らない人でも子どもに語りかけてくれます。イタリアで生活していて子どもを大切にする社会であると感じます」
母親が育児を抱え込むことのないイタリアは児童虐待数が少ないといいます。児童虐待の数は大人がストレスに晒されている数と比例するのではないかと語る綿貫さんは、その背景には大人の働き方が関係していると続けます。
「イタリアは家族が中心にまわる社会です。私自身、フルタイムで働くワーキングマザーですが、勤務時間は8時半から15時半です。食後には、30分のコーヒーブレークもあります。夏のバカンスは2か月から3か月が有給休暇です。
教員たちによる労働組合で守られていて、幼稚園の教師は週34時間まで、小学校の教師は週26時間、中高の教師は18時間まで。この時間以上は働かないというふうに法律で守られているのです。
さらにクリスマスやイースター夏のバカンスは2カ月丸々休暇。子どもが休みのときに同じだけ休める教師の仕事は、母親たちの憧れの職業でもあります。
日本で同じようなワーキングマザーや先生と話すと『フルタイムで4時半に帰れるなんて信じられない』と言われますが、社会の仕組みが日本と異なるために、子育て環境にも大きく影響していると感じます。
男性の働き方においても、残業はあまりなく基本的には転勤もない。お付き合いで飲み会や食事会に行くこともないので、仕事が終わるとすぐに帰ってきます。
時間的には女性よりも男性の方が長く働いていますが、それほどまでに家庭の時間を奪われていないのです。
少なくとも私の周りの夫婦を見渡しても、互いに『パパ』『ママ』と呼び合っている人はひとりもいません。イタリアでは母親、父親になっても名前で呼びます。
子どもが生まれて、カップル間の関係性が変わることはあったとしても、個人的な人格は変わらない。母親であっても父親であってもひとりの人間なのです。
そのため保護者という肩書に左右されずに個人間で中立の立場を守っているので、『母親だからこれをすべき』という風土はありません。職業は様々でも自己確立して、自立している女性が多いように感じます。
日本では『〇〇ちゃんのママとしか呼ばれない』という話を聞き、心が痛みました。『〇〇ちゃん、〇〇君のママたち』だっていろいろな人生経験をしてきた人々の集まりじゃないですか。
年齢や受けてきた教育、社会的ステータスなど人物背景はそれぞれ。けれど、同じ幼稚園や保育園に通っている母親だからといって、仲良くすることが求められてしまうのは難しいですよね。
仕事をしている女性が多いと同時に、イタリアでは独立した女性が多いです。自分の世界を持っていて、満たされた人が多い。
子どもってどんな人といっしょにいたいかというと『幸せな人』といっしょにいたいんですよ。そのためには、精神的にも肉体的にも子どもと関わる人自身が器を満たしていないと。
だから自分で選んだことに対して『幸せでいる』必要があると思います。専業主婦、仕事をする女性、いろいろな人が共存するのが社会です。それぞれが輝ける場所で、自分自身のベターバージョン、つまりより良い自分になっていくこと。
子どもも育つ、私も育つ。これがイタリアの子育ての理想とするところです。
私自身、イタリアで子どもを育てる保護者として『子育ては味わうもの』だと思っています。1歳なら1歳なりに、3歳なら3歳なりに、そのときの成長過程において子どもができることは変化していきます。一貫して子どもが自立できるように手伝う、これは子育ての大きなゴールです。
かけがえのないそのときは、戻ってこないじゃないですか。だから子どもといっしょに体験し、楽しむ。感じることを大切にしてきました。子どもがいるからこそ、見えてくる世界があり、与えられる視点があると思っています。そう思うと感謝ですよね。
子どもの視点で世界を見てみると、自分の幼児期を再び生きることができるような気がします。幼児期に忘れ物があったとしたら、子育てを通して自分の忘れ物を拾うことができる。
現代社会はしなければならないことに追われ、すごく忙しいですよね。けれど子どもといっしょに歩いていると、大人が見向きもしないような草花に目を留めたりと、子どもは立ち止まることを教えてくれます。
子どもといっしょに感じる。そのせいか、イタリア人は楽しむことが上手です。ファッションでも指し色使いが上手だったり、美しいもの、楽しいもの、わくわくするものが大好きで遊び心があります。
子育てに反映しているのは保護者の楽しんで前向きに生きる姿勢。私はイタリアの子育てにこうしたポジティブな印象を持っています」
<取材・執筆>KIDSNA編集部
セミナーのお知らせ
ホリステイックな視点から見るモンテッソーリ教育 大橋マキさんとのオンラインでのモンテッソーリ対談です。 親の視点、教育者の視点の両方から五感をフルに使い、自分自身を創造する子ども を支える教育について考案を深めていきます。
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参加費:3300 円
主催 :株式会社アサヒトラベルインターナショナル
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