子どもの意見を聞き「自己決定力」を育むモンテッソーリ教育で、人生の幸福感を高めよう

子どもの意見を聞き「自己決定力」を育むモンテッソーリ教育で、人生の幸福感を高めよう

2024.03.18

日本で行われているさまざまな教育法の中でも、よく知られているもののひとつ「モンテッソーリ教育」。ただ、実際にどんな教育・保育を行っているのかについては、誤解されている部分もあるようです。そこで「吉祥寺こどもの家」で26年間にわたって園長としてモンテッソーリ教育を実践している百枝義雄(ももえだ・よしお)先生に、現場から見たモンテッソーリ教育についてお話を伺いました。

日本で行われているさまざまな教育法の中でも、もっともポピュラーなもののひとつである「モンテッソーリ教育」について、2人の専門家にお話を伺うこの企画。前回の記事「モンテッソーリ教育は「自育」の力を養う。IT社会のいまこそ求められる力とは」では、教育学を専門とする東京大学名誉教授・汐見稔幸先生にモンテッソーリ教育の全体像、世界と日本の比較などについてグローバルな視点から教えていただきました。

続く今回は、いま日本のモンテッソーリ教育の現場ではどんな教育が行われ、子どもたちはどのように育つのかをより具体的に掘り下げます。

お話しいただくのは、東京・吉祥寺で1998年からモンテッソーリ教育を行っている幼児教育施設「吉祥寺こどもの家」の園長であり、モンテッソーリ教師の養成にも携わっている百枝義雄先生です。

百枝先生のプロフィール画像
東京大学教養学部教養学科第一表象文化論分科卒業、日本モンテッソーリ教育綜合研究所教師養成センター卒業、モンテッソーリ教師(3歳~6歳)資格など取得。1998年にモンテッソーリ教育の幼児教育施設「吉祥寺こどもの家」を設立、子どもたちの保育・教育を行う。また2002年度から数年にわたり日本モンテッソーリ教育綜合研究所教師養成センターの実践講師を担当。2012年には新しい時代に対応したモンテッソーリ教師養成機関、モンテッソーリ・ラ・パーチェ トレーニングコースを設立。著書に『「集中できる子」が育つモンテッソーリの紙あそび』(PHP研究所)、『父親が子どもの未来を輝かせる』(SBクリエイティブ)など。

「おうちモンテ」には要注意 ── モンテッソーリ教育への「誤解」とは?

前回の記事でも簡単に説明しましたが、「モンテッソーリ教育」はイタリア初の女性医学博士であるマリア・モンテッソーリによって、1900年代初頭に創始された教育法です。
その特徴は、「子どもたちは、いい環境さえ整えればその子らしく育っていく」という考え方と、その「いい環境」のために用意された多彩なオリジナルの教具だと捉えている保護者の方も多いでしょう。

たしかにその通りではありますが、一方で百枝先生は「いまのよく知られているモンテッソーリ教育には、誤解されている部分もかなり多いのでは」と言います。

「モンテッソーリ教育=頭がよくなるステキな教育、という捉え方がありますよね。たしかに、ここ(=吉祥寺こどもの家)にあるような教具だけ取り上げると、そう誤解されてもしょうがないんです。(一見、幼児英才教育向けのような)『数』『言葉』『理科』『社会』などに関する教具がたくさん揃っている。
だから、『小さい子が、こんな難しそうな内容を理解できるようになるんだ』と思われる」


教具をバックにお話する百枝先生
百枝先生と「吉祥寺こどもの家」のさまざまな教具

「ただ、モンテッソーリの教育法を学んだ僕たちからすれば、モンテッソーリ教育の特徴は『大人が子どもを教育しようと思っていない』ことなんです。
日本語で『教育』というと、やっぱり大人が子どもを教育する、ということになりますが、我々は教える気も育てる気もない。じゃあ誰が教育するのかというと、子どもが自分自身を教育していく、大人はその援助をする。それがモンテッソーリ教育だと思っているんですね」

これは、百枝先生と同じく前回お話を聞いた汐見先生も強調されていた点でした。このように、「子ども自ら育つ」ことこそがモンテッソーリ教育の本質にもかかわらず、一方では誤解されやすい点でもあるということが伺えます。

その「誤解」の一例として百枝先生が挙げたのは、最近注目が高まっている「おうちモンテ」です。
モンテッソーリ教育を自宅で実践しよう、という試みですが、「モンテッソーリ教育の専門機関で行う教育をご家庭で真似するのは無理」だといいます。

「我々が大事にしているのは、子どもたちが『自分で選ぶ』ということです。たくさんの教具の中から、子ども自身が何をするか選ぶ。
ですからもし、ご家庭にこれだけの教具の選択肢を揃えられるなら、『おうちモンテ』もできるでしょう。ですが、親が子どもに『はい、この教具で “おしごと”(=教具を使った活動)しましょう 』と選んで置いた時点で、モンテッソーリ教育ではなくなると僕は思っています。
つまりそれは大人の押しつけになるので、モンテッソーリ教育の大事な要素である『自分で選ぶ』がない、形だけを真似していることになりますから」

では、「おうちモンテ」はすべきではないのでしょうか?
百枝先生は、「園とは別のことをしてほしい」と提案します。

「学校教育と家庭教育とはまったく別ものだと思うんです。大人だって、仕事場と家とでは同じ緊張感ではいられないでしょう? 誰にとっても玄関の外はがんばる場所で、玄関から家の中に入ればそこはくつろぐ場所で、それは子どもも同じ。
だからおうちモンテをするなら、『園とおなじことをやりましょう』というのはやめたほうがいいでしょう。それよりも、おうちで子どもがやりたいことをできる環境をつくってほしい。大人が『やれ』ということをするんじゃなく、子どもがやりたいことに挑戦できる、その経験はすごく大事だと思います」

人の「幸福感」を高めるのは、お金や学歴よりも「自己決定」

ただ、それはもちろんわがまま放題にさせるということではありません。重要なのは、「子どもの意見を聞く」ことだと百枝先生は指摘します。
というのも、それにはれっきとしたエビデンスがあるためです。

「経済産業省が所管する『独立行政法人経済産業研究所』というシンクタンクが出した『幸福感と自己決定―日本における実証研究(改訂版)』というレポートがあります。その研究内で、人が『幸せだ』と感じる要素として大事なものを調べたところ、学歴や所得よりも『自己決定』が大きな影響をあたえていました。
『自己決定』とは、人生の節目節目で自分で選んで決めることができることです。つまり、『本当はこちらの道を選びたくないけれど、親に言われてしかたなく決めた』とか『諸事情やしがらみでこちらを選ばざるを得なかった』といったことがあると、幸福感が下がるんですね。

だから、子どもを大人の言いなりにしようとするのではなく、かといって何でもかんでも『それでいいよ』と子どものいうことを聞くのでもなく、『意見を聞く』ことが大切なのです。そのようにして子どもが自分で決められる力=「自己決定力」を育てていただきたいと思います」

モンテッソーリの園でも自宅でも、「子ども自身がやりたいことを選べる環境を整え、自分で決める力を育む」ことを共通の目的とすれば、子どもが幸せを感じる可能性を高めてあげることができるのです。

ちなみにこの「自分で選ぶ、決める力」に関連して、百枝先生は「エージェンシー」という概念に注目しているそうです。

「『エージェンシー』とはモンテッソーリ用語ではなくて、日本語にしにくいんですが、自分も社会もしあわせになるために、自分自身で何かをしようとする気持ちや、それを実現する力のことです。
たとえば、『能登半島が地震で被災して大変だ』と思うだけではなく、『(自分が)何かしなきゃ』と考えるのがエージェンシー。何ごとも自分ごととして考えて、人任せにせず自分で動こうよ、という意識を伸ばしていこう、ということですね。

このエージェンシーという力は、OECD(=経済協力開発機構)が2030年に向けて教育はどうあるべきかを検討する「Education 2030 プロジェクト」でも重要視されています」

ただ、「エージェンシー」を育む教育は、現在の日本のモンテッソーリ園ではまだ行われていない、と百枝先生は言います。

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「教具は目的にかなった使い方をしなければいけない」という考え方では、創造性は育たない

「モンテッソーリ教育は、基本的に『(創始者の)マリア・モンテッソーリが言ったとおりにしましょう』という考え方なので、(教育の内容や基本的な考え方が)あまり変わらないんです。

同じくOECDが出している書籍(※)によると、アメリカやフランスなど海外のモンテッソーリ教育では、創造性が育成されているという成果のエビデンスが出ています。が、これが日本のモンテッソーリ園でもできているかというと、僕の知る限りではきわめて怪しいでしょう」

 ※OECD教育研究革新センター「創造性と批判的思考――学校で教え学ぶことの意味はなにか」(2023)

特に百枝先生が日本のモンテッソーリ教育について問題視するのは、「教具にはそれぞれ目的があって、その目的にかなった使い方をしなければいけない、目的から外れる使い方は禁止する」というやり方だそうです。

「たとえばこの『円柱さし』という教具です。これは、円柱と穴の大きさを目で見て比べて、同じサイズのものを探していくおしごとなんですが、気の利いた子どもだと1歳児でも、こうやって(円柱を、穴の上をすーっと)すべらせて、円柱が穴に落ちたところが同じ大きさ、ってやる子がいるんです。
これ、すごく賢いじゃないですか。でも、(日本の園だと)目で見て探してほしいからと、『これはそうやるものじゃないよ』『すべらせちゃダメ』って言われちゃうと思う」

モンテッソーリ教具「円柱さし」を使う様子
「円柱さし」のおしごと

「でも、それは大人が望むやり方ではないかもしれないけれど、子ども自身がいろいろやってみて、うまくいけばそれでいい。その『やり方を自分で見つける』ことが大事だ、と考えてくれる大人がいれば、創造性が育つけれども、日本ではそれができていないんですよね」

大切なのは「種まき」と「待つ」こと

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※写真はイメージ(iStock.com/RomoloTavani)

このような、「子ども自身がやり方を見つける」、または「エージェンシーを育む」教育を行うには、子どもに幅広くさまざまなことを実体験させることが大切だと、百枝先生は言います。

「我々はこれを『種まき』と言っていて、うちの園ではほかの園ではやらないような行事を山ほど取り入れるようにしています。モンテッソーリ教育が目指すのは、やっぱり直接体験、実体験。そのためには、もっと体を使ったほうがいいんです。

たとえば、クッキングはしょっちゅうしていて、お餅つき、七夕、焼き芋大会のときにはかならず豚汁をつくるんです。その味噌も、毎年子どもたちが仕込む。
クッキングをすることで、『お味噌も野菜も自分で作ることができる』『でも普段は誰かが作ってくれている、自分はいろいろな人の力に助けられている』『社会は助け合って成り立っている』ということに、子どもたち自身で気づいてほしいんです。

また、毎年年中と年長の2学年の子は、2泊3日で山登りをしていました。コロナ禍以降は日帰りになりましたが、八ヶ岳の南で、標高1,450mの登り口から1,610m地点まで上ります」

山登りでは、2学年連続で登ることで年長の子が年中の子をサポートする、サポートされた子は翌年後輩をサポートする、という「恩送り」が自然と行われるといいます。

料理や山登りといった実体験の他にも、「吉祥寺こどもの家」では先生方オリジナルの教具をたくさん作っているそうです。取材のとき(1月)には、お正月の飾りやお節料理のミニチュアなど、季節を感じさせる手作り教具が並べられていました。

ただ、このような種まきをする際には、「待つ」ことも重要です。

「種をまいたからといって、翌日に果実を食べようとする人はいないじゃないですか。でも多くの親御さんは、少なくとも3か月以内には収穫(=教育の成果)を期待している。
そうではなく、芽は出ないかもしれないけれど、果実が得られるものがあればラッキー、という気持ちで種をいっぱい広げてまくことが大切でしょう。

その点、モンテッソーリ教師は基本的に『(子どもが自分で何かするのを)待ちましょう』『(子どもを)よく見ましょう』というトレーニングを受けているので、モンテッソーリ園ではこの『待つ』ことができている人が多いですね。
教育の成果は、つまるところ『その人がどんな人生を歩むか』『幸せだったと思って死ねるか』だと思いますから」

さらに、いまのモンテッソーリ教育に欠けている「ソーシャル・エモーショナル・ラーニング(=SEL)」なども取り入れる必要がある、というのが百枝先生の主張です。
SELとは、「社会的・情動的学習」「社会感情学習」などと訳される教育法で、自分や相手の感情への理解、自分の感情のコントロール、適切なコミュニケーションの取り方などを身に着け、非認知能力やコミュニケーションスキルを向上させることができるものとして近年注目されています。

「(前述したように)モンテッソーリ教育は、創始されてからあまり変わっていないのですが、そもそもマリア・モンテッソーリは医師でしたから、そのときの最先端の医学知識、生理学知識、教育法などをどんどん取り入れてモンテッソーリ教育を作ったんです。
それを今もやり続けるべきだと思うんですよ。変えるべきところは変える、取り入れるべきものは取り入れていくことが必要でしょう」

園選びは「目」と「声」に注目して

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※写真はイメージ(iStock.com/itakayuki)

もうひとつ、教育の現場に長年携わっている百枝先生にぜひ教えていただきたいことを聞いてみました。それは、「モンテッソーリ園の選び方」です。
子どもをモンテッソーリ園に通わせたいと考えたときに、親は何をポイントとして園を選べばいいのでしょうか?

百枝先生の答えは、「目と声に注目すること」とのことでした。これはモンテッソーリ園に限らず、すべての園選びにも共通して言えることのようです。

「まず『目』というのは、物理的な目の表情のことです。先生がどんな目で子どもを見ているか、あるいは子どもたちがどんな目で先生を見ているか。やっぱりお互いにあたたかい目で見ている園がいいと思います。
中には子どもの目がおびえていたり、先生を避けていたりする場合もありますが、それは先生がえこひいきしていたり、極端な話、虐待していたりするかもしれません。

それと、『声』は先生の声の大きさです。子どもたちは、『この先生が言うことは大事なことだ』『聞いておいたほうがいい』と思えばちゃんと静かにしてくれますから、先生も大きな声を出す必要はありません。
反対に、大きな声を出している先生は、あまり子どもから『いいことを言っている』と思われていないんです。いつも指示・命令している、叱り飛ばしているような人の言うことなんか聞きたくないですよね。だから子どもは無視してしゃべる、そうすると先生はもっと大声になる。

言うなれば、保育も結局は人付き合いなんです。先生も子どもも、人付き合いがうまくいっているように感じられる園がいいと思います」

2024.03.18

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