モンテッソーリ教育は英才教育ではない。誤解されやすいモンテッソーリ教育の目的

モンテッソーリ教育は英才教育ではない。誤解されやすいモンテッソーリ教育の目的

Profile

汐見稔幸(しおみとしゆき)

汐見稔幸(しおみとしゆき)

一般社団法人家族・保育デザイン研究所 代表理事/東京大学名誉教授/白梅学園大学名誉学長/全国保育士養成協議会会長/日本保育学会理事(前会長)

一般社団法人家族・保育デザイン研究所 代表理事 東京大学名誉教授・白梅学園大学名誉学長・全国保育士養成協議会会長・日本保育学会理事(前会長) 専門は教育学、教育人間学、保育学、育児学。自身も 3 人の子どもの育児を経験。 保育者による本音の交流雑誌『エデュカーレ』編集長でもある。持続可能性をキーワードとする保育者のための学びの場「ぐうたら村」村長。NHK E-テレ「すくすく子育て」など出演中。 最近の主な著書 ・『見直そう!0・1・2 歳児保育 教えて!汐見先生 マンガでわかる「保育の今、これから」』2023 年(Gakken) ・『汐見先生と考える こども理解を深める保育のアセスメント』2023 年(中央法規出 版) ・『子どもの「じんけん」まるわかり』2021 年(ぎょうせい) ・『教えから学びへ』2021 年(河出書房新社) ・『今、もっとも必要なこれからのこども・子育て支援』2021 年(風鳴舎) ・『エール イヤイヤ期のママへ』2021 年(主婦の友社) ・『エール プレ思春期のママへ』2021 年(主婦の友社) ・『保育者のためのコミュニケーション・トレーニング BOOK』2019 年(ぎょうせい)、 ・『0・1・2 歳児からのていねいな保育』 全 3 巻 2018 年(フレーベル館) ・『汐見稔幸 こども・保育・人間』2018 年(学研) ・『「天才」は学校で育たない』2017 年(ポプラ社)、 ・『人生を豊かにする学び方』2017 年(筑摩書房) ・『さあ、子どもたちの「未来」を話しませんか』2017 年(小学館)、ほか多数。

子どもの教育法にはさまざまなものがあって、どれを選べばいいのか、どんな子どもに育つのか、よくわからない保護者も多いのではないでしょうか。そこで今回は、著名な教育法のひとつ「モンテッソーリ教育」について、教育学がご専門の東京大学名誉教授・汐見稔幸先生にお聞きしました。

日本で現在行われている教育法といえば、「モンテッソーリ」「シュタイナー」「イエナプラン」「ヨコミネ式」「七田式」などさまざまなものがあります。
しかし、それらの教育にどういった特徴があるのか、正しく理解している人は限られるのではないでしょうか。

そこで、中でももっともポピュラーな教育法のひとつである「モンテッソーリ教育」について、概要はもちろん、現在の課題から今後の展望まで、2人の専門家にお伺いしました。
まず今回はお一人目として、東京大学名誉教授・白梅学園大学名誉学長、日本保育学会会長などを歴任され、日本モンテッソーリ協会が主催する講演会などにも登壇されている汐見 稔幸先生に、世界と比べた日本のモンテッソーリ教育を中心にお話しいただきました。

汐見先生顔写真
一般社団法人家族・保育デザイン研究所 代表理事。東京大学名誉教授・白梅学園大学名誉学長・全国保育士養成協議会会長・ 日本保育学会理事(前会長)。専門は教育学、教育人間学、保育学、育児学。自身も3人の子どもの育児を経験。 保育者による本音の交流雑誌『エデュカーレ』編集長でもある。持続可能性をキーワ ードとする保育者のための学びの場「ぐうたら村」村長。NHK E-テレ「すくすく子育て」など出演中。 主な著書 は『見直そう!0・1・2 歳児保育 教えて!汐見先生 マンガでわかる「保育の今、これ から」』(Gakken)、『汐見先生と考える こども理解を深める保育のアセスメント』(中央法規出版)など。

世界に比べて広がっていない日本のモンテッソーリ教育

モンテッソーリ教具を使う子ども
※写真はイメージ(iStock.com/dusanpetkovic)

モンテッソーリ教育とは、イタリアではじめて女性の医学博士となったマリア・モンテッソーリが1900年代初頭に創始した教育法です。
彼女は障がいのある子どもの治療教育にたずさわる中で、「子どもたちは、いい環境さえ整えればその子らしく育っていく」ということを発見し、独自の教育法を体系的に構築しました。

現在、日本でモンテッソーリ教育を行う幼稚園・保育園では、医師であったマリア・モンテッソーリが科学的な根拠に基づいて考案したオリジナルの教具などを用意しています。
この「教具」や「子どもたちが自ら育つ」という考え方などが、モンテッソーリ独自の特徴と思っている保護者の方も多いのではないでしょうか。

しかし、意外にも汐見先生はこう指摘します。

「『いい環境さえ与えれば、子どもはちゃんと自分たちで挑んで育っていく』というモンテッソーリのやり方、その背後にある子ども観、発達に対する見方などは、実は現在の日本の保育のガイドラインの考え方とはかなり重なっているんですよ。

保育の内容は時代に応じて少しずつ変わっていくもので、1990年ごろに幼稚園教育要領がそれまでの内容から抜本的に変わる大きな改訂がありました。昔は『これを覚えましょう』と強制的に教える方法をとっていましたが、そのやり方では子どもたちが『指示待ち人間』になっていく、という分析がなされた。

そこで、子どもたち自身が『これがおもしろい』『これをやろう』と自主的自発的にどんどんいろんなことに挑んでいけるような、豊かな刺激ある環境を作ってあげる保育が大切だ、というガイドラインになりました」

それはまさに、モンテッソーリの考え方と重なるところがあるといえそうです。
となると、日本の教育界ではモンテッソーリ教育が推奨されそうですが、その点はどうなのでしょうか。

「いえ、モンテッソーリ教育というのは、日本ではそれほど大きく広がっているわけではありません。
日本にはモンテッソーリの『幼稚園』や『保育園』はありますが、モンテッソーリの考え方をベースにしてカリキュラムを作っている『小学校・中学校』は正式にはゼロです。モンテッソーリ小学校やシュタイナー小学校を普通教育として設立するということは、国がまだ認めていないんです」(汐見先生)

たしかに、日本で「モンテッソーリ」というと幼児教育のイメージが強いかもしれません。
なぜモンテッソーリの学校が認可されないのか、そこには戦後の日本の歴史がかかわっていると汐見先生は言います。

「日本は明治時代に後進国として出発して、先進国に追いつき追い越せという意識でやってきましたよね。それを主導していたのが、日本の場合は圧倒的に国だったんです。すべてのことは国で決めて、それを下におろしていく。そのほうが効率的だということで、中央集権的に進めてきた。

そのやり方がまだ残っていて、教育においても『国が考えた学校のモデル』を守っているんです。日本の制度は、『住民を信頼して住民が自分たちで作っていく、それを国が応援する』というようにはなっていないんですね」(汐見先生)

一方で、「世界にはそれとはまったく対照的な国もある」とも言います。

「たとえばオランダなんかは、親たちが学校を作ることができます。住民が『こんな学校を作りたい』という理念をまとめて、それを自治体が『いいですね』と認めたら、いろんなタイプの学校を作ることができる。
運営しているのは親ですが、先生のお給料などは全部自治体から出るので、親が払う必要はない。
そうして作られた学校の中でいちばん多いのが、モンテッソーリの小学校です。

それから、アメリカではモンテッソーリが広がっているんです。
ご存知だと思いますが、モンテッソーリというのは幼稚園や保育園だけじゃなく、むしろその先の小学校・中学校・高等学校がおもしろい。
たとえばオバマ元大統領やクリントン元大統領などの政治家や、学者にもモンテッソーリの小・中学校を出ている人がたくさんいます。
『Google』などは最初に会社を作ったメンバーたちがモンテッソーリの学校出身なので、入社面接で『モンテッソーリの学校だった』というと優遇されるという噂があるくらいです(笑)。

そういう意味で、小学校以降のモンテッソーリ教育というのは、僕はとってもおもしろいと思っているんですが、残念ながらまだ日本には正式にはありません」(汐見先生)

日本でも「モンテッソーリ小学校・中学校」が認可される可能性

教室内のモンテッソーリ教具
※写真はイメージ(iStock.com/FatCamera)

とはいえ、汐見先生がおっしゃるように、現在の日本の幼稚園教育要領をはじめとした国の教育方針がモンテッソーリの「子どもが自ら育つ」という考えに近いのであれば、この状況も変わるかもしれません。

「実際に僕は、『モンテッソーリの学校をぜひ作ろう!』という流れがもうすぐ始まると思うんです」(汐見先生)

日本の場合、不登校の問題へのひとつの解決策としてモンテッソーリ教育の学校を作ることが検討されているそうです。

「日本の学校は不登校の子供たちを30万人も出していて、『あんな学校には行きたくない』と言っている子どもたちが非常に増えてきている。ですから、『もっと魅力的な学校を作る』ということが、いまの教育のテーマになっています。

そこで僕ら(=汐見先生が共同代表を務める『多様な学び保障法を実現する会』など)は、『いろんな(学びの)選択肢がある学校制度を作りたい』という意味で、『オルタナティブ学校』というのを提案したんです。
すると、いま石川県知事をなさっている馳 浩さんが文部科学大臣になったとき(2015年)に、『応援しましょう』と動いてくれて、国会で『オルタナティブ学校法案』というのを出しました。

それで、『教育機会確保法』という法律ができて、フリースクールや夜間中学についてはある程度認めるということが明記されたんですが、残念ながら、『なんで学校に行けない情けないやつのために、税金を使わなきゃいけないんだ』という議員さんがまだいるんですね。
『(モンテッソーリを含めた)オルタナティブな学校も、条件さえ揃えば正式な学校として認める』ということまでは法律に盛り込むことができなかった」(汐見先生)

子どもたちが学ぶ場の選択肢は少しずつ増えているけれども、もし「幼稚園がモンテッソーリでとてもよかったので、小学校以降も続けたい」という保護者がいても、日本ではまだ難しい、というのが現状のようです。

「モンテッソーリ学校やシュタイナー学校といったちゃんとした理念のもとに運営している学校で、訓練を受けた人が教師をしているのであれば、ちゃんとした学校として認めるような制度にしていこう、というのが、僕たちの次の課題になっています」(汐見先生)

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「決まった方法どおりに『おしごと』をしなければモンテッソーリではない」という考え方は、本来のモンテッソーリの「自育」に反する

モンテッソーリの教具いろいろ
※写真はイメージ(iStock.com/FatCamera)

また、国の教育制度の問題とは別に、モンテッソーリ教育自体の現場が抱える問題もあるそうです。
それは、「方法主義にこだわりすぎる」(汐見先生)こと。

マリア・モンテッソーリが提唱した「子どもは自ら育つ」という「本質」よりも、「教具を使って活動(日本のモンテッソーリ教育では『おしごと』と呼ばれる)をする」ときの教具の示し方、扱い方を定番のようにつくり、そのやり方=「方法」にとらわれている園や教師が多いというのです。

「モンテッソーリには独自に開発された教具もたくさんありますので、それを使った教育の『方法』を共有しているのがモンテッソーリだ、と思われがちです。ですが、モンテッソーリには元来『方法が大事』という考え方はありません。
『子どもは、優れた文化的な環境があれば、自分でいろんなものに挑んで、自分で自分を発達させていく』もので、これを私は『自育的教育=自分で自分を育てる』と言っています。

もちろん、教具は大いに活用していいんです。ただ、『決まった方法のとおりにやらなければモンテッソーリではない』というのは考えが固すぎる。それではモンテッソーリ教育は、貧しい地域では広がりません。もっともっと豊かな教材を、(教師が)自分たちで開発したらいいんです」(汐見先生)

これについては汐見先生の見解にとどまらず、モンテッソーリ教育を行う人たちの中からも警鐘を発する声が上がっているそうです。

「日本だけでなく、世界モンテッソーリ協会でもこれ(=方法主義)を問題視しています。
『世界のモンテッソーリ学校の中で、方法ばかり大事にして “なぜそれをやるか” ということをあまり議論しないところが増えている、これは困ったことだ』として、協会では、形式主義にこだわった教育は本当のモンテッソーリ教育ではないということを発信する活動もしています」(汐見先生)

モンテッソーリ教育を行う幼稚園・保育園にはたしかにさまざまな教具がありますが、先生も保護者も、「この教具の次はこの教具」「この教具の扱い方はこれしかダメ」と決めつけてはいけない、ということでしょう。
もし大人が子どもに「こうしなさい」「これが正しい使い方」と強制してしまえば、それはモンテッソーリ本来の「子どもが自ら育つ」こととはむしろ正反対の教育になってしまう恐れもあるかもしれません。

IT社会でこそモンテッソーリの「自育の力」が重要になる

ホログラムの地球を見つめる女の子
※写真はイメージ(iStock.com/metamorworks)

ただ、モンテッソーリ教育の未来にはもちろん希望や期待もあります。
汐見先生によると、IT社会においては、モンテッソーリ教育によって身につく「自育の力」や「手技・足技」が重要になるそうですが、それはどういう意味でしょうか。

「IT社会はとても便利な社会で、人間がやっていた面倒なことを人工知能を搭載した機械が全部やってくれます。自動調理器があれば、自分で料理を作らない人も出てくるでしょうし、自動演奏ピアノがあれば、ピアノが弾けなくても演奏を楽しめる。
でも、そういう文化が進めば進むほど、人間が自分で考えて自分で努力して、自分で成し遂げるというシーンが減っていくわけです。

これまでは、いろいろな課題があって、人がそこから逃げずに『こうしたらいいんじゃないか』『ああしたらどうだろうか』と考えることで文化を作ってきたし、そのほうが人間としてのよろこびが大きい。
そういう意味で、IT社会・AI社会になっていくと、すべてを機械に任せて生活はできるようになるけれど、そういう社会で生きている人間が『しあわせだな』と感じるチャンスはどんどん減っていくでしょう」(汐見先生)

便利さと引き換えに、困難を乗り越える機会や、そこから得られるよろこびが減ってしまう、という予測です。

「だからこそ、自分の体を動かして、手作りでいろんなものを作ったり、人とかかわって人の世話をしながら生きていく社会、機会をもっと増やしていく必要がある。
その点でモンテッソーリというのは、『自分たちで調べて自分たちで答えを見つける』という教育ですから、幼児期から自分で何かをする技がしっかり身につくだろうことは間違いないでしょう。

ですから今後は、マリア・モンテッソーリが考えていた『子どもは自ら育っていく存在で、そのための文化的な環境をどれだけ用意できるかが教育ではもっとも大事』という原点をしっかり学んで、モンテッソーリとおなじような教育を実践する学校がどんどん出てくればいいですね」(汐見先生)

モンテッソーリ教育は「幼児英才教育」ではない、「人が自ら成長する力を身に着ける」ための教育

虫眼鏡で植物の苗を見る女の子
※写真はイメージ(iStock.com/Natee127)

汐見先生のお話しでわかったのは、モンテッソーリ教育は「教具を使った幼児英才教育ではない、人が自分で学び成長していく力を身に着けることを目標としている教育だ」ということでした。
ただ、「自分の成長」だけにフォーカスするのもまた本質から外れるようです。

「モンテッソーリ教育では、『自分だけがしあわせになればいい』という考えはないんです。歴史や社会というものを、みんながしあわせになっていく方向に向けていく、それが大事だということをしっかり学ぶ。モンテッソーリ教育を受けている人には、そういう哲学があります」(汐見先生)

このことが、モンテッソーリ教育から数々の著名な政治家、実業家、研究者などが生まれているひとつの理由なのかもしれません。

2024.02.16

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