【木村草太】未来に自由という権利を引き継ぐために

【木村草太】未来に自由という権利を引き継ぐために

子どもをとりまく環境が急激に変化し、時代が求める人材像が大きく変わろうとしている現代。この連載では、多様化していく未来に向けて、これまで学校教育では深く取り扱われなかったジャンルに焦点を当て多方面から深掘りしていく。今回は、憲法学者の木村草太氏に話を聞いた。

前編では、子どもたちに身近な学校のルールを例に、日本国憲法第3章で保障された自由と、それを制限することのできる公共の福祉について憲法学者の木村草太氏に聞いてきた。

「校則や制服、運動会の組体操には法的根拠がない。子どもたちの自由を制限するルールを作るなら、学校の側こそが『教育のための権限』と『施設管理の権限』に沿ってルールが必要である理由を説明しなければならない。

その上で、学校内であっても、一人ひとりが選択したことは尊重されるべきだし、学校の説明がおかしければ声を上げること。これは、憲法のデフォルトは“自由”である、という前提があるからです」と木村氏。

ではなぜ、憲法は「自由」を保障するのか。

1980年神奈川県生まれ。東京大学法学部卒業。同助手を経て、現在、東京都立大学法学部教授。専攻は憲法学。『報道ステーション』でコメンテーターを務めるなどテレビ出演多数。著書に『憲法という希望』(講談社現代新書)、『ほとんど憲法 上・下 小学生からの憲法入門』(河出書房新社)など。
1980年神奈川県生まれ。東京大学法学部卒業。同助手を経て、現在、東京都立大学法学部教授。専攻は憲法学。『報道ステーション』でコメンテーターを務めるなどテレビ出演多数。著書に『憲法という希望』(講談社現代新書)、『ほとんど憲法 上・下 小学生からの憲法入門』(河出書房新社)など。

保障されているからこそ人権を意識しない日本人

――海外在住の方に取材することもよくあるのですが、日本が特に子どもの権利に関しての自覚や主張が少ないと感じます。

「憲法が国民に保障する人権とは、『人間が人間である』というただそれだけの理由で保障される権利。『その人が社会の役に立つから』という理由で保障されるものではなくて、どんな人にも自由が保障されます。

しかし、やはり学校教育では子どもの権利は重視されていないように思います。道徳の学習指導要領を見ても、権利について一応教えてはいるのですが、義務とセットにされるなど、相対化されていろいろある価値の中のひとつといった位置づけがされていますね。

権利も大事だけれど、地域の調和とか、伝統を守ることも大事だよね、なんてことをいったのでは権利の意味がなくなってしまう。本来は、まずきちんと権利をすべての人に与えて、それが尊重されなければならない。その上で地域社会をつくったり伝統を守っていくことが大切。そういう順番にしないといけないです」

――義務を果たさないと権利を主張できない、ということではなく、逆に、権利が尊重された上で、義務が発生するという考え方ですね。

木村草太氏

「だいたい憲法というのは困った時に出てくるものです。日本はわりと人権保障が高い国なので、人権についてあまり意識しなくても済んでいるんですよね。

日本は人権保障が高いといわれて疑問に思う人もいるかもしれません。でも、世界に目を向けると、好きなテレビを観られる、好きな本を読める、好きなことをインターネットに書き込めるといった、『思想・良心の自由』や『表現の自由』が保障されている国ばかりではありません。

憲法第3章の定める自由権は手厚く保障されていて、我々にとって当たり前の生活を支えています。ただ、普段は意識しなくとも、困った局面では憲法が意識される。

 

たとえば、コロナ禍で学校が一斉に休校になりました。休校は、感染症から身を守られるという権利を守る一方で、教育を受ける権利を奪ってしまいかねません。

健康だけではなくて、教育機会も守らなきゃダメでしょうという話をするためには、憲法に立ち戻って、子どもの教育を受ける権利を持ち出さなきゃならない。

iStock.com/ake1150sb
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他に学校の憲法問題として大きいのは、PTAです。最近はだいぶ改善されてきましたけれど、強制加入をとっているPTAは結構あって。保護者の方々の中には『拒む権利はない』と思っている方も多いと思いますが、実は、拒む権利があるんです。

憲法は、好きな団体を作る『結社する自由』だけでなく、自分の望まない団体に入ることを強制されない『結社しない自由』も保障しています。加入強制は学校からもPTAからもできない。最近は、やめたいなと思った方が調べるとすぐに任意加入だと分かるので、『やめます』と意思表示する方もいると聞きます」

――世界の国々に比べると、日本の人権保障が高いということは、私たちは困ったときにしか人権について思い出さないほど、当たり前になっているということですよね。

「そうですね。先ほど、海外の方々は子どもの人権に対する意識が高いとおっしゃいましたが、子どもの基本的人権を国際的に保障するために『子どもの権利条約』が定められています。

それには、生きる権利、育つ権利、守られる権利、参加する権利などが定められています。1898年の採択以来、世界の5歳未満の子どもたちの死亡率は低下し、危険な労働を強いられている子どもの数も減少しています。

子どもの権利や自由といった観点から日本を見たとき、日本は最近きつくなってきているのかなと感じます。たとえば本やおもちゃの売り場に行くと、“知育”という文字をよく見る。工夫された商品がいろいろあるのが魅力的な一方で、『勉強になる』というエクスキューズをつけないと、子どもは遊ぶこともできないのか、と思うんです。

iStock.com/Rawpixel
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何の目的もなく遊ぶことは、子どもにとってとても重要です。楽しいというだけでいいはずなのに、『競争社会なのだから、子どもの時間を1秒たりとも無駄にしてはいけないんだ』という空気では、子どもたちは遊んだり休んだりしにくくなってしまわないかなと。

日本国憲法は、大人も含めた国民の権利を定め、それが子どもにも適応されるという形なので、子どもにフォーカスした内容はあまり書いていません。『子どもの権利条約』と併せて読むと、子どもだからこそ意識的に守らなければいけない権利があるということ、たとえば、レクリエーションが権利なんだ、などと具体的にイメージできると思います」

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親が見せているものが子どもの常識になっていく

――日ごろから、親が意識してできることはありますか。

「まずは親が姿勢を見せることが大切ではないですかね。たとえば、憲法は家庭内の男女平等を定めていますが、子どもには他の家の中がどうなっているかということは分かりにくいので、自分の家の常識が子どもの常識になっていくと思うんです。

いつもお皿洗いをしているのがお母さんだったとしたら、お皿洗いはお母さんの仕事だなと子どもは思うでしょうし、逆に日ごろから、夫婦で手分けしてやっていたらそれが普通だと思うだろうと。

日ごろから親が見せているものが子どもの常識になっていくという感覚は、とても大切だと思います。

iStock.com/byryo
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日本で育つと、小学校、中学校くらいまでは、あまり意識しなくても比較的男女平等が実現されていると思いますが、大学入学のころになると、女性は理工系が苦手だといわれたりする。医学部に至っては、女性を入試で不利益に扱うといったことが問題になりましたね。

このように、大学生から社会人になる段階では、男女の不平等を意識せざるを得ない場面が増えていく。そうした状況を変えていくには、子どものころから人権を意識できる方がいいと思います。

より人権が守られる社会をつくっていくには、歴史を知ることが重要です。たとえば、つい100年前まで女性に選挙権がないことは常識でした。それを変えるために人々がたくさんの努力をしたからこそ、いまの社会があるんだということを知ること、そして、今でもさまざまな問題が残っているから、これからもみんなでがんばって改善していこうとすることが大事です」

――憲法が何のためにあるのか、ということですね。

木村草太氏

「現在の日本国憲法が1946年に制定され、天皇を中心とする国家から、国民主権の国家になりました。1889年の大日本帝国憲法を改正するという形をとっていますが、国の基本的な枠組みを変更するものですから、これは革命ともいえます。

現在の日本国憲法では、天皇のできることはとても限定されていて、第1章4条には天皇は国事行為しかやらないと書いてある。それには歴史的背景があります。

前の憲法の時代には、天皇に権力を集中したせいで、民主主義や人権保障が十分にはできなかった。このことを反省して、天皇の行為は、国民の代表が選んだ内閣がコントロールしようということになったのです。

日本国憲法の第1章が『天皇』からはじまっているのは、天皇はあくまで象徴であって、主権者は国民だと宣言するためです。

このように、憲法の最初の条文には、その国が一番大事だと考えていることが書かれることが多い。たとえば、ナチスでの過酷な人権侵害を反省したドイツの憲法には、第1条で『人間の尊厳』が書かれています」


第四条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。

出典:衆議院ホームページ(http://www.shugiin.go.jp/)

努力をやめると権利や自由は削られていく

「戦後75年ですから、私の親世代にあたる方々ですら、戦争を生きた世代ではないと思います。ですから比較的自由な時代しか経験したことがないと思いますが、その自由が当たり前ではないことを分かってほしいです。みんなが努力して獲得した権利であると。

もちろん、今でも足りないことはいろいろあります。自由の保障は、なんの努力もなく維持できるものではない、ということを意識してほしいですね。

私のイメージでは、我々の社会は、下りのエスカレーターを努力して反対方向に上っていっているようなものです。放っておいたら、どんどん下がってしまう。だから、なかなか良くならないなと諦めるのではなく、努力してここなんだという感覚を持ってほしいです。

努力したけど何も変わらなかったなと努力をやめてしまうと、権利や自由はどんどん削られてしまうのです。努力をしないと、どんどん下がっていく、現状維持だけでも大変なんだ、ということ。もっと改善しようと思ったら、もっともっと努力しなくてはいけないのですね。

だから、未来の子どもたちに、今の自由な社会を引き継ぐためには、我々も努力を続けなくてはいけない」

 

――その努力の一環としてできることは、やはり人権を侵害されていると思う事柄に声を上げていくことなのでしょうか。

「ええ。それは特別なことではなくて、権力者にきちんと関心を向けること。政治についてのニュースに興味を持ち、選挙に行き、子どもたちに権利のことをきちんと教えるのが大事です。

iStock.com/maroke
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また、自分の自由を最大限に満喫することも大切です。自由は、誰かが行使しておかないと、他の人も行使しにくくなりますから、遠慮しないでください。

たとえば、みんなが遠慮して迷子センターを利用しなくなると、人々は迷子センターに行くのは恥ずかしいと思うようになってしまいます。それでは困りますから。迷子になったら、助けを求めて迷子センターにちゃんと行く、ということはとても大切です。

ほかにも、収入もなくて、生活が苦しくなったら、躊躇せずに国に頼る。学校が休校で教育を受ける権利が保障されない、となったときに、『ちゃんと教育を受けられるようにしてくださいよ』と声を上げる。そんなことの積み重ねが大事ですよね」

 

――子どもたちが憲法をきちんと読んでみる機会もつくりたいですね。

「条文をそれだけ読んでもあんまりおもしろくないでしょうから、『どんな場面で使う条文なんだろう』『どんな意味があるんだろう』と一緒に考えてほしいと思いますね。

憲法には、『国家が過去にしてきた失敗を繰り返さないようにする』という大きな目標があります。条文の背景には、国家の気に入らないことを主張する人を逮捕したり、天皇に権力を集中させて失敗したりといったことへの反省があります。その条文ができた背景を想像しながら読んでみると、憲法制定時の日本の人々の気持ちが分かってくるかもしれません。

あとは、憲法は『悪い奴がいる』っていうのを前提に作られているということを意識してほしいです。たとえば、憲法には『選挙運動の自由』が定められていますが、これは野党に選挙運動をさせずに、自分の優位を維持しようとしていた時代が実際にあったから。

また、国会議員が逮捕されない『不逮捕特権』は、政府に不都合な質問をする国会議員を逮捕していた時代があったから。

ちょっとやりにくいかもしれませんが、なんでこんなルールができたのかなと考える時は、ちょっと悪い人の気分になってみるといいと思いますね。どんなに悪だくみをしようとしても、憲法によってできないようになっているんだ、ということが分かります」

日本国憲法が最高法規とされているのは、憲法97条に「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に耐え、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」と定められているからだ。

ここにある通り、これまでの人類の努力の成果である人権を、子どもたちの将来にも受け継ぐため、親として、保障された権利や自由を守り続ける努力をしていかなければならない。

木村草太氏

<取材・撮影・執筆>KIDSNA編集部

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