教育熱心はどこまで?
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不安定な社会情勢やSNSなどを通じて得る過剰な教育情報によって、子どもの教育に奔走し、過干渉な子育てをする親が増加しています。行き過ぎた「教育熱心」が及ぼす危険性とは?そして子どもを疲弊させないために、親がどうあるべきか、各専門家に取材しました。
〜第一子が生まれたころのわたしの気持ち〜
2019.05.14
「子どものこころが穏やかに育つ魔法の育児法」のタイトルで40000人以上、Facebook公式ページには20000人以上の読者を持つ、作家/子育てアドバイザーLICOさんの連載コラム第一回です。
第一子である娘が生まれたのは、今から約9年前の秋のことです。予定日より2日早いその日の朝、陣痛で目が覚めたわたしは母に付き添ってもらい、病院へ行きました。
入院後、妹や父もお見舞いに来てくれたけれど、痛みに翻弄されていた間の記憶はあまりありません。昼過ぎからはパパもかけつけてくれました。とはいえ、こちらも何をしてもらったか正直あまり覚えていません。とにかく、陣痛が始まってしまった以上、わたしは『あ、痛いのでもうやめます』なんて気軽に言うことのできない、誰も代わってはくれない、投げ出すことのできない扉が開いてしまったような気持ちを抱えていました。
もうどんなに痛くても突き進むしかない。そんな緊張感の真ん中にいたと思います。
陣痛が始まってからは自分が何かをする必要なんてなくて、次から次にわたしの体に、勝手に変化が起こりました。それはわたしの意思なんておかまいなしに、等間隔で押し寄せる娘の「生まれたい」という衝動のようでした。
10ヶ月の間このお腹の中にいたひとつの命が、わたしとは違う意思をもった存在だということを強く感じた瞬間でした。だって本当にびっくりするくらいわたしの意思とは無関係にわたしの体がトランスフォームしたし、それに、びっくりするほど痛かったから(笑)。
わたしが3回の出産を経て感じるのは、親が子どもを産んでいるのではないのだということです。
子どもが生まれよう(前に進もう)とするのを、いちばん近くで、ほんの少し支えるだけでいいのだということを、出産ひとつとっても、今なら感じることができます。
そもそも子どもには生きようとする力、前に進もうとする力が備わっています。それは、お母さんのお腹から出てこようとする瞬間も、この世界に出てきたその後も。
びっくりするくらいの痛みと共に生まれてきてくれた娘は、びっくりするくらい可愛い赤ちゃんでした。小さな手でわたしの指をキュッと握ってくれたときは、それだけで、嬉しくて涙が出ました。
自分は、天使を産んだんだと本気で思いました。
そんな天使を生んだというのに、当時の私は初めての育児ということもあって
「どうしたら素敵なママに見えるか」
「どうしたら“みんな”が“いい”と思ってくれるか」
と、妊娠中から無意識にそんな情報を探し集めていました。
こうしたらきっと素敵なママに見えるはずという、誰に向けたアピールなのか、そんな空虚なことに支配され、途方に暮れていました。
振り返って考えてみると、このときのわたしの思考のクセに、子ども時代から結婚当初までのわたし自身の偏りがあったからだと今ならわかるのですが。けれど、私はそんなことに気づかぬまま、初めての子育てを始めることになります。
――そして、自分の感情が崩壊する出来事が起きたのです。
お読みいただきありがとうございます。
このお話の続きは、また次回に。
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