#02 まっすぐな瞳
〜初めての子育て、笑顔と涙〜
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作家/子育てアドバイザー
作家/子育てアドバイザー
作家/子育てアドバイザー。「子どものこころが穏やかに育つ魔法の育児法」のタイトルで40000人以上、Facebook公式ページには20000人以上の読者を持つ、京都在住アメーバオフィシャルママブロガー。 「子育てを大変だと感じる本当の理由」「夜泣きするきみへ」「ママの毎日」などの記事が爆発的な人気となり、シェアがネット上で120万を超えるなど、その等身大の育児観は圧倒的な共感を呼ぶことに。 各種キュレーションサイトの2015年上半期アクセス数ランキングにおいて、ブログ記事が殿堂入りを果たす。ブログを通じてつながったママ達へのアドバイスが話題となり、各方面への講演会出演依頼が続出。2019年4月現在、8歳の娘、6歳、4歳の息子を育てながら、講演活動、育児雑誌や育児サイトなどへの記事連載など幅広く活動している。 著書に『おだやかママの幸せ子育て法』(シリーズ2冊)、『不安なあなたがゆっくりラクになるメッセージ』(すべて主婦の友社刊)。
「子どものこころが穏やかに育つ魔法の育児法」のタイトルで40000人以上、Facebook公式ページには20000人以上の読者を持つ、作家/子育てアドバイザーLICOさんの連載コラム第2回です。
前回こちらで書いたように、わたしの初めての子育ては決して、笑顔と幸せばかりに満たされたものではありませんでした。どちらかというと、他人を意識して、体裁のようなものを気にしていたように思います。
そして、産後、わたしはノイローゼのような状態になったのです。
いちばん辛かったのは、娘が夜になっても全く寝てくれないこと。
夜が来るのが怖くて、毎日空が紫色になってくると娘を抱きながら憂鬱になりました。それなのに、わたしは誰にも「辛い」と言うことができなかったのです。
「これくらいできて当たり前だ」
「親になったのにできないなんて恥ずかしいことだ」
そうやっていつも誰かの目を気にしていました。
当時のわたしは不安なことがあれば携帯で検索し、検索しては無機質な画面の中に浮かぶ見ず知らずの赤ちゃんと自分の娘を比べ、比べては一喜一憂し、また不安なことを見つけては検索し……というループに迷い込んでしまっていたように思います。
初めての子育ては心配なこと、わからないことだらけ。そしてわたしは娘に、ネットの中にいる赤ちゃんのように、泣かずにたくさん寝てくれる子になってほしいと願うようになっていました。
産後2ヶ月。
里帰りも終え、仕事でほとんど家に帰らないパパには一切頼れず、わたしは孤独でした。
そんな中、朝も昼も夜も15分おきに起き、泣き止まない娘を前に、ある時頭の中に張り詰めていた糸がプツッと切れ、限界まであふれた何かがぶわっと決壊しました。
次の瞬間、わたしは泣き止まない娘を、ベッドの上にぽんと放ったのです。ふかふかの羽毛布団の上に放ったのは、娘が怪我をしないぎりぎりのところで何かがブレーキをかけたのだと思います。わたしを一瞬制御したあの力が、理性なのか母性なのか今でもわかりません。
でも、何かが決壊したあの瞬間の、全身の毛が逆立つようなコントロールできない「怒り」の感覚を、今でも怖くて忘れることができません。
放られた布団の上で泣き続ける娘の顔を、ボロボロ流れる自分の涙で見ることが全然できなかった。けれど、頭も顔もぐちゃぐちゃのまま、「……ごめんね……ごめんね」とつぶやきながら抱き上げ、おばあさんみたいに力なく、背中を丸くして座り込みました。
そして、腕の中におさまる娘に顔をうずめながら、彼女と一緒に、声をあげて泣いたのです。
ひとしきり泣いた後、わたしは娘を抱いたままリビングへ移動しました。ぐちゃぐちゃになった自分の顔を拭うために。
わたしが泣き止み、立ち上がり、歩き出すと、それまで一緒に泣いていた娘がふっと泣き止みました。そして、わたしのほうをじっと見ているのです。
「ごめんね。ママ、たくさん泣いちゃったね」と鼻声で娘に語りかけると、娘はその澄んだ目でずっとわたしの目の奥を見ていました。
その時、劇的な何かが起きたわけではありません。でも、確かに、娘とわたしの間に何か通い合うものがあったように思います。
わたしは娘に見つめられたまま、「あ、わたしも泣いていいんだ」と思ったのです。こんなに泣いてしまったわたしでも、娘にとってはただひとりのママ。娘への愛おしさを改めて感じました。
それからも、娘の成長と共に、娘の笑顔や娘の存在に救われたことは数え切れません。
眠れないことは辛いことでしたが、あの時のわたしは「眠れなくて辛いことを誰かと共有できないこと」が苦しかったんじゃないかと、今は思うのです。
そしてその誰かは、他でもない、共に生きていこうと約束したはずのパパであって欲しかった。いちばんそばで助けてもらいたい人に頼れない(と思い込んでいた)というのは、単に眠れないことよりも、もっと辛く、さみしいものでした。
その気持ちを直接パパに伝えるには、当時のわたしはまだ未熟でした。
あの時素直に甘えることはできなかったけれど、娘と一緒に泣いた後に感じた「わたしも泣いてもいいんだ」という柔らかい逃げ道を持てたことで、わたしはその後、少しずつ自分の感情と向き合えるようになっていきました。
つづく。
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