教育熱心はどこまで?
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不安定な社会情勢やSNSなどを通じて得る過剰な教育情報によって、子どもの教育に奔走し、過干渉な子育てをする親が増加しています。行き過ぎた「教育熱心」が及ぼす危険性とは?そして子どもを疲弊させないために、親がどうあるべきか、各専門家に取材しました。
〜親になっていく私の変化〜
2019.05.28
「子どものこころが穏やかに育つ魔法の育児法」のタイトルで40000人以上、Facebook公式ページには20000人以上の読者を持つ、作家/子育てアドバイザーLICOさんの連載コラム第3回です。
子どもが生まれた瞬間に(お腹に子どもの命が宿った瞬間とも言えますが)、わたしは「親」と呼ばれるものになりました。
でも、自分の肩書き(?)は突然「親」になったものの、わたしの中身や価値観や考え方が急にガラッと変わったわけではありませんでした。
わたしは「『親』という肩書きを背負った、子育てのいろはをまだ何も知らない、ただの25歳」でしかなかったのです。
中身は独身の時や夫婦二人で暮らしていた時の感覚が抜けていないことも多々あったように思います。そして、その現実とのギャップにイライラしたり、落ち込んだりすることもありました。
たとえば、子どもがいることで、自分の食事をゆっくり座って満足に食べられないことに戸惑ったり、飲み会に気軽に行けるパパにイライラしたり、何度もおしっこ漏れ、背中漏れしてしまうオムツ替えにうんざりしてしまう瞬間もありました。
外出先で子どもを抱っこ紐で抱えたままする自分のトイレは本当に大変だったし、たまに出かけたレストランでも子どもがおしっこをすればオムツを替えに席を立ち、替えて席に戻ると今度はすかさずうんちをしてまたすぐに替えに戻ったり。
時にはオムツを替えて席に戻れば今度はおっぱいを欲しがって泣き、授乳室で授乳して席に戻るとおっぱいを飲んで満足してまたうんち。またオムツ替えに席を立つ……。今思えば、その時々で子どもの体内リズムや起こしやすい行動があったはずなのだけれど、子育て初心者の当時は何をしても要領がつかめず、そんな毎日に落ち込むこともありました。
それまでの1人の時間は、自分自身を、自分の思うようにコントロールすることができたのに、急にそれができなくなったように感じたあの頃。
奪われたように感じた時間の一つひとつは小さなことだった。でも、24時間365日休みなく続くとなると苦しかった。あの頃の非効率でコントロール不可能な日々の感覚は、裏面にたくさんの傷がついたDVDを再生している時のフラストレーションに似ている気がします。
自分はどんどん先を見たいのに、先に進めたいのに、ちょっと進んでは止まり、そのまま動かなくなり、急に動いて「お? 今度はスムーズに進むかな?」と思ったら、いいところでフリーズしちゃう、あの感じ。
もーーーーー!! って言いたくなるような、あの感じ。
こんな風に、まるでヤドカリのお引越し途中みたいに、まだ体も心も半分「母親」に移行しきれず、独り身の頃の身軽さを引きずってしまう瞬間もありました。
そんな子育て初心者の私が、どうやって今のような
「まぁいっか」
「なんとかなる」
「あなたがいてくれればそれでいい」
と思えるようになったかというと、それは、私が変わったのではなく、子どもと一緒に過ごした時間が私を変えてくれたように思うのです。
オムツの背中漏れの失敗もたくさんしたし、眠ってくれない子どもを抱えて悩んだり、離乳食を食べてくれない子どもにイライラをぶつけてしまったことも。
でも、元気がない私の顔を覗き込んで一生懸命笑わせようとしてきたり、どんな時も「ママ、ママ」とまっすぐに私を見つめ、一点の曇りもない愛を注いでくれる子どもたちとの、タイトルもつかないような何でもないような日々の積み重ねが、私にたくさんのことを教えてくれました。
その結果、子どもを持つ前と持った後では、世界の見え方がガラッと変わったのです。
人の見え方も変わりました。
自分の見え方も変わりました。
それまで沸いたこともないような感情が、自分の中を満たしていきました。
こうして、自分の中の「母親」という経験値が増えていくたびに、幸せの価値観が大きく変わっていくことに。子育てに限らず、力を抜くという意味がわかるようになりました。
誰かに自分の理想を押し付けていないかを意識できるようになってから、愛するとはなんなのか、許すとはなんなのかを感じることができるようになったのです。
そして、子育てをして起こるあれもこれも、子どもがいてくれる喜びの上にある悩みであり、笑いであることを、忘れずにいたいと思うようになりました。
親が子どもと向き合うこの時間をどう過ごすかが、子どもの未来を創っていく。
わたしは自分の幼少期の経験から、そんな実感を持っています。今のわたしが、
「子どもの立場に立ち、子どもの思いを想像すること」
「子どもに伝わりやすい愛の言葉を選ぶこと」
「子どもの気持ちを聴くこと」
という思いに迷いがないのも全て、パパとの間のわだかまりや、自分自身、母親とのわだかまりに向き合えたからこそのことです。
わたし自身の子育ての価値観、幸せの価値観をどう育てていったかは、また次の機会に。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
つづく。
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