【スポーツ王の育て方】大畑大介 ~世界の翼 通算トライ数世界記録を持つ元ラグビー日本代表

【スポーツ王の育て方】大畑大介 ~世界の翼 通算トライ数世界記録を持つ元ラグビー日本代表

KIDSNA編集部の連載企画『スポーツ王の育て方』。#03は大畑大介氏にインタビュー。高校・大学在学時より日本代表に選ばれ、「世界の翼」と呼ばれた。世界記録を打ち出した彼はどのような教育を受け、どのような信念のもと突き進み現在に至るのかを解明していく。

「評価を受けるために自ら土俵に上がる」
「宣言したら実現しないとかっこ悪い」


こう語るのは、テストマッチの通算トライ数世界記録を持ち、日本ラグビーの礎を築いた大畑大介氏(以下、敬称略)。

学生ラグビーの選手だった父の影響を受け、小学3年よりラグビーを始める。学生時代は高校日本代表に選出され、大学では日本代表入りを果たす。

卒業後は神戸製鋼コベルコスティーラーズでエースとして活躍するとともに、ワールドカップにも出場。日本代表キャプテンを務め、日本ラグビーを牽引してきた。当時としては珍しく海外チームにも挑戦した。

2011年引退後は、神戸製鋼やSPORTS JAPAN のアンバサダーをはじめ、メディアや講演会でラグビーの振興普及活動に力を注ぐ。2019年ワールドカップのアンバサダーも務めるなど、現役時代から現在までのラグビー界への貢献は、世界から高い評価を受けている。

ラグビー選手として輝かしい経歴を持つ大畑大介氏だが、強靭な体格やラグビー選手としての素質を持ち合わせていたわけではないという。世界記録を打ち出し「世界の翼」と呼ばれた彼は、どのような教育を受け、どのような信念のもと突き進んできたのかを解明していく。

ラグビーは輪に入るためのツール

ラグビーとの出会いと始めたきっかけについて聞いた。

ーーなぜ、当時メジャーではなかったラグビーを選んだのですか?

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「父が学生ラグビー選手だったことが大きいでしょうね。世間が野球中継を家族で観るのと同じように、ラグビーを父と一緒にテレビで観ていました。スポーツをしようと思ったとき、一番身近にあったのがラグビーでした」

ーーその頃からプロになりたいと考えてましたか?

「その気持ちはなかったですね。憧れやラグビーに対する強い想いではなく、クラスみんなが自分に注目する手段だと思ったのがきっかけです。

幼い頃から人と接することが苦手で、クラスの輪に入っていけない子どもでした。周りを斜に構えて見る、小難しい生徒。でも本音は、みんなの輪に入りたかった。

みんなが自分の方を向くための要素は何か。体を動かすことは幼い頃から得意だったので、スポーツをしよう、ならばラグビーだ、という考えになりました」

「好き」の想いを持ってスポーツを始める人は多いだろう。しかし大畑大介氏は周囲とのコミュニケーションツールの一つとしてラグビーをスタートさせた。この想いこそが、その後の彼のラグビー人生を大きく支える土台となったようだ。

現役時代のマイルール

ラグビー選手といえば身長も体格も大きなイメージを持つが、大畑大介氏は身長176cm。選手としては優位な体格ではなかったにも拘らず、日本代表では存在感を放ち続けた。そのベースにはどういった信念があったのだろうか。


チャンスは自ら掴みにいく

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「自分を表現するためには、その土俵に自らアタックする必要があります。

試合に出るために、監督に『3試合で10トライするから出してください』と直談判し、実際にそれを成し遂げる。大学時代に日本代表入りをして以来、そういったアプローチを自分はずっと続けてきました。

試合に出させてもらったうえで宣言通りのプレイができなかったら、それは自分の力不足。それがわかれば、別のアプローチ方法を考えられる。

結果はどうであれ、評価の土俵に立つことが大切なんです」

大畑大介氏は、セブンズ日本代表としても活躍しMVPを獲得している。しかし、代表7人を選出する当初、選手リストに彼の名前は入っていなかった。自ら起用してもらえるよう監督に電話し、そのポジションを得たのだという。


明確なビジョンを見出す

ーー両アキレス腱断裂という大変な怪我を経験された後復帰されていますが、どのように自分自身と向き合われたのですか?

「アキレス腱を1本切ったときは、最高のネタを手に入れたと思いました(笑)。この大事故から復活したら、かっこいいなと思ったんですよ。

2本目は泣きましたね。人生で初めて後ろ向きになりました。もう辞めようとも考えましたが、辞めると宣言する勇気もない。

その時、後にメジャーリーグで活躍する建山義紀から一言『日本でどえらい騒ぎになってるぞ』とメールが来て、その瞬間に気持ちが前に向きました。

自分はまだ人に情報を発信する人間である、自分が再び復帰することで、多くの人を勇気づけることができると。人間には持ち直す力がある、ということを見せたかった。

その一言だけで前向きになれる自分はすごい、と思いましたね(笑)」

明確なビジョンが見えたなら、どんな境地に立たされても決してくじけない。強堅な意思は、致命的ともいえる大怪我からも彼を不死鳥のように復活させた。

そのタフな精神はどのようなルーツのもと育ったのだろうか。

大畑大介を作り出したルーツ

スポーツ選手にはメンタルの強さも求められるが、大畑大介氏はそれを高校入学当初から発揮させていたようだ。彼の強さのルーツを聞いた。


興味を向けてもらえたきっかけ

ーー厳しい練習などもあったと思いますが、モチベーションを維持できた理由とは?

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「自分の居場所を見つけられたことが大きいですね。ラグビーをしている時は自分を素直に表現でき、みんなの輪にも自然と入っていけた。

小学3年から始めたラグビースクールでは、自分はチームの誰よりも足が速かった。自分の力を出したことで『どこから来たの?』『何かしてたの?』というコミュニケーションが生まれ、みんなが興味を向けてくれた。求めていたものが見えた瞬間でしたね。

その時に、この場所をキープしよう、足が速いという自分の特長を最大限のものにしようと決めました」


目標は宣言する

ーー“有言実行”も大畑さんの強さの一つだと思いますが、その習慣はいつから身についていたのですか?

「高校時代からですね。

自分は人に見られることでモチベーションを上げられるタイプだったので、実現するためにはまず周りに宣言をします。高校の時は入学後すぐに、『ラグビーチームで全国制覇、個人では高校日本代表』という目標を、全校生徒が目にする場所に掲げました。

ただ、自分は中学時代地区選抜にも出られず、スポーツ推薦も受けていません。一方で、ラグビー部の同級生はみんな選抜選手。タイトルがないのは自分だけでした。先生にお願いして入部しましたが、部内の序列は一番下。

当然、自分が掲げた目標を信じる人はいませんでした」

ーー誰にも信じてもらえない中で、どのように想いを貫いたのでしょう?

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「自分にはできる、と思っていました。それに、宣言したら実現しないと、かっこ悪いでしょ(笑)。

目標を叶えるためにはどうすればよいか。高校3年のゴールから逆算して、2年のとき、1年のとき何をすればよいのかを考えました。“根拠のない自信”とよく言われていましたね」


為せば成るを体現

ーー中学時代はラグビーよりも学業を優先されていたそうですが、高校でそれほどラグビーに打ち込もうと思ったきっかけは?

「“為せば成る”という言葉との出会いですね。不意にその言葉を聞いた時、『自分は体現できているのか』と考えました。できていない、逃げている自分に気づき、“為せば成る”と自分が思えるところまでやってみよう決めてからは、ラグビーが最優先になりました」

ーー高校日本代表の目標は体現されたわけですが、どのような方法でそのポジションを獲得したのでしょうか?

「序列最下位から高校日本代表になるには、まずはチームのレギュラーになる必要がある。そのためには誰よりも練習をする以外方法はない。自分のどの力を鍛えたら戦力になれるのか考えた時、小学3年の時足が速くて褒められた場面が頭に浮かびました。

あの頃のように誰よりも足の速い人間になってやろう、と決めてからは、練習後一人残り、ウエイト道具を担いでひたすら脚力を鍛えました。

1年後、50mのタイムが7秒台から5秒8になり、高校2年で初めてレギュラーになりました。“為せば成る”を体現できた瞬間ですね」

宣言通り高校日本代表を実現したものの、怪我人が出たことによる繰り上げ選出であり意図しない形だったという。高校選抜全国大会出場時にも、初戦で怪我をし退場。この時感じた悔しさが彼を突き動かし、自ら道を切り開いていく原動力になったのかもしれない。

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大畑大介を形作った父の教え

大畑大介氏の日常にラグビーが自然と存在していた背景には、父の想いがあったようだ。彼はどのような教育を受けてきたのだろうか。


しんどい方を選べ

ーーご両親からの教えで、大畑さんのスポーツ人生に影響を与えているものは何だと思いますか?

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「大畑家には『2つの選択肢があったら、しんどい方を選べ』という家訓があります。これだけはずっと言われてきたので、大学は練習が厳しいことで有名な京都産業大学に進学し、どんなに厳しい場面でも下を向かずに来れたのだと思います」

ーーお父さまは大畑さんをラグビー選手にしたいと思っていたのでしょうか?

「少なからずあったと思いますね。自分の前にレールを敷いてはいたと思います。ただ、自分で道を選択した感覚を持たせてくれた。その上で、そっと背中を押してくれていた。

親が選んだ道で失敗したら言い訳ができますが、自分が選択した以上は、自分で責任をとらなくてはいけない。自分でしっかり選べと言われていましたし、家訓を実践していたからこそ、それぞれの岐路での選択権を自分に与えてくれていたのだと思います」

ーーお父さまが元選手だと、厳しい教えもあったのでは?

「怒られたことも、褒められたこともなかったですね。何事にも干渉することはなく、距離を保ちながらも感情は常に感じてくれていました。

見られたくない、触れられたくない部分には一切触れず、嬉しいときだけ聞いてくる。子どもが抱いている感情に対する時差がない。すごいなと思いますね」

つかず離れずの距離を保ち、子どもの背中を見守り続けた両親の想いが、大畑大介氏の己の道を己のやり方で突き進む力を作り上げたのかもしれない。

大畑大介の子育て

試合はもちろん、監督や自分自身にも全力でアタックし続け結果を残してきた大畑大介氏は、子育てにどのようなスタンスで向き合っているのだろうか。


約束は絶対に守る

ーー大畑さんの子育て理念などあれば、ぜひ教えてください。

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「できない約束はしない。それだけですね。

子どもってすごく敏感で、大人の言葉をすべて真に受け、実現されなかったとき『裏切られた』と感じてしまう。だから自分は絶対に、できない約束はしない。その代わり、約束したことはどんなに忙しくても絶対に守る。

父と同じように、自分も父親として子どもの一番の理解者でありたい。子どもの逃げ場所となることも、自分の役割だと思っています」


限られた時間の中で100%の愛情を注ぐ

「アスリートが現役で活躍できる期間が限られているのと同じように、子どもと一緒に過ごせる期間も限られている。うちは娘なので余計に、どれだけ愛情を注いでも、いつかは父親を嫌う時期がくる。

そのときに『2歳の時ああしておけば』『5歳の時こうしておけば』という必ず感じるであろう後悔を、限りなく小さくしたい。

だから、自分が思う100%で子育てをする。素直に自分のやりたいように、愛情を注いでいます」

「子どものため」という枕詞が付くと、それは親の自己満足になってしまう場合もある。子どもがどうしてほしいか、よりも、自分が子どもに対しどう愛情を注ぎたいか。大畑大介氏の子育てのベースはそこにあるという。

大畑大介が思う「スポーツ王」とは

最後に、大畑大介氏が思う「スポーツ王」について聞いた。


自分のポジションのナンバーワンは自分

ーー大畑さんが「こいつはすごい」と思う選手を教えてください。

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「室伏広治選手と松井稼頭央選手ですね。この2人は、ただただ本当にすごい。

ラグビー界においては、自分のポジションの能力は自分がナンバーワンだと思っています。ここまで自分に意識を向けて身体を改良してきた人間は、自分しかいないと思っています」

ーー2015年のワールドカップでは日本中が大いに沸きましたが、大畑さんは後輩の活躍をどのように見られていましたか?

「かっこいいと思いましたね。彼らは伝説を作った。自分ができなかったことを成し遂げた後輩たちを、ただただすごい、と思いました。

悔しいとかそういう想いは一切ありません。それに、彼らの活躍があってこそ今自分がフィーチャーされている。すごい後輩たち、ありがとう、という感じですね(笑)」

ーー大畑さんの身体能力をもってすれば、他のスポーツでも活躍できそうに思いますが?

「そう思ってくれるでしょ?それでいいんです。違うスポーツに挑戦して活躍できなかったらかっこ悪い(笑)。

それに自分は、自己肯定するためにラグビーをやってきた。もしあれをやっておけば、という想いは自分が歩んできた道を否定することになる。それってすごく悲しいですよね」


今の自分が過去の活躍を輝かせる

2019年ワールドカップアンバサダーも務める彼は、この先にどのような目標を抱いているのだろうか。

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「一番の目標は、娘が大きくなったとき、娘の友だちの間で噂になる父親であること、ですね(笑)。『パパめっちゃかっこいい!』から『すごいラグビー選手だったんだ!』と見てもらえる父親でありたい。

そのためにも、ずっと輝いていたいと思っています。

ラグビーの大畑大介は過去の財産ですが、現在の自分が輝くことで過去の財産も大きくなる。そのために今を頑張る。それだけですね」

編集後記

インタビュー中、終始笑いが絶えなかった。人付き合いが苦手とは到底思えない彼からは、過去の苦労も悔しさも、すべてが誇らしいものとして感じられた。

大畑大介氏は父の教えのとおり、人生の岐路に立つたびあえて厳しい道を選び、その時必要なことを一つ一つこなしてきた。

「では、どうしたらよいのか」を考え抜いてきた彼の人生は、まさに道なき道を自身の力で切り開いてきたと言える。私たちはその雄姿を思い出すたびに、前に進む勇気をもらえるのだろう。


KIDSNA編集部

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2018年11月09日

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