1本12万円の日本酒が一瞬で売れる…岩手の老舗酒造「南部美人」が28年かけて海外セレブを虜にするまで

1本12万円の日本酒が一瞬で売れる…岩手の老舗酒造「南部美人」が28年かけて海外セレブを虜にするまで

5代目蔵元が自ら「地球の裏側」まで足を運ぶ

日本酒の海外輸出はこの20年で大きく拡大した。その先駆けとなった蔵元の一つが、1902年創業の「南部美人」だ。日本ならではの酒文化をどうやって海外へ売り込んだのか。5代目蔵元・久慈浩介さんに話を聞いた――。

二戸から岩手、全国、そして世界へ

「高校時代まで、家業の酒蔵を継ぐ意思はありませんでした」

そう語るのは、今やアメリカや中国、台湾など66カ国・地域に日本酒を輸出する「南部美人」(岩手県二戸市)の5代目蔵元・久慈浩介さんだ。

「教師になりたかった」という思いを変えたのは、高校2年の春、アメリカ・オクラホマ州への短期語学留学だった。手土産に持って行った日本酒をホストファミリーは絶賛し、「酒蔵を継ぐべきだ」とアドバイスした。この約1カ月間で、久慈さんは自分が「家業から“逃げている”ことに気づいた」と話す。

帰国後、進路を東京農業大学醸造学科へ変更。東京で生活を送る中、あちこちで自社の酒「南部美人」を見かけるようになる。

「うちの酒は3代目の祖父が二戸から岩手県全域に、先代の父が全国へと広げていきました。その功績を目の当たりにする中、“じゃあ、俺は世界に『南部美人』を持っていこう”と思ったんです」

父は大反対、それでも譲らなかった

大学卒業後の1995年、23歳で南部美人の製造部長となり、次世代を切り開く明確なビジョンを海外へと向けた久慈さんだったが、父はその考えに大反対した。東京での流通が勢いづいていたこともあり、そちらに尽力してほしかったのだ。

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提供=久慈浩介 岩手県二戸市にある南部美人

「先行者利益なんて言葉がない時代でしたからね。“お前の行くアメリカの出張費はいつ返ってくるんだ”と言うので、“じゃあ、親父のゴルフ代の経費はどうなんだ”と言い返したこともあります。とにかくケンカしましたね。でも“俺は蔵、日本酒の未来のためにやっているんだ”と一歩も譲りませんでした」

しかし、当時の日本酒業界は、まだ海外に輸出するという発想はほとんどなかった。「自分一人では限界がある」と感じていたところ、1997年、同じ志を持つ李白酒造(島根県)の田中竹二郎さん、大門酒造(大阪府)の大門康剛さんから声がかかった。それは、日本酒輸出協会立ち上げへの参画の誘いだった。

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2025.11.20

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