小泉八雲の「妻」とは呼ばなかった…130年前の新聞が書き立てた「ばけばけ」モデル・セツの"理不尽な肩書"

小泉八雲の「妻」とは呼ばなかった…130年前の新聞が書き立てた「ばけばけ」モデル・セツの"理不尽な肩書"

晩年のセツが「一番つらかった」と漏らした

NHK「ばけばけ」では、ヒロインのトキ(髙石あかり)が、小泉八雲をモデルにしたヘブン(トミー・バストウ)の女中になる姿が描かれている。「女中探し」のはずだが、なぜ深刻なシーンとして描かれているのか。ルポライターの昼間たかしさんが、当時の新聞記事や文献などから史実を読み解く――。

当時は「外国人の女中=洋妾」と認識されていた

NHK朝の連続テレビ小説「ばけばけ」では、松野トキ(髙石あかり)がレフカダ・ヘブン(トミー・バストウ)に女中として雇われるまでの前段の話が描かれた。錦織(吉沢亮)は、知事(佐野史郎)からヘブンの世話をする「どっちもできる」女中を見つけるよう指示され、奔走。トキは錦織から月20円を提示され、洋妾ではないかとの疑いに否定しない錦織に「ばかにせんでごしなさい!」と断るという展開であった。

現代の視聴者には、この疑念が不自然に映るかもしれない。知事はヘブンがなにもいってないのに「どっちもできる」女中を見つけろというし、錦織もその通りに動いてる。現代ならばスキャンダルで訴訟間違いナシな事案である。

しかし、この描写は決して誇張ではない。当時の社会では、外国人のもとに女中として入ることは、そのまま「洋妾になる」ことを意味すると広く認識されていたのである。

セツは女中として雇用された後に結婚へと至ったのだが、世間はそうとは考えずセツを妾だと見做していた。当時の資料からも、それは裏付けされる。当時、松江で発行された地元紙のひとつ「山陰新聞」では、地元では珍しい外国人教師である八雲の動向をたびたび掲載している。

地元紙にも「愛妾」の記述が残っている

例えば1891年8月9日付の記事では八雲が杵築(現在は出雲市)に海水浴に出かけたことを詳細に報じている。この中には、こんな一文がある。

(八雲は)更に2週間の滞在延期を布告し、さては愛妾をも松江より呼び寄せたる……

続く8月15日付の記事では八雲が京阪地方に旅行に出かけたことを報じているが、ここでもこう記されている。

京阪地方漫遊として愛妾同道昨日出発したり。

いずれもセツを妻としては扱わず愛妾であると報じている。

さらに西田千太郎の日記でも、同様に6月と7月に「ヘルン氏ノ妾」という記述が見られる。

ただし、公平を期すために言えば、この時点で八雲とセツは法律上の正式な夫婦ではなかった。二人が夫婦としての生活を始めたのは1891年6月に松江市北堀町の屋敷に引っ越してからと考えるのが自然だが、実際に八雲が日本に帰化して戸籍上の入籍を果たしたのは、それから5年近く経った1896年1月のことである。

それゆえ西田や新聞が「妻」ではなく「愛妾」と書いたことにも、一定の理屈はあるのかもしれない。しかし問題は、当時の松江の人々が二人の関係をどう見ていたかである。

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2025.11.18

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