働けない人間は"社会のお荷物"なのか…「力を発揮できない人」がなぜ存在するか、精神科医のさすがの回答
「人類が生き延びるための保険」という考え方
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自殺や病気は存在しないほうがいいのか。精神科医の春日武彦さんは「個別で見ると悲劇に見える。しかし、『人類の生存』というより大きな視点で考えると、潜在的な意味が見えてくる」という。42歳で「緑内障」と診断された歌人・穂村弘さんの半生を綴った『満月が欠けている』(ライフサイエンス出版)の中から、2人の対談をお届けする――。
なぜ「死」は怖いのか
【穂村】春日先生は医師としてまさに生と死の専門家だと思うのですが、死生観についてどのような見解をお持ちでしょうか。
私にはまず巨大な不定形の死があり、それを一切れちぎってできたものが生というようなイメージがあります。
その間にのみ一時的に生の個別性が発生して、またそれが不定形の死の中に戻っていく、そんな感覚があるんです。
春日先生は生物学的な背景以外に、生と死にはどのようなメカニズムが働いているとお考えですか。

【春日】人間以外の動物はおそらく死ぬのはまったく怖くないのだと思います。種として存在してさえいればいいというようなある種の安心感のようなものを感じます。人間以外の動物にとって死は皮膚細胞の一つがはがれるような感覚なのでしょう。
【穂村】確かにそう見えますね。動物にとって死は恐れることではないとすると、時間の概念がないとも言えると思います。
でも、動物も歳をとります。動物が時間を知らなくても老化を免れないというのは、不思議な感じがしますね。
【春日】動物も「最近不便になったな」というような感覚はあるのではないでしょうか。
【穂村】「もっと高くジャンプできたのに」とか思っているかもしれませんね。でも、人間は「今60歳なのでまだこれぐらいはジャンプできるけど、80歳になったらさぞかし厳しいだろう」とか思ってしまいます。
どうしたら、人間は主観的な幸福感を最大限にして死んでいけるのでしょう。

























