アホが売りのタレントに東大生の血液を輸血する…「水ダウ」でもできない番組をテレ東でつくった演出家の狂気
しかも放送時間はNHK大河ドラマのウラ
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バラエティ番組がコンプラの中で揺れている。社会学者の太田省一さんは「その問題の源流は、80年~90年代にテリー伊藤によってつくられた番組にあるのではないか。彼の演出による“きわどい”番組がいつのまにかバラエティ番組の主流となっていった」という――。(第1回) ※本稿は、太田省一『とんねるずvs村西とおる』(双葉社)の一部を再編集したものです。
今のテレ東でも考えられないバラエティ番組
日本テレビで仕事ができなくなった伊藤は、当時まだ「東京12チャンネル」と名乗っていたテレビ東京に仕事の場を移す。
ここでいったん、当時のテレビ東京の立ち位置を確認しておいたほうがよいだろう。

写真=Wikimedia Commons 東京都港区虎ノ門にあるテレビ東京本社ビル(日経電波会館)。(写真=ITA-ATU/ CC-BY-SA-3.0/Wikimedia Commons)
いまでこそ、テレビ東京はユニークな企画で勝負する個性派のテレビ局として評価されているが、そうなったのは比較的最近のことである。そもそも1980年時点では系列局も存在せず、したがってまだキー局でもない。
東京の主要民放のなかで最も遅く誕生したローカル局にすぎなかった。視聴率競争でも他局に大きく水を開けられ、「番外地」と揶揄されたほどだった(1981年に「テレビ東京」に社名を変更)。
とはいえ、予算や人員の不足を補うために独自のアイデアでニッチな番組をつくる気風はその頃からあった。そこにテリー伊藤の個性はぴったりはまったのである。
伊藤が担当したのは、『日曜ビッグスペシャル』(1976年放送開始)のなかの「いじわる大挑戦」。日曜夜のゴールデンタイムで大河ドラマの裏である。
ある意味、置かれた状況は日本テレビ正月特番のときと同じである。だがテレ東ならではの自由さがそこにはあった。ここで伊藤は、いまも語り継がれるインパクト抜群の企画を次々と生み出していく。

























