なぜ豊臣秀吉の出自は謎に包まれているのか…天下人になってもぬぐい切れなかったコンプレックス
NHK大河の主人公・秀長とは異父兄弟という説
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来年のNHK大河の主人公、豊臣秀長と兄・秀吉の出自は謎に包まれている。江戸時代の史料によれば、秀吉と秀長は父親が違うという記述がある。本当なのか。歴史の謎を探る会(編)『秀長と秀吉 豊臣兄弟の謎がわかる本』(KAWADE夢文庫)より紹介する。――。(第1回)
豊臣秀吉は農民の子か足軽の子か
天下を統一した豊臣秀吉と、その補佐役筆頭の弟・秀長。彼らは知名度の高さに反して、出生については謎が多い。
通説上では農民出身だとされているが、江戸幕府の旗本・土屋知貞の記した『太閤素生記』によると、秀吉の父・木下弥右衛門は織田家の鉄砲足軽だったとする。弥右衛門は尾張国中村(もしくは中々村。現在の愛知県名古屋市中村区)の出身で、戦で負傷し、農民になった。
その後、御器所村(現在の名古屋市昭和区)から妻を娶り、秀吉とその姉(瑞龍院)が生まれたとされる。ただし、日本への鉄砲伝来は天文12(1543)年ごろとされ、『太閤素生記』内では、この年に弥右衛門が死んでいる。記述に矛盾が生じてしまい、信憑性は高いとはいえない。
江戸時代初期の儒学者・小瀬甫庵おぜほあんが著した『甫庵太閤記』(以下、『太閤記』)によると、父は尾張の水呑百姓(自分の土地をもたず、年貢を負担しない農民)・竹阿弥だとしている。織田家に仕官する際、秀吉は「先祖は木下姓をもつ豪農だったが父の代までに没落した」と語ったとする。
さらに、ルイス・フロイスの『日本史』にも、「貧しい百姓の倅」と記されている。いずれにせよ、先祖は秀吉の代までに落ちぶれていた可能性は高い。

























