「いい大学→いい会社」なのに不幸と感じる…若者にじわじわ増えている「ハイスペックキャリア迷子」の処方箋
「すごいね」と言われると悲しくなる
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幸せに働くためにはどんなことに気を付ければいいか。著作家の勝木健太さんは「他者から良い評価を与えられてきた人ほどモヤモヤ悩んでしまうことがある。大事なのは人生の重心を他者ではなく自分に置くことだ」という――。 ※本稿は、勝木健太『「いい会社」のはずなのに、今日もモヤモヤ働いてる』(ダイヤモンド社)の一部を再編集したものです。
あなたの身近にいる「ハイスペックキャリア迷子」
「いい高校」「いい大学」そして、「いい会社」。親が喜び、友人が羨む、華やかな肩書き――
だが、その完璧な経歴の裏側に、言葉にできない違和感を抱えている。それが、「ハイスペックキャリア迷子」だ。
「ハイスペックキャリア迷子」と聞くと、東大卒や外資系企業のエリートのような、いわゆる“ハイスペック”を想像するだろう。
しかし実際は、それだけに限らない。優秀で、「正解を選び続けてきた」人すべてが、将来、「ハイスペックキャリア迷子」になる可能性を秘めている。その3つの特徴を紹介していこう。
特徴1 「いい会社」にいるのに、「自分らしさ」がない気がする
収入もポジションも、人が羨む水準にある。お祝いの言葉も届くし、SNSの“いいね”も多い。
それなのに――自分の内側だけが、妙に冷えている。
「こんなの、贅沢な悩みだ」と思ってしまうこともあるだろう。しかし、そのようなことは一切ない。むしろ、「正解」とされるルートを忠実に走り抜けた者が、必ずたどり着く地点である。
履歴書だけ見れば、成功者だ。でも、自分のままでいられる場所が、どこにも見つからない。
「すごいね」と言われると悲しくなる
特徴2 「優秀」なのに「ゆるやかな不幸」を感じてしまう
「すごいね」「うまくいってるね」
ハイスペックキャリア迷子の迷いは、皮肉にも「他者から良い評価を与えられた瞬間」に生じることが多い。
偏差値競争、大企業信仰、肩書き主義――
「正解のルート」を踏むことが、長らく「優秀さ」の証とされてきた。だからこそ、問いが生まれるのだ。「これは、本当に自分の人生なのか?」と。
真面目に、誠実に、期待に応えてきた人ほど、この構造に深くからめとられていく。
「このまま進んで、本当に幸せになれるのか?」
そんな疑問がよぎった瞬間、気づけば迷子になっている。地図どおりに歩いてきたはずなのに。
これは決して、あなたが脆いからではない。社会構造の副作用に巻き込まれているにすぎないのだ。
特徴3 今得ている評価が「縛り」になって動き出せない
選択肢はある。「あなたなら何でもできる」と、ずっと言われてきた。
なのに、なぜか動けない。頭では「これだ」と思えても、足がすくむ。
可能性に囲まれているのに、どこにも進めない。
選べる自由があるからこそ、選ぶのが怖くなる。
「いい会社」にいることが足かせとなる。
空気のように漂う期待と評価が、選択の幅を目に見えない形で狭めていく。