タイガースが優勝すると「暴徒化」する…警察も手を焼いた「阪神フーリガン」が消えた"分かりやすい証拠"
大阪では車がひっくり返され、東京では傷害致死事件が起きた
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2023年、阪神タイガースは38年ぶり2度目の日本一に輝いた。国際日本文化研究センター所長の井上章一さんは「大阪中心部では歓喜する阪神ファンの姿が見られたが、初の日本一となった1985年の時とは明らかな違いがあった」という――。 ※本稿は、井上章一『阪神ファンとダイビング 道頓堀と御堂筋の物語』(祥伝社新書)の一部を再編集したものです。
優勝でもしたら死人がでるかもしれない」
1985年の阪神は、シーズン開始以来、おおむね好調をたもっていた。前半戦は、首位か2位、3位といった状態で、上位につけている。7月のオールスターゲーム直前には、2位となっていた。その前年と前々年は、最終成績が4位におわっている。だが、今年はちがうと、1985年の阪神ファンは、夏ごろから気分が高揚していった。
街では、ファンの狼藉ぶりもめだちだす。甲子園球場での暴行をつたえたある週刊誌は、被害者のこんな声をひろっていた。
「優勝でもしたら、パニック状態で死人がでるかもしれない」(『週刊宝石』1985年7月26日号) |
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「居眠り」が原因で傷害致死事件に
不幸なことに、この予言は適中する。セ・リーグでの優勝がきまった翌日、10月17日夜のことである。東京・目黒の居酒屋で、事件は発生した。店では、4人の阪神ファンが祝勝の宴におよんでいたという。そのうちのひとりが酔いつぶれ、ねむりだした。これを、べつのひとりが、つぎのようにたしなめたらしい。
「みんなが盛り上がっている時に、居眠りをするようなやつは阪神ファンじゃない」(『朝日新聞』1985年10月23日付) |
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このひとことで、口論、さらには喧嘩がはじまった。居眠りをとがめられた男は、相手の顔をなぐっている。なぐられた男は、翌朝脳内出血が原因で死亡した。阪神の優勝は傷害致死事件へ、じっさいにつながったのである。
当時の週刊誌は、阪神ファンのさわぎを、さまざまな角度から報じていた。優勝がほぼきまりだした10月初旬の大阪から、「狂乱」の様子をつたえたものもある。その記事は某ファンのこんなひとことと、記者のコメントで全文をむすんでいる。
「『〔前略〕これで、もし阪神が優勝せえへんかったら、暴動が起きるんちゃう』(熱狂的学生ファン)大阪は今、革命前夜なのである」(『週刊文春』1985年10月17日号) |
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