【べらぼう】なぜ松平定信の改革は失敗したのか…「女性がらみの風俗」を嫌う男が奪った"将軍の夜のお楽しみ"

【べらぼう】なぜ松平定信の改革は失敗したのか…「女性がらみの風俗」を嫌う男が奪った"将軍の夜のお楽しみ"

反発したのは蔦重だけではない

わずか30歳で老中首座になった松平定信とはどんな人物だったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「質素倹約や公序良俗の厳守を掲げた改革は、祖父の吉宗が行ったものよりも厳しかった。それゆえ江戸の庶民の反発だけでなく、将軍との対立を招いた」という――。

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井上通泰 著『南天荘次筆』,弘文荘,1936. 国立国会図書館デジタルコレクション(参照 2025年9月5日)

松平定信がわずか30歳で老中就任になった“偶然”

江戸で発生した打ちこわしの収束後、松平定信(井上祐貴)の老中登用を渋っていた大奥が反対を取り下げた。一橋治済(生田斗真)は定信を呼び出し、「大奥が反対を取り下げてのお。月が替わればそなたはめでたく老中じゃ」と告げた。NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」の第33回「打壊演太女功徳」(8月31日放送)。

ところが、「その儀、謹んでお断りしたく」と定信。治済は少し戸惑ったが、定信はこう続けた。「首座の老中であるならば、若輩でも徳川をお支えすることができるかもしれませぬ」。

幕政に携わった経験がない30歳が、いきなり老中の首座を要求するとは、よほどの自信とふてぶてしさだ。そして史実の定信も、その後、寛政の改革として断行した数々の施策を見るに、自信家でふてぶてしい人物だったと思われる。実際、天明7年(1787)5月20日に発生した江戸の打ちこわしが収まって1カ月も経たない6月19日、定信は老中に登用され、治済の推しでいきなり首座に就いた。

それには偶然も味方した。将軍家斉の側近である御側御用取次おそばごようとりつぎの横田準松のりとしは、打ちこわしについて家斉に正確な情報を伝えず、「平穏無事」と答えていた。ところが、将軍の隠密御用を務める御庭番おにわばんが打ちこわしの報告を、よりによって御側御用取次のなかでも準松と関係性が悪い小笠原信喜のぶよしに渡してしまった。

信喜から報告を受けた家斉は激怒し、自分に「平穏無事」とウソをついていた準松を罷免する。それまで家斉の信頼が厚かった準松が、定信の老中登用に反対する最右翼だったのだが、その障害が消えた。定信を老中にしたい治済や御三家は、意志を通せることになったのだ。

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2025.09.12

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