目が見えなくなってからのほうが生きるのが楽…失明した36歳男性が始めた「妻と2人の子どもに対する日課」
今日と同じ明日が訪れるとは限らないと痛感した結果
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【前編】ある朝、突然「視覚障害者」になった…「2児のパパ」だった36歳男性が絶望から立ち直るまでに要した日数 障害のある人にとってこの世界は優しいのか、それとも厳しいのか。多発性硬化症のため36歳の時に突然失明した石井健介さんは、「見える人」と「見えない人」をつなぐブラインドコミュニケーターとして働いている。ノンフィクションライターの三宅玲子さんが、46歳のいまを取材した――。(後編/全2回)
見えなくても大好きな服は選べる
「お二人のシルエットがうっすらとわかる程度です。顔立ちはわかりません」
ローテーブルを挟んで石井さんの斜め向かいに座る編集者と私に石井さんが言う。
目が見えない、でも、メガネ……?
聞けば、見えていた頃に妻から贈られたすてきなフレームの眼鏡は「伊達メガネ」だった。石井さんから眼球の動きは奪われておらず、対面で話しているときの石井さんはまるで「見えている」かのように違和感がない。左耳にはターコイズのピアス。ボーダーのボートネックにジーンズ。
「見えなくても服を選べるの?って思いますよね。でも、僕の頭に中には膨大な量の服のイメージデータが記憶されているので、服を組み合わせたイメージを頭に浮かべることができるんです」
自分がどんな服装をしているのか実際に見ることはできなくなっても、好みの服で装うことは心を満たす大切な行為だという。
「楽しいことしかやらない」と決めた
身だしなみを整えて、週に3〜4日、千葉県館山市の自宅から高速バスで片道2時間かけて都心に出る。ポッドキャストのレギュラー番組への出演、業務委託契約をしている株式会社ヘラルボニーの仕事、ブラインドコミュニケーターとして依頼される仕事の打ち合わせなど。
見えなくなってから再び仕事を始めるにあたり、石井さんは、「楽しそう」「面白そう」と感じたことしかやらないと決めた。
仕事の依頼を受けると「ギャラはいくらですか」「なぜ、僕ですか?」と必ず聞く。インクルーシブデザイン(※ともすれば排除されそうな個人のニーズを理解し、それを取り込んだサービスや商品を開発すること)など障害者を起用する領域は広がってきてはいるものの、これまで社会で働いて対価を得てきた石井さんからすると驚くような低い報酬での業務の提示が少なくないという。
また、「誰でもいいから障害者枠で」という依頼は断る。石井さんは「目の見えない誰か」ではなく、「目の見えない石井健介」だからだ。