「玉ねぎが重くて持てない」から始まった…肝っ玉母さんが42歳で脳梗塞、半身不随で20歳娘の"30年介護"の粛々

「玉ねぎが重くて持てない」から始まった…肝っ玉母さんが42歳で脳梗塞、半身不随で20歳娘の"30年介護"の粛々

42歳の母親が突然、脳梗塞を起こし、左半身が動かなくなってしまう。成人式を迎えたばかりの長女は会社を辞めて介助に徹した。その後、母親は自分のことはでできるまでに回復し、長女は再就職。夜は専門学校に通い、資格も取得。ところが、母親の身体機能は坂道を転がり落ちるようにみるみる衰えていった――。(前編/全2回)

この連載では、「シングル介護」の事例を紹介していく。「シングル介護」とは、主に未婚者や、配偶者と離婚や死別した人などが、兄弟姉妹がいるいないにかかわらず、介護を1人で担っているケースを指す。その当事者をめぐる状況は過酷だ。「一線を越えそうになる」という声もたびたび耳にしてきた。なぜそんな危機的状況が生まれるのか。私の取材事例を通じて、社会に警鐘を鳴らしていきたい。

「ザ・昭和の父親」と「肝っ玉母さん」

四国地方在住の城崎幸乃さん(仮名・50代)の両親は、知人の紹介で知り合い、製造業に就いていた父親が28歳、家事手伝いだった母親が22歳の時に結婚。翌年城崎さんが生まれ、3年後に妹が生まれた。

「『ザ・昭和の男』で亭主関白な父は、妻や子どもに対して全てにおいて束縛が強く、やることなすこと常に反対をされました。今では虐待に値すると思いますが、娘であろうと躾の意味では手をあげることも多くありました。その一方で、母は芯の強い肝っ玉母さんで、色んな面で支えてくれる人。父の体罰からいつも身を挺して庇ってくれました。そんな母のおかげか家族仲は良く、休みの日には海水浴や遊園地に連れて行ってくれるなど、当時はごく一般的な家庭だったのではないかなと思います」

父親は36歳の時に試験を受け、地方公務員になった。城崎さんはおっとりした性格に育ったが、負けん気が強いところもあり、小学校に上がると学級委員に立候補したりもした。

「父は何に関しても厳しかったですが、門限や、付き合う友達についても口うるさい人でした。特に、珠算検定がなかなか受からなかったときは『他の子にできて、なぜお前にできない?』とひどく怒られたように思います」

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※写真はイメージです

友人との付き合いに関しては、片親の子や、家庭環境が良くないと感じた子とは付き合うことを禁止された。

やがて城崎さんが中学生になり、高校受験が迫ってくると、「公立高校へ行け」と繰り返し言われるように。

「父にはことあるごとに『俺の金で学校へ行かせてやってる』と言われていました。それがずっと嫌だったので、早く社会人になれる商業高校に進み、まだ当時はバブルで景気が良かったため、卒業後は大手製造業の一般職の事務として働き始めました」

一人暮らしは父親に許されなかったため、実家から通った。社会人1年目の年に、合コンで出会った5歳上のシステムエンジニアの男性と交際が始まった。

「一度、22時の門限より遅く帰ったときに父が激怒したため、彼は慌てて謝罪に来てくれました。その後、たびたび寄ってくれるようになったので、交際に反対されることはなくなりました。母は一人暮らしの彼にいろいろ食べるものを持たせていて、彼が転勤族だということも知っていたので、『転勤したら、いろいろ送ってあげるわ』と冗談で話していました」

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2025.04.30

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