子どもの幸せを自分の価値観で決めていませんか?【藤野智哉】
Profile
精神科医
精神科医
精神科医。1991年7月8日生まれ。 秋田大学医学部卒業。 精神鑑定などの司法精神医学分野にも興味を持ち、現在は精神科病院勤務の傍ら医療刑務所の医師としても務める。
読者からお悩みを募集し、子育て、教育、スポーツ、心理学など各分野の専門家にご回答いただく人生相談コーナー。今回は「自分を幸せにする「いい加減」の処方せん」が話題の精神科医・藤野智哉先生が、「わが子とほかの子を比較するのがやめられない」というお悩みに答えます。
【お悩み】子育てでわが子と他の子を比べてしまうのは何故?
【藤野先生の回答】お子さんはあなたとは別の人間です。自分の基準を押し付けるのはやめましょう。
まず、前提として、人と比べてしまうこと自体は、ある程度当然といえば当然で、仕方がないことなので、必要以上に自己嫌悪になる必要はありません。
そのうえで、少し厳しいことを言うようですが、相談者さんがお子さんを他者と比べてしまうことの背景には「自分が親として十分やれていないのではないか」という不安や劣等感があるのではないでしょうか。
「子どもは親の鏡」とはよく言いますが、たとえば、子どもが学校の先生からの悪い評価をもらうと、「私が〇〇していないせいではないか」と思っていませんか?
「どんな生き方をしても幸せならいい」と本心から思っていれば当然こうは思わないわけで、子育てに対するご自身の確固たる自信がまだないのでしょう。
自分の子どもに「よい人生を送ってほしい」と思うのは当然ですが、比較することに意味はあるのでしょうか。
たまたま同じ学校、同じ地域にいる同年代と比較しても、それぞれ将来目指すものは違います。たとえば、将来はエンジニアになりたい人が、プロスポーツ選手を目指す人と同じトレーニングはしませんよね。
つまり、あなたがあなたの基準でお子さんを勝手に周囲と比較することにはなんの意味もないのです。
この相談は、お子さんのことというより、主語はほとんど親自身です。お子さんの将来を考えるなら「お母さんがどうしたいのか」ではなく、「お子さん自身が何になりたいのか」「お子さんがどうしたいのか」が重要です。
お子さんを大切に思う気持ちを否定しているわけではありません。
でも、「もっとがんばってほしい」「もっとよくなってほしい」という思いがここまで溢れてしまうなら、一度立ち止まったほうがいいかもしれません。
お子さんはあなたにとって半身のような存在かもしれませんが、所有物ではなく、ひとりの人間です。
「もっと〇〇してほしい」のは「お子さんに幸せになってほしい」という思いが根源にあるからだと思いますが、それは果たしてお子さん本人の希望でしょうか。
勉強、受験、習い事、お子さんの人生に必要なものは、お子さん本人がどうしたいかをメインで考えたほうがよいのではないでしょうか。
小学生くらいまでは多少介入してしまうのは仕方がありませんが、子育ての手が離れてくれば徐々に子どもと自分は別の人間だと意識できるようになるでしょう。
誰かと比べて「これくらいできれば」と思っても、それは結局あなたの知る、あなたの尺度の中での、「これくらい」でありであり、お母さんの勝手な基準です。
期待が叶わなければ失望や怒りに変わりかねませんし、自分の基準を誰かにおしつけることはやめましょう。
もうひとつ、精神科では「人間のキャパシティ」という考え方があります。
お子さんはお母さんと同じ能力をもって生まれてきているわけではありません。それなのに自分の枠で考えてしまうから「なんでこんなことができないの?」と思ってしまうのです。
誰かから見て完璧な人生ではなくても、その人にとっては十分幸せということは往々にしてあります。たとえば、世の中には、友だちを欲しないタイプの子もいます。
ひとりで絵を描いているほうがとても幸せな人に対し、「なぜ他の子と同じように遊ばないのか」とあれこれ手を尽くされても、本人は苦痛でしかありません。
子どもに関するお悩みは、実は親側が勝手に悩んでいるだけということはよくあります。「親の期待どおりになることがお子さんにとっての幸せではない」ということをお忘れなく。
Profile
子どもが生まれたとき「どんな生き方をしても、この子が心から幸せになってくれればそれでいい」と思い、その思いは今も変わらないつもりですが、ほかの子とわが子を比べてしまう自分がいます。
よくないことと頭では分かっているのですが、どうしてもやめられません。
スポーツができても「勉強があと少しできれば」と思い、優しい性格でも「主体性をもってくれたら」と思うなど、どこかで「もっと〇〇なら」と思ってしまう自分がいて、何故こんな風に際限なく思ってしまうのだろうと自分で自分が嫌になります。
また、ママ友から中学受験やたくさんの習い事の話を聞けば、させてあげられないことに落ち込みます。
仕事も忙しく自分の趣味もあり、子どもにつきっきりというわけでもないのですが、なぜこのように比べてしまうのでしょう。