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【エストニアの教育】アナログの学びを生かした電子国家の学習環境
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さまざまな歴史や風土をもつ世界の国々では、子どもはどんなふうに育つのでしょうか。この連載では、各国の教育や子育てで大切にされている価値観を、現地から紹介。今回は、エストニアで子育てしながら、視察サポート業務やライターとして働く大津陽子さんに話を聞きました。
ロシアに隣接したバルト三国の一つであるエストニア。日本の九州とほぼ同じ面積を持つコンパクトな国ながらも、電子政府の樹立や、ICTの普及で世界から注目を集めています。
そんなエストニアは、ソ連時代に不当に占領された歴史を持ち、独立回復をしたのはソ連崩壊直前の1991年。
「自分たちで国を作り上げてから、まだ30年ほどの若い国。当時のエストニアは本当に貧しく、天然資源もインフラも何もない国でした。
どのように国づくりをしていくか、根本から模索してきた中で軸としたのは、全国の公立学校にコンピューターを配備し、ネットワークインフラを整え、ITの全国への普及と教育レベルの向上。
1996年の『タイガー・リープ・プロジェクト』をはじめとする数々の国策を経て、急激に先進国の仲間入りを果たしたのです」
こう語るのは、エストニアのICT環境に魅せられて移り住み、エストニアのeヘルス、医療データ関連を中心とした視察のアレンジ、通訳、ライターとして活動する大津陽子さん。子どもたちの学びは、どのように行われているのでしょうか。
ICTは「学ぶもの」ではなく「サポートツール」
「エストニアの教育は、対面のオフラインが基本。ICTを使ったデジタルサービスはその円滑な進行をサポートするというイメージです。
一番の特徴は、エストニア語で”Eスクール”を意味するプラットフォーム『eKool』。エストニア居住者全員が持つ市民IDでアクセスすれば、子ども、保護者、先生の三者が綿密にコミュニケーションをとることができます。
学校から子どもや保護者に連絡事項があれば、プリント配布ではなく、オンラインでデータを配信。だから学校を休んでも、オンライン上で授業の進捗を知ることができます。
先生との面談なども、オンライン上で行うことができますし、時間割や成績に関しても、すべてオンライン上で確認できるんですよ。ICTとは”Information and Communication Technology(情報通信技術)”。単なる情報技術を指すITとの違いは”コミュニケーション”にあります。
アプリも開発されていて、スマホやタブレットからもアクセス可能。三者間で必要なやり取りの90%がカバーされている教育プラットフォームは、2002年に民間企業と協力して開発されました。2012年には420校以上に導入されており、今では全国の公立学校で活用されています。
人口130万人に対し、アクティブユーザー数は29万人ですから、ほとんどの子どもと保護者が利用しているといえるでしょう。eKool導入の際は、先生への研修もしっかり行ったので、年配の先生方もICTを使いこなしています。
ICTは大量の雑務を減らし、効率化を計れます。浮いた時間をどう使うかにもよりますが、先生が雑務ではなく、教育の本質に向き合う時間が増えるのではないでしょうか。
日本でも企業や私立の学校では導入されているかもしれませんが、公立学校に全面的に広めたという点が他の国との大きな違い。エストニアの教育には『取り残される子を作らない』という姿勢が見えます。
ですから、何か新しい教育施策を打つときも、『公立学校すべてをカバーして、教育システムを整えよう』という公平性がベースにある。つまりエストニアのICT教育のコアは、あくまでもインフラ整備であって、ICTというリソースを最大限活用し、プラットフォームを整えることを目標としています」
さまざまなICTツールが人々の日常に溶け込んでいる
教育現場で主に使われるeKool以外にも、エストニアにはさまざなICTツールがあると大津さん。
「大学では、オンライン入学申込システム『DreamApply』というツールをよく使います。これは、入学申請、書類提出、面接、結果通知をデジタルで完結させることができる優れもの。
保育園での子どもの様子も、手書きの連絡帳ではなく、プラットフォーム上の電子ジャーナルで確認するため、持ち物などの連絡事項もプラットフォームで全て確認できるのでとても便利です。
保護者会の議事録やイベントの写真なども確認できるので、言語にハンデがある私達のような外国人夫婦にはとても助かっています。保護者の集まりも1回目以降は、オンラインでの情報共有のみに移行しました。
新型コロナウイルスの影響で閉校措置がとられたときも、オンラインへの移行はスムーズでしたね。これには、ICT化によるインフラ環境が整っていることや、コロナショック以前から2020年末までに、”全教材”のオンライン化を目標としていたことも大きな要因となっています。
即オンラインへ移行したものの、『パンデミックによる義務教育のオンライン移行の期間はできるだけ短くするように』教育の専門家たちから政府に要請があり、生徒同士の関わりなど、対面することでしか得られないものがあることは教育庁も理解していました。
また、エストニアの教育省は、世界各国のオンライン教育のインフラの格差解消に寄与すべく、教育リソースを世界各国と無料でシェアする取り組みも行っています。
この取り組みには、バルト3国のラトビア、リトアニアをはじめ、北欧のデンマーク、フィンランド、アイスランド、ノルウェー、スウェーデンが参加し、40を超えるオンライン学習ソリューションが集まりました。
保護者向けに、自宅学習にどう取り組むべきかというオンラインセミナーも開催しており、オンライン学習のためのサポートにも積極的に取り組んでいます。
また、学校の授業や宿題でも、アプリやゲームを積極的に取り入れているため、子どもたちにとってはゲームと勉強の線引きが曖昧なくらい、授業や宿題が充実しています。家庭学習も学習アプリを活用し、子供が自ら楽しく勉強に取り組める努力をしているので、街中でも学習塾を目にすることはあまりありません。
エストニアは2018年のPISAランキングが欧州1位。平均点で学力を計るPISAの点数が高い理由には、すべての子どもたちが平等に、かつICTを有意義に活用した学習スタイルが関係しているのだと思います。
デジタル化をすすめているわりに、PCの支給はありませんが、公立校に進学する場合、学費は基本的に無料。教材費、課外授業費、食事代は別途かかるかと思いますが、額としては1日数ユーロ程で大きくありません。
エストニアの大学はほぼ国立で、大学進学率は2018年の時点で70.37%。エストニア語のコースをフルタイムで取る場合は原則学費無料で、英語コースは学費がかかりますが、主に留学生を対象としています」
古くなる知識よりもリテラシーを育む
ICTツールをインフラとして最大限に活用した学校で学ぶエストニアの子どもたち。その学びの内容は、どのようになっているのでしょうか。
「幼児教育はどうなっているかというと、保育園は、1.5歳から3歳までは預かり保育がメインなのですが、3歳以降はプレスクールに通い、小学校入学の準備段階に入るカリキュラムが設けられています。
北欧諸国に倣って作られたカリキュラムでは『生涯学習の姿勢を育む』ことが大切とされていて、一方的に教えるよりも、生徒自身が学んでいく意欲を育んでいきたいという考え方です。
タリン市の場合、月10000円程度かかり、国が定める月の最低所得の12.2%が月額料金で、これに食事代と教材費がプラスされます。ただ、保護者が教材や工作の材料を用意することはありません。
ICT先進国ということで、幼児教育からパソコンなどを使っているのではないかと思われる方が多いかもしれませんが、幼児教育ではカリキュラムに”テクノロジー”の記載がないんですよ。そのため、全くコンピューターに触れることのないという園もあります」
小学校になると情報テクノロジーの授業が始まりますが、デジタルデバイスを使ってできるプログラミングなどのスキルを積極的に教えているわけではないと大津さんはいいます。
「テクノロジーの技術は日々更新され続けているため、技術や知識を教え込んでも、彼らが大人になったときには古くなってしまう。
それよりも、どのように自分の手で必要な情報を集めるかということを教えたり、生涯学習の姿勢を作ることの方に重きを置いているのです。
だからこそ、授業の根幹は、そのテクノロジーがどのような経緯で開発され、どのような可能性を持つかを考えること。どうやって自分が欲する情報ソースを見つけ出すかなどのリサーチ力も鍛えます。
ほかにも、膨大な情報の中からフェイクニュースを見分け、精査することの重要性といったメディアリテラシーも同時に教えています。
また、倫理の授業では、さまざまな宗教について学び、宗教を客観的に見ることを教えます。というのも、エストニアは欧州では珍しく、半数以上が無宗教。
物事をニュートラルな視点から俯瞰すると、自分のことも客観視することができます。エストニアで感情的な言動をする人が少ないのは、ここに関係しているのかもしれません」
未来を支える若きアントレプレナーたち
自分は将来どうなっていきたいのか、そのためには何を身に付けていけばいいのかということを考えさせる、”キャリアプラニング”も小学生から行います。
「エストニアの学校で特にユニークな授業は、“アントレプレナーシップ(起業家精神)”。
起業するために必要な、資金調達、チーム作り、環境への配慮、消費者・従業員・起業家それぞれの権利や義務といったことを学び、起業を将来の選択肢の一つとして意識するというものです。実際に「ミニカンパニー」を作るというプロジェクトも行います。
また、子どもたちは、体系的なことを教えてくれる先生だけでなく、その道のプロである大人たちとも交流を持って、より深い知識を得ていくことができます。
子ども向けの科学館、学生起業支援、産学連携の複合施設『MEKTORY(メクトリ)』は、子どもたちの課外授業先としても人気。IT系、技術系、工学系などさまざまな設備が子どもたちや若い世代に開かれているこの施設では、スタートアップを立ち上げた大学生などの若い起業家たちの話を聞き、製品開発をしているシーンを見て、”起業”を肌で感じることができます」
エストニア政府のe-Estoniaによると、「スタートアップのしやすさランキング」、「人口ひとり当たりのユニコーン企業(評価額10億ドル以上の未上場スタートアップ企業)輩出ランキング」は世界1位。
小国ゆえにグローバル企業がほとんどないこの国において、エストニアで設立されたSkypeは人気企業のひとつであると大津さん。エストニア発エストニア人によるユニコーン&グローバル企業”Transferwise”は送金サービスを行う企業で、日本にも進出しています。
「なぜ国は小学校の授業にまで取り入れてアントレプレナーを育成したいかというと、子どもたち全員が起業するわけではないにしても、自分でビジネスを起こすことが社会でどのような意味を持つのかということや、会社の成り立ちを知ることが大事だと考えているから。
エストニアの平均賃金は欧州諸国より低く、EU圏内は移動が自由であることや、英語が堪能であることも手伝い、若い人材がどんどん流出しているという課題も関係しています。
世界に開いた国であるエストニア政府は、若者が外国に出ていくこと自体を止めるつもりはありません。
ですが、いろいろな経験を積んだうえで、もう一度戻ってきて国の力になってほしいと願っているからこそ、子どもたちがエストニアで起業したいと思ったときに、すぐに行動に移せるようにと教育機会を設けているのです」
<取材・執筆>KIDSNA編集部