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【インドの教育】トップクラスのIT人材を生むエリート教育
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さまざまな歴史や風土をもつ世界の国々では、子どもはどんなふうに育つのでしょうか。この連載では、各国の教育や子育てで大切にされている価値観を、現地から紹介。今回は、インドで出産・子育てを経験されたさいとうかずみさんに話を聞きました。
世界第2位を誇るインドの人口は13億人。近年、Google、Microsoft、Adobeなど世界を牽引するIT企業のトップにインド出身者が名を馳せているほか、エンジニアとして活躍するインド人が世界の関心を集めています。
2007年からインドに在住し、出産と育児を経験したさいとうかずみさんは、イギリス統治下で行われた教育の名残が現在まで続き、インド教育の基になっていると語ります。
「インドは国を挙げて優秀な人材を育成したいと思っています。1947年にイギリスから独立して以降、今でも『上流階級を中心とする、英語によるエリート教育』がインド教育のベースになっています。
独立後はエリート層だけでなく、国民全員が平等に教育を受けられるよう改革を進めてきましたが、エリート教育の影響が色濃く残っている現状があります」
“英語を”学ぶのではなく“英語で”学ぶエリート教育
インドには公式に22の州があり、それぞれが自治権を持っていて約18種もの言語が州公用語として使われています。公用語であるヒンディー語もその中のひとつでしかなく、一部の州でしか伝わりません。
「国としてインドの公用語はヒンディー語、準公用語として英語が定められていますが政治用語には英語が使われ、裁判では他言語の使用は認められていません。
一定レベル以上の大学では英語による授業が行なわれているため、それ以前の教育で英語の習得は必須。英語を話せるか否かで将来就ける職種の選択肢が大きく変わってきます。州を越えた共通語の英語を話せると、インドのどこでも働くことができます。
中流以上の教育では教科として『英語を』勉強するのではなく、ツールである『英語で』何を勉強するのかということが問われます。英語による教育を受けさせたいと願う保護者は多く、授業を全て英語で行う、イングリッシュ・ミディアムスクールが人気です」
インドでは6歳未満の未就学児の教育は”preprimary”と呼ばれ、小学部に上がるまでの準備期間とされています。そこでは3、4歳の”pre nursery”、4、5歳の”nursery”、5、6歳の”pre primary”という区分で、子どもたちは段階的に集団生活を学び、読み、書き、算数という初歩的な学習の導入を経て、学校に上がります。
「上昇志向が強いインドでは、早期教育も盛んです。長女を出産した2008年は、『小学校入学前に教育を』と早期教育ブームに火が付き始めた頃。義務教育は6歳からでしたが、首都圏ではより早く入学させて教育を受けさせようという保護者が多くいました。
娘が0歳で入園した母子クラスでは、赤ちゃんへの正しい”英語での”声かけを行っていました。先生からは、『しゃべることができない赤ちゃんでも、リトミックや、図工などのアクティビティタイムを親子でいっしょに過ごすことによって脳へ刺激を与え、相互作用のなかで社会性が育まれる』と教わりました」
”0”の概念を生んだ国の算数教育
インドでは2020年に教育改革があり、未就学児も教育プログラムに組み込まれることになりました。これまでは6歳からとされていたカリキュラムを、3歳から組み込み、15年の義務教育とすることとなったのです。
これはECCE(Early Childhood Care and Education)と呼ばれ、総合的な学習、能力開発、健やかな成長を目標としています。
授業の特徴のひとつは、算数の学び方。日本の小学校で教えるかけ算は9×9の一桁までですが、インドでは二桁のかけ算を未就学児から取り入れている、とさいとうさんは話します。
「小学生になる前に算数を勉強することも、国の教育方針になっています。『インド人は数字に強い』と言われるヒントは、幼児期から触れる数字の概念にあると思います。
娘の場合は年中から年長の歳で算数を始めましたが、二桁のかけ算でもすぐに答えます。私にはわかりませんが、『こういう理由でこうなるんだよ』と説明しているので暗記というよりも、論理的に理解しているように思います。
日本では”インド式”と呼ばれているそうですが、算数への導入は日本と全く異なり、数字の概念を頭に入れるとことろから始まります。
日本では足し算、引き算、その後に九九の暗唱と続きますが、インドの場合はスキップナンバーという学び方が算数の入口。たとえば『100、125、〇〇、175、200』という虫食い問題があるとします。100から200の間に何が入るかという数字の配列を考える問題から、数学的な概念を学んでいきます。
最初のうちはカウンティングボードという1から100まで数字が書いてあるボードを横に置き、確認しながら虫食いを埋めていきます。次第にボードを見なくてもわかるようになってくる。空いているところに何が入るか、数字が何倍ずつ増えるか、暗記ではなく理解するまで徹底的にやります」
2000年問題をきっかけに教育のIT化を推進
「インドのIT技術が注目されるようになったきっかけは”2000年問題”。年号を二桁で管理しているコンピューターが西暦2000年を1900年と誤認してしまい、世界中で大混乱が起きました。
膨大なプログラム修正の人員として優秀なIT技術者を多数輩出するインド人技術者への需要が高まり、インド人のITスキルに世界から注目が集まり、インド人エンジニアの活躍の場を世界に広げることとなったのです」
世界をリードするIT企業やスタートアップ企業が集まるシリコンバレーでは多くのインド人が働いています。
Google CEOサンダー・ピチャイ氏を始めとして、多くのエンジニアを輩出するインド工科大学(IIT)は、インドで最も有名な国立大学。インド各地23カ所にキャンパスを置き、国家的な重要性を有した研究機関とされ、その研究水準の高さは世界的な評価を受けています。
「2014年に就任したモディ首相が推進しているのは”デジタル・インディア”。外国に頼らないインドの独り立ちを目指すため、IT分野には特に力を入れており、モバイルを活用したデジタル決済や、国民ID制度の普及を推し進めています。
それは、外国の手を借りず、自分たちだけで成し遂げるために、海外流出した優秀なインド人の目を、再び国に向けさせる狙いもあります。
また、コロナウィルスの感染拡大で、インドは3月25日からロックダウンしましたが、3月中には多くの私立学校でウェブを活用した授業が開始されていました。
これは、政府が都市部から離れた農村部にも教育が行き渡るようにオンライン学習を推進してきたことや、大学の通信講座や、スキルアップのための資格取得などにオンライン学習が利用されているという基盤が大きかったと思います。
娘の学校では、パソコン画面でライブ授業に参加するほか、オンラインを使った教育システムで課題を行っていましたが、英語、算数、社会、科学から、パソコン、アート、体育まで、学校で学ぶ全ての科目が揃っています」
学力で不条理を乗り越え、道を拓く
英語を使ってさまざまな科目を学ぶエリート教育や、未就学児からの高度な算数教育を積み重ねるインドは学歴重視。小学校10学年の終わりに受ける全国統一試験(Board examination/Public exmaination)の結果次第で進路が大きく分かれるため、子どもたちはテストで高得点を取るというゴールを目指して勉強に励みます。
「幼いころから英語による早期教育を受け、熾烈な点数主義教育により勉強に関する悩みを抱える学生が増えたことが、一時期インドで問題として取り上げられました。
ですから、テストの点数だけでなく、子どもに自発的に考えさせることも大切にしています。
娘が5年生のときの授業では、一学期まるまるかけて難民問題を扱いました。全体をうっすら学ぶのではなく、ひとつのテーマを深く掘り下げる。テストの点数だけでは測れない思考力を養い、学期末にプレゼンテーションを行うことでアウトプットの力も育みます。
学力だけでなく、意見を発表したり、ディベートに参加できるリーダーシップのある子どもが授業の中でどんどん才能を伸ばしていくことができます。
格差社会が背景にあるインドは、中央政府の管轄、州の管轄、私立の学校に区分され、それぞれが異なる教育カリキュラムで運営されていましたが、1986年の教育改革によってカリキュラムの統合が進められています。ですが、まだまだエリート教育を受けられる家庭とそうでない家庭の差が激しいと感じます。
貧しい家庭の子どもが通う学校は、政府の公立学校。学費はかからないものの、数が少なく設備が不十分で、教師不足などさまざまな問題を抱えています。学校では州の公用語が使われることがほとんどで、将来を分ける英語の教育も十分に受けられません。
インドでは貧しい家庭は公立校へ、お金のある家庭は私立へ行く、とはっきり分かれています。公立校は国が運営しているといっても、設備や教師の質や数に問題を抱えていて教育レベルも低い。つまり、貧しい人ほどよい教育を受けられないという現実があります。
インドでの『一般的』は、中流階級以上のことを指すんですよ。人口からすると貧しい人々のほうが圧倒的に多い。世界で注目されているインド人は、ピラミッドの上の方のわずか一握りしかいません。
今でも、家庭の事情で学校をドロップアウトしてしまう子どもやストリートチルドレンがいるなど、日本では考えられないほどの差があります」
世界銀行の「世界の貧困に関するデータ」によると、2015年時点でインドの貧困層は、1億7,000万人以上。世界の貧困層の約4分の1をインドが占めていると発表しました。1日1.9ドル以下で生活する貧困層が人口13億人に対して13.4%いる割合になります。
インドの格差は、ヒンドゥー教における身分制度を指す”カースト”に始まります。紀元前13世紀頃からバラモン(司祭)、クシャトリヤ(王族)、ヴァイシャ(市民)、シュードラ(労働者)の4つの身分に大きく分けられました。さらにカーストの外にある人々はアチュート(不可触民)と呼ばれ、激しい差別にあっていました。
「1950年に制定されたインド憲法17条により、カーストによる差別の禁止が示されていますが、言葉や考え方は根強く残っていると、インドで生活する中で感じます。
ですが、インド人の上昇志向の強さはここにあるのではないかと思うんです。貧しい人ほど上を目指す傾向は強い。たとえば、誰かが儲け話をしていると『どうやって成功した?』と興味を示し、自分も実践します。
昔は職業区分とカースト区分はイコールでしたが、時代が移り、情報技術という職業区分に属さない全く新しいIT関連の職業が生まれました。IT関連職に就けるのは中流階級以上の方がほとんどを占めますが、中には貧しい家庭の出身者もいます。それが、インドでエンジニア職に就く人が多いことにも繋がっている。
また、インドには、貧困層の中から才能の原石を発掘する活動を行っている方もいます。
教育機関"Super30"創始者のアナンド・クマール氏は、公立校に通い独学で勉学を深めて発表した数論をきっかけに、ケンブリッジ大学に合格するも、渡航費が払えず入学を断念。
悲運の秀才と呼ばれた彼は、自分と同じような境遇の学生を見つけて教育をする塾を開設し、貧困地域に暮らす15歳の子どもを受け入れて、宿や食事、教育費を無償で提供する活動を行なっています。
そこで発掘された子どもたちは、貧しくも優秀な子どもたちばかり。インド最難関の大学であるインド工科大学(IIT)へ次々と合格を果たしていて、卒業生の中には東京大学に留学している学生もいると聞きます。
キラリと光る才能を見つけ出し、教育機会を与えるクマール氏の活動は素晴らしいもの。学力に貧富の差は関係ありませんから。
世界においても社会格差が顕著なインドで長い間課題になっている教育格差は、未だ課題ですが、まだ埋もれている才能を一斉に発掘するために、まずは学校の数を増やすなど政府も懸命に取り組んでいます」
<取材・執筆>KIDSNA編集部