子どもを自立させたい親が心得るべき「境界線」【オードリー・タンの母に聴く】

子どもを自立させたい親が心得るべき「境界線」【オードリー・タンの母に聴く】

2021.08.20

台湾史上最年少で入閣しデジタル相となった、オードリー・タン氏の母が、子育て中の保護者たちが抱えるさまざまな悩みに回答。子どものために大人ができることとは? 『天才IT相オードリー・タンの母に聴く、子どもを伸ばす接し方』(KADOKAWA)を一部抜粋・再構成してお届けします。

子どもを自由に育てたいけど、将来が不安

まずは、「ありのまま」や「自由」とは何を指すのか?から考えてみましょう。「ありのまま」が子どもの本質という意味なら、おっしゃるとおり、私は子どもひとりひとりの本質に立ち返って、そこから一緒に成長したいと考えています。

次に「自由」ですが、台湾の社会において「自由」の意味はとてもあいまいです。一般に「自由」と呼ばれるものは、私にとって「好き放題」を意味することが多いので、よく相手と話がかみ合わなくなってしまいます。

私の考える自由は、「結果を考えた上で選択すること」を指します。つまり、自由と責任は切り離すことができません。

私たちは、誰もが社会の一員として生きています。世捨て人になっても、心と体を完全に社会と切り離すのは難しいでしょう。

私は子どもに「世の中から孤立したって一人で生きていける」なんて噓は言いません。むしろ、「可能性にあふれる外の世界へ飛び出しなさい」と言います。

また、子どもに社会になじむことを一方的に押し付けても、意味がないと思っています。私の考えでは、人と社会は「お互いに作用し合う」関係にあります。

つまり、双方が主体性を持って意見をぶつけ合える関係です。誰しも自分の個性、能力、人生の目標などを理解し、身の回りの世界を見つめ直すことができれば、社会とプラスに作用し合う関係を築けます。

子どもが自分自身や周囲との関係を理解するには、大人と意見を交わすことも必要でしょう。でも、親の意見を受け入れるかどうかは、子どもが決めること。

子どもは、親から見ると大変な方、良くない方を選びたがるかもしれません。これが自主学習の始まりです。

結果的には子どもの考えが正しくて、親が心配したことは起こらないかもしれません。その時は、間違った認識を正してくれた子どもに感謝しましょう。

もちろん親の考えが正しいこともあります。でもその時は、子どもを馬鹿にしたりしないでください。子どもは失敗した経験から、世の中をまたひとつ知り、より良い自分に近づくのです。

私にとって子どもを育てるとは、ひとつまたひとつと学んでいく子どもに寄り添うこと。ただそれだけです。

子どもが「分からない」と言うのはどうして?

子どもが「分からない」と言うのは、それが一番安全な答えだからです。

両手をあげて「分からない!」と言うことで、責任を取る必要がなくなるのは、そこにはっきりとした境界線がないことを意味します。

ここでいう境界線とは、人が自分で決定し、自分で責任を負う範囲のこと。その範囲内にあることは必ず本人が決定し、他人は意見を伝えることしかできません。また、その決定がどんな結果をもたらそうとも、本人だけの責任です。

他人と境界線の範囲が重なった場合は、本人同士で話し合って決定し、双方が責任を取ります。

我が子に自分の行動に責任を持てる子になってほしいと思うなら、大人は子どもの境界線の中に入っていかないよう注意してください。

たとえば、子どもが小さいうちは思うようにご飯を食べない時がありますね。でも食事を「子どもの境界線の中のこと」と考えると、親がするべきことは、ご飯の時間に栄養のある食べ物を用意することだけで、それを食べるかどうかは子どもの問題です。

ご飯を食べずにあとでお腹が減ったら、それは子どもの責任で、親が心配したり、怒ったりすることではありません。もし親が用意したものと子どもが望むものが違ったら、その時は話し合いで解決しましょう。

子どもの中で自分の境界線がはっきりしてくれば、「分からない」という声を聞く機会も減っていきます。

この境界線は、子どもの成長段階に応じて変化しますし、文化や時代によっても異なります。ですから、お互いの境界線について話し合うのは、人と人が共に生きるためにも大切なことだと思います。

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子どものことを大切に思っているのに、本人は周りとうまくいっていない……

あなたの子どもは一人っ子なので、何よりあの子が大切だというあなたの気持ちは分かります。

しかし、ここ数日の彼の様子を見た結果、恐らくあなたのお子さんは甘やかされ、無視された子どもであるとお伝えしなければなりません。

きっと納得できないでしょう。こんなに愛しているのに、自分があの子を無視しているわけがないと思うでしょう。

でも、私たちは彼のような子を何人も見てきました。この子たちの親は、自分に対する埋め合わせのために子どもを甘やかしているのです。

親は自分の姿を子どもに投影しているだけなので、結果的に子どもの心の中にある本当の要求は無視されてしまいます。

こうした子どもは親に拒絶された子どもと同じく、過剰なまでに大人の注目を集めたがり、深刻な場合には、力で人を支配しようとする人間になります。

自分の非を認めない、何でも一番にこだわる、負けず嫌いといった性格は、子どもに対する親の期待と関係していることが多いです。

親の期待に応えようとして、子どもが無意識に自分の感情を閉ざしてしまうと、外に表れる言動と心の中の要求がどんどん離れていって、最後には人を思いやる心を失ってしまいます。これは本当に心配なことです。

子どもの要求を「直視」するとは、ひたすら子どもの求めに応じることではありません。

子どもが社会や他人と関わり合い、社会性や対人関係を学ぶためには、親が真剣に子どもの要求に向き合い、先入観のない態度で応じることが必要です。

親が子どもを甘やかす、または拒絶していると、結局は子どもの心の要求が「直視」されないままです。

だからこそ多くの親が戸惑いながら「心血を注いで育てたはずが、どうしてこんな難しい子に?」という疑問を抱きます。それはこうした親の努力が、全て自己投影や自己満足のために費やされていたからなのです。

たとえば、子どもがあるおもちゃが欲しいと言ったとします。欲しい物を買えなかった子ども時代の埋め合わせがしたい親、子どもに面倒を起こされたくない親、子どもに後ろめたさを感じている親は、口をそろえて「いいよ!お金をあげる」と言い、子どもを拒絶する親は「ダメ!」と言うでしょう。

でもどちらの場合も、親は子どもの要求を直視していません。なぜなら、親は子どもがおもちゃを欲しがった理由も知らなければ、この要求に対する自分の理解や、この答えに至った理由を子どもに伝えてもいないからです。

こうした親たちは子どもを教育する絶好のチャンスを逃しているのです。

子どもが公共の場で大声をあげたり、他人のものを触ったり、周りの備品を壊したり、駄々をこねたり、ふざけたりするのを放っておいて、もっともらしく「子どもの意思を尊重している」と言う親をよく目にします。

実は、これも子どもを無視しているのと同じです。親は子どもの要求に自分の心を傾け、子どもが世の中と適切な関係を築くため、子どもに手を差し伸べる存在であってほしいと思います。

「わかっているのに努力できない」と言われたら、なんと答えればいい?

そもそも、あなたの子どもはとても恵まれた子どもです。早くから自分の素質を理解し、スポーツ万能で、漫画や絵を描くという特技も見つけました。

でも彼は、みんなと同じように語文や算数のテストでもいい点を取りたいと言います。芸術大学に進学できなかったら将来お金を稼げないと思っているのかもしれません。あるいは、周りの生徒をライバル視して、負けたくない一心なのかもしれません。

また、彼はいつも漫画を読んでばかりで、スポーツと漫画以外には興味を持ちません。以前は画力を上げようと頑張っていたのに、最近はその努力も止まっているようです。

お母さんがその話をしたら、彼は「自分でも良くないと思ってる。努力が必要なのは分かるけど、どうしてもできないんだ」と答えたそうですね。

子どもが自分を責める姿を見て、あなたはショックを受けたことでしょう。この話を聞いた時、私も返す言葉に詰まりました。

さて、語文や算数は、そんなに重要でしょうか?あなたの息子は普通に生活するのに充分な読み書きと計算能力を持っています。大人だってよく漢字を間違えるじゃないですか。数学や言語を使った仕事で生きていこうと思わない限り、日常生活に困ることはまずありません。

芸術大学に行くことは、そんなに重要でしょうか?芸大を出ていない芸術家は、世界中に数えきれないほどたくさんいます。一般人が皆と同じ道を歩きたがるのは、ひとりが怖いか、ひとりで進む方法が分からないからです。

そういえば、次男が5年生の時も、ゲームばかりしていることを夫と一緒に心配したものです。親は心配する生き物、そう思いませんか?

大切なのは、その気持ちにどう向き合うかです。私は、心配する気持ちを子どもに伝えるという方法をとるようにしています。

息子によると、私は子どもの行動を責めたり、何かを強制したりしないので、子どもは他人の目に映る自分を「鏡を見るように」確認して、今自分がするべきことを考えられるんだそうです。

当時、次男はゲームの時間を制限しようと考え、自分も納得できて、同時に夫や私の理解も得られる答えを見つけるまで、何度も何度も調整しました。

こうやって次男の問題は解決しましたが、長男(オードリー・タン氏)の心配はそれからも続きました。彼はまだ自分の役割や目標を見つけられずにいたからです。

12歳になってようやく自分自身や周囲と素直に向き合えるようになり、13歳になると、私に心配をかけることもなくなりました。

あなたの息子もまだ自分の役割が見つけられないだけです。これは人生のかかった問題ですから、答えが見つかるまで親は手出しできません。親が唯一できるのは、「たとえどんな答えが出ようとも、あなたを愛しているよ」と伝えることだけです。

長男が最も苦しみ、迷い、死んでしまいたいと思っていた頃、「もし僕がおかしくなって、路頭に迷っても、僕を愛してる?」と聞いてきたことがあります。「愛してるに決まってるじゃない!」そう言って私はその場に崩れ落ち、長いこと泣き続けました。

当たり前のものだと思っていた競争社会、学校教育、そして両親の期待が、どれほど子どもを追い詰めていたか。時間をかけてようやくそのことに気づいた私は、それまでの価値観を何もかも捨てることにしたのです。

子どもにとって何より大事なのは、「大切な人が自分を受け入れてくれる」ことです。

さて、もうひとつ考えたいのは、「何かを始めたらやり通すべきか?」という問題です。一般的に、親は子どもが途中でやめることを、子どもの意志の弱さの表れだとマイナスに判断しがちです。

でも私は、子どもの本当の望みを見つけたければ、試しにやってみるというプロセスは不可欠だと思っています。

ひとつひとつ選んで、試してみなければ、自分の適性は見つかるはずもありません。

自分の性分に合うものさえ見つかれば、それまでの練習は無駄になりません。大切なのは最終的に適性を見つけ出すことです。

もしあなたの息子が、世の中に何千、何万とある漫画の中から自分に合ったスタイルを見つけようと思えば、一冊でも多くの漫画を読む以外に方法はありません。だから今の漫画漬けの生活も、あながち間違いとは言えないですね!

ある日、この作風が自分に合っていると感じたら、それを描き始めればいいし、途中で違うと感じたら、また変えればいい。これは中途半端ではなく、試行錯誤と呼ぶべきです。

子どものことは誰よりも子ども自身が分かっています。ただ、子どもは親を愛するあまり親が望む自分になろうとして、次第に「自分を理解する能力」を失っているだけなのです。

世の中の全ての親が、自分の子どもを受け入れ、自分の道を模索する子どもを応援できたら、どんなにいいでしょう。私の頭に浮かんだのは、「落ちこぼれ」と呼ばれ、受験競争の中で自分を否定された子どもたちです。

親以外に、この子たちを支えてあげられる人がいるでしょうか?あなたの家族全員の幸せを願っています。

天才IT相オードリー・タンの母に聴く、 子どもを伸ばす接し方

李 雅卿(著)、瀬 和恵(翻訳)

1,870円 KADOKAWA


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2021.08.20

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