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「おさるのジョージ」の作者、レイ夫妻の波乱に満ちた旅
子どもたちも大好きな「おさるのジョージ」。かわいらいしいジョージと黄色いおじさんの物語は世代を超えて愛されている本ですよね。しかし、その作者であるレイ夫妻の波乱に満ちた旅の話はご存じない方も多いはず。「おさるのジョージ」が生まれた背景とはどのようなものだったのでしょうか。
レイ夫妻の長い旅
テレビでもアニメ作品が放映されている「おさるのジョージ」のもとになっている「ひとまねこざる」。この作者であるレイ夫妻(夫=ハンス、妻=マルガレーテ(のちにマーガレットに改名))のことをご存じでしょうか?
ドイツに生まれたレイ夫妻は、ユダヤ人でした。ヒトラーのユダヤ人迫害の時代、二人は手作りの自転車でパリを脱出し、新大陸アメリカに向かいます。ふたりの旅の軌跡から、「おさるのジョージ」が生まれた背景や作品に込められた思いを考えてみようと思います。
ドイツ・ハンブルグ生まれのふたり
1906年、ハンス・アウグスト・レイヤースバッハはハンブルグで生まれました。幼いころから絵を描くこと動物園に通うことが大好きな男の子でした。
ハンスが生まれた8年後の1914年、マルガレーテ(のちにマーガレットに改名)・ヴァルトシュタインも同じハンブルグで生まれました。本がたくさんある家に育ったマーガレットは芸術家を目指し、バウハウスで美術と写真を学びます。
第1次世界大戦の時代
ハンスはドイツ軍の兵士になりましたが、従軍中もずっと絵を描くことはやめませんでした。ドイツが戦争に負けた20歳のとき、ハンブルグに戻り絵を描く仕事をしましたが、その生活は決して楽ではなかったそうです。
ハンスは大学生として数年をすごしたあと、かばんにスケッチブックと絵筆を入れて、船でブラジルに渡ります。
ブラジルでの出会い
ハンスがたどり着いたリオデジャネイロは、ハンブルグと同じく、貿易で栄えていました。アマゾン川ではよくサルに出会い、観察やスケッチをしたそうです。
そのころヨーロッパではヒトラーがドイツの政権を握り、ユダヤ人の暮らしはどんどん厳しくなっていました。マルガリータはロンドンで写真家として働いていましたが、新天地を求めて1935年にリオデジャネイロへ。家族ぐるみのつきあいがあった二人は自然に出会います。
動物が好きという共通点もあり意気投合し、二人で文章を書き、絵を描く仕事をすることにしました。そして、この年の8月に結婚して一緒に暮らし始めます。ペットは2匹のマーモセット。「おさるのジョージ」のような、いたずら好きのやんちゃなサルでした。
ヨーロッパへ
パリでの暮らし
二人は新婚旅行でパリを訪れます。芸術家がたくさん集まるモンマルトルの「テラス・ホテル」に滞在しました。ここが気に入り、そのまま4年間このホテルで暮らしました。2匹のカメをペットとして飼っていたそうです。
フランスではたくさんのスケッチをし、写真を撮り、創作について語り合いました。このころから子ども向けの絵本をつくるようになります。1939年、ハンスはフィフィという名前のサルが主人公の「フィフィのぼうけん」という物語を書き始めました。
戦争と絵本づくり
このころ、ヨーロッパで戦争が始まりました。二人はフランス南西部に移動し、そこで創作活動を続けました。「フィフィのぼうけん」のほかに、ペンギンが世界を旅する「ペンギンくん、せかいをまわる」というお話も書きました。
パリに戻ってこの2冊の絵本を仕上げましたが、戦時下のため出版物が厳しく制限されていました。そして、1940年にドイツ軍の侵略が始まり、二人の運命は大きく変わります。
パリを自転車で脱出
自転車をつくる
ユダヤ人であるふたりにとって、ヒトラーのフランス侵略は大きな脅威でした。ハンスとマーガレットはアメリカに行くことを決意します。すでに市民200万人がパリを脱出し、街には住人が少なくなっていたそうです。
もう汽車は走っていなかったので自転車を探しましたが、部品しか見つかりませんでした。それを購入しハンスが自転車を組み立て、マーガレットは身の回りの支度をしました。そして急いで自転車で南にむけて出発しました。
スペイン、ポルトガル、そしてブラジルからアメリカへ
ふたりは3日間、自転車をこぎ続けました。フランス南部のオルレアンまでたどり着き、自転車から汽車に乗り換えました。持ち物もお金も少なくなっていましたが、そのままスペインにぬけて、ポルトガルへ。パリを離れて9日がすぎていました。
リスボンから船に乗り、13日かけて南アメリカ大陸に到着し、陸路でリオデジャネイロを目指します。そこから船でアメリカに渡りました。
パリを離れて4ヶ月、ついにハンスとマーガレットはニューヨークに到着したのです。
「おさるのジョージ」の誕生
フィフィからジョージに
ニューヨークに着いた1年後、最初の絵本が出版されることに。処女作は「ひとまねこざるときいろいぼうし」。「フィフィ」はアメリカ風の「ジョージ」という名前に変わりました。そして、二人は「H.A.レイとマーガレット・レイ」として作家活動をはじめます。
物語に込められたメッセージ
ハンス(H.A.レイ)は1977年に、マーガレット・レイは1996年に亡くなりました。亡くなるまで二人はたくさんの絵本をつくりました。「おさるのジョージ」は日本でも人気の作品ですね。
やんちゃなジョージを育てる「黄色いぼうしのおじさん」の寛容さもこの作品の魅力のひとつですが、そんなジョージたちを優しく見守る町の人たちも印象的です。いろんな肌の色、習慣を持つ人たちが仲良く平和に暮らす姿は、レイ夫妻がいちばん伝えたかったことなのかもしれません。
まとめ
「おさるのジョージ」が誕生するに至ったレイ夫妻の長い旅路を追うことによって、改めてこの作品の深さを感じることができたと思います。長い旅路をともにし、作品を作り続けたレイ夫妻には子どもはいませんでしたが、きっとジョージが子どものような存在だったのでしょう。
戦争をくぐりぬけた二人の旅を知ることで、「おさるのジョージ」の登場人物たちの優しい姿がますます心に響くのではないでしょうか。子どもがもう少し大きくなったら、ハンスとマーガレットの旅の物語も伝えてあげたいですね。