【星野俊樹】小学校教諭が伝える“生と性”

【星野俊樹】小学校教諭が伝える“生と性”

子どもをとりまく環境が急激に変化している現代。小学校におけるプログラミング教育と外国語教育の必修化、アクティブ・ラーニングの導入など、時代が求める人材像は大きく変わろうとしている。この連載では、多様化していく未来に向けて、これまで学校教育では深く取り扱われなかったジャンルに焦点を当て多方面から深掘りしていく。今回は、小学校教諭として、独自の性教育を実践する星野俊樹さんに話を聞いた。

日本は“性教育後進国”と言われていることを知っている方はどのくらいいるだろうか。

現在行われている性教育は、私たち親世代が受けた教育から大きな進歩がなく、世界的に見るとかなり遅れをとっている。

性について親子で会話することをなんとなくためらってしまう親もいるだろう。そもそも、子どもは学校でどんなことを習っているのだろうか?

まずはその歴史から、ひも解いてみよう。

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まずは子どもを信頼することから

「学校では教えてくれない性教育」というタイトルでありながら、学校で実際に性に関する授業を行った先生がいる。今回は、桐朋小学校の教諭である星野俊樹さんに、今の時代に求められている性教育について話を聞いた。

星野俊樹
星野俊樹/学園法人桐朋学園桐朋小学校教諭。慶應義塾大学総合政策学部を卒業後、出版社に就職し、雑誌編集者を経て小学校教員に転職。東京都の教員として公立小学校に6年勤務した後、京都大学大学院教育学研究科に進学し2015年に修士課程を修了。同年、同校の教員として着任し現職。ジェンダーやセクシュアリティについての実践「生と性の授業」がメディアでも紹介され、大きな反響を呼んだ。「あの日の僕や君を救いたかった。『生と性』を小学生に教えた担任の2年間」(Buzzfeed)

まずは性教育をめぐる状況について、星野さんは「現代の日本には、子どもにわざわざ性的好奇心を喚起させるような情報を与える必要はないとする、『寝た子を起こすな』的な空気がいまだに漂っています。学校現場も例外ではありません」と語る。

――そんな考え方になったのは、何かきっかけがあるのでしょうか?

「2003年に都立七生養護学校が行なった性教育へのバッシングがあり、それが見せしめとなって、教育現場が委縮してしまったのが大きな原因です。

七生養護学校は障害のある子どもたちに、正しい性に関する知識を伝えるため、体の名称が歌詞に入った歌や人形を使って独自の性教育を行なっていました。

それに対し、ある東京都議会議員が不適切であると批判し、七生養護学校の校長や教員たちは東京都教育委員会から厳重注意処分を受けました。

現在の学習指導要領では、小学校では『受精に至る過程は取り扱わない』とされています。そのため、どうやって受精するのか、つまり性交について授業では触れることができません。

中学校では、『性交』という言葉はNGですが『性的接触』はOKということになっています。ですが、その性的接触が何を意味するのかは説明されず、避妊については、高校になってやっと習うというのが現状です。

このような性教育の現状は、子どもは無知で未成熟であり、それゆえ大人が管理的介入をしなければ逸脱してしまう存在であるとみなす子ども観に起因しています」

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iStock.com/gyro

――星野さんは、そんな風潮の中でどんな性教育を実践されたのですか?

子どもを何も知らない、何もできない存在と捉えるのではなく、本来有能な学び手だとみなす信頼ベースの性教育を行おうと思いました。

私を含め、今の大人たちは学校で性教育をきちんと受けてこなかった人が多いため、どうしても性というとエロい、いやらしいものというイメージから抜けられない。

しかし性とは、ひとりひとりの生き方やあり方に深くかかわるものだと思うんです。だから自分が行う性教育を、『生と性の授業』と名づけることにしました」

性とは、生き方やあり方である

自分の生きづらさが「生と性の授業」の原点

――生と性の授業のきっかけは何だったのでしょうか?

「世の中の『ふつう』という社会通念にずっと苦しんできた、自分自身の生きづらさがきっかけです。私は小さな頃から、体育会系的な男子のノリに全くついていけないような子どもで、みんなと違う自分や、男らしく振る舞えない自分に劣等感をもって生きてきました。

大人になってもその生きづらさが消えることはなく、以前働いていた職場でも、同僚の先生たちや保護者から、教師は結婚して子どもを持って一人前という暗黙の圧力を感じたりして、それがとてもしんどかったんですね。

桐朋小学校に赴任してから、そんな自分の生きづらさを勇気を出して同僚に打ち明けてみたら、『多様性に関する教育実践を学校でやってみましょう』と言ってくれたんです。そういう経緯で、その翌年にその同僚と同じ学年を組み、『生と性の授業』をスタートさせました」


小さな子どもにも宿るジェンダーバイアス

「まずは日々の学校生活の中で、子どもたちに宿る、性別にまつわる固定観念(=ジェンダーバイアス)を意識的に揺さぶり、崩していきました。

たとえば朝の教室でアロマをたいたり、私は料理好きなのでお弁当をつくって持っていったり。しかしその一方で、男の子たちと筋トレやバイクの話もしたりしました。

私の中に『男性的な記号』と『女性的な記号』の両方があって、それらをうまく自分の振る舞いの中に散りばめることで、子どもたちが持っている『男らしさ』『女らしさ』のバイアスを崩せたのではないかと思います。

肉体も自認する性も男性だからといって、内面のすべてが『男らしい』要素で構成されているわけではありません。たとえば、私はベリー系のお菓子やスムージーが好きなんですが、そういう嗜好を『らしからぬ女っぽい』ものとして排除したら、私が私でなくなってしまう。

だから自分の個性を構成する好きなものに自信をもち、『自分らしさ』を大事にすることを伝えました。すると、私と子どもたちとの関係にも広がりが生まれていくのがわかりました。

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これまであまり実践の例がなかった「生と性の授業」には、保護者の理解や協力が重要。授業をはじめる前に、学級通信で授業のねらいを丁寧に伝えた。

5年生、6年生と担任をもった後、昨年は1年生の担任だったのですが、ある男の子のお母さんに『うちの子、プリキュアが好きなんですけど、クラスでそれを言うとバカにされるかもしれないと悩んでいるんです』と相談されました。

そこで、私が詳しくなればいいんだと思ってプリキュアを観て勉強して。子どもたちの前で、『僕、プリキュア大好きなんだ〜』と言って、女の子たちとプリキュアごっこをやりました(笑)。

こういう姿を子どもたちに見せることで、男でもプリキュア好きでいいんだということを伝えられたらいいなと思っています」

――小学校1年生の子どもにも、しっかりとジェンダーバイアスが根付いているんですね……。

「子どもはすでに幼児の時点で、男の子だったら男らしく、女の子だったら女らしく振る舞えば、周りの大人たちが喜んだり、褒めてくれたりすることに気づきます。そういう大人や社会の期待に応え続けることで、子どもはジェンダーバイアスを内面化していくのです。

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現在担任をしている2年生に実施した生と性の授業。「男は強くていいけど、女は弱くてダセえ」と男の子に言われた女の子の声がきっかけで、ジェンダーについて話し合った。

だから家庭や幼稚園や保育園で、『男の子は水色で女の子はピンクね〜』みたいな関わり方を親や保育士が無自覚にし続けると、数年後にはジェンダーバイアスがしっかりと内面化された1年生が小学校に入学してくるわけです。

小学校の低学年でこのようなジェンダーバイアスを修正できれば、まだラッキーなのですが、何の手も打たなければ、“男らしさ/女らしさ”にがんじがらめに囚われた子どもになってしまいます。

ですから、生活の文脈の中で子どもたちの中のジェンダーバイアスを崩す教育的な働きかけを、幼稚園や保育園の頃から子どもたちにしていく必要があります。小学校からでは遅すぎるんです。

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性教育はどうあるべきか

子どもの言葉に身が引き締まった

――生と性の授業では、5年生のときにジェンダーバイアスについて、6年生のときにLGBTを含めた性の多様性について扱われましたが、子どもたちの反応はどうでしたか?

「ジェンダーバイアスについてみんなで考えた授業の後、熱心に聞いてくれた子どもたちが自主学習ノートに考えをまとめてきてくれたのですが、それに感動して学級通信に載せました。

『この世に、女らしさ・男らしさなどというものは実在しないのではないか。だって、生きていくうちに自然と常識になっていったものなので、だれがいつどこできめたわけではない。でも、いつの間にかできて、生まれてきた時からそれがあって、その流れにのって一生を過ごす。そんなあり方でいいのか?自分の希望を捨ててまで「らしさ」にしたがうべきなのか?』(5年男子)

『女子力という言葉があるのならば、男子力という言葉もあってもいいのになぜないのだろう?』という指摘もあり、鋭いなと。その子はジェンダー間の不均衡に気づいているわけですね。女子がこうあるべきという縛りは、男子はこうあるべきという縛りと表裏一体でもあるわけで、その子の指摘が子どもたちに深い学びや気づきをもたらしてくれました。

子どもたちの中にはもちろん、自分事として真剣に聞く子たちもいれば、最後まで他人事としてポカーンとしている子たちもいました。すべての子どもたちが自分自身の中に潜む差別や偏見にすぐに気づけるわけではありません。大事なのは、世の中にはこういう差別や抑圧の問題があるんだと、まずは子どもたちに知ってもらうことです。

子どもたちが成長していく中で、多様性に関わる問題にぶつかったときに『そういえば小学校でこんな勉強したな』と思い出し、理解や気づきをさらに深めていってくれればいい。問題意識が芽生えるタイミングや理解や気づきを深めるペースは人それぞれです。ただし、学校はそういう機会を子どもに与える義務があります」


いま必要なのは、包括的性教育

――生と性の授業の実践を通して、日本の性教育の未来をどう考えますか?

「小学校4年生くらいの時期に男女別に集められ、いきなり生理や精通について教えられて子どもたちがポカーン、もしくはクスクス、みたいな風景って小学校あるあるだと思うんです。

そして、中学校では生殖から思春期の心身の成熟、性感染症を、高校ではさらに避妊について習いますが、これらはすべて性に対する『TO DO』、何をするかということでしかない。日本の性教育はここに偏っています。

では何の視点が欠落しているかというと、『TO BE』、つまり人間のあり方です。そこには、ジェンダー平等や性の多様性などが含まれます。

『TO DO』と『TO BE』の両方を合わせた性教育が、国連教育科学文化機関(ユネスコ)が世界保健機関(WHO)などと2009年に採択し、2018年に改訂版が出された『国際セクシュアリティ教育ガイダンス』による包括的性教育です。

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5~18歳以上を4段階に分けて学習内容がまとめられたもので、欧米だけでなく、韓国、台湾、中国といった東アジアの国々でもこのガイダンスに沿ってつくった教科書が採用されています。

ちなみに東アジアの中で『国際セクシュアリティ教育ガイダンス』を参照していない国は日本だけ。日本の性教育は世界的に見てもダントツに遅れているのです。包括的性教育を行うことは、日本の喫緊の課題です」

親が今すぐできること

ここまで日本の学校での性教育の現状、そして星野さんの教育実践について話を聞いてきた。では、私たち親ができることは何だろうか。それは親自身が固定観念にとらわれず、子どもひとりひとりのあり方を尊重するということだった。


間違った“らしさ”を子どもに宿らせない

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――親が家庭の中でできることって何でしょうか?

「『男性脳』と『女性脳』という言葉を聞いたことのある方は多いかと思います。たとえば、男の子は生まれつき攻撃的で機械好きで、女の子はもともと母性があり感受性が強いのは、性別によって生まれつき脳の組成が異なるからであるというような説ですね。

しかしそのような考え方は、科学的根拠のない俗説であり、ニューロセクシズム(神経学的性差別)と呼ばれています。男らしさや女らしさを作り上げるものは、脳ではなく社会であることをまず保護者のみなさんには知っていただきたいと思います。

その上で、不適切な子どもの言動に対し、安易に『男の子だから・女の子だからしかたないよね』と済まさないでいただきたいのです。

それはたとえば、男の子の他者に対する暴力的、権力的な関わり方に対して『男の子ってわんぱくだし、そういうもんだよね』で簡単に済ませてしまったり、女の子が自分の本当の感情を押し殺して“いい子”に振舞っているだけなのに、本音に気づかず、気づいていたとしても寄り添おうともせず、その姿を『おしとやかで女の子らしい』とほめてしまうようなことです。

ジェンダーバイアスを子どもに宿さないためには、教員も保護者もともにジェンダーリテラシーを高める必要があります。子どものジェンダーバイアスを強化するような大人の働きかけは、子ども自身の生きづらさだけでなく、男尊女卑的な価値観や、異質な他者を差別・抑圧する心性を子どもに宿してしまいます。

我々大人たちは、そういう働きかけを子どもたちにしていないか、常に意識的である必要があります。これは自分の経験則ですが、ジェンダーバイアスは就学前にその大部分が形成され、小学校の低学年で固まってしまうように感じています」

生と性の授業を受けた後は、親の言う“らしさ”に違和感を覚え、親に反論する子どももいるという。星野さんは、「そのときは、怒らずに子どものジェンダー的な意識の高まりをどうか褒めてあげてほしい」と保護者に伝えているのだそう。


学校と保護者が協力し合おう

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――学校教育の現場にいる一人として、変わってきていると感じる点はありますか?

「性は人権と深くつながっています。だから子どもたちを育て、性教育を施す学校は、社会におけるどんな組織よりも、人権の面で先進的でなければなりません。しかしその点で学校現場は、一般企業の何周も遅れていると思います。

そんな中、桐朋小学校は校風がリベラルなので、私の多様性教育を応援してくれる同僚や保護者がたくさんいます。これは本当にありがたいことだなと感じています。

一方で、公立小学校の先生に話を聞くと、包括的性教育の実践をすることが本当に大変だということが伝わってきます。もちろん理解のある管理職もいますが、まだまだ少ないのが現実です。

『うちの学校には、LGBTの子はいないので対応は必要ない』『性の多様性は授業研究のテーマとして不適切だ。こういう授業が研究冊子に残ると外部からいろいろなことを言われるかもしれないから実践は控えてほしい』『保護者から苦情が入ったら自分の責任になるから、こういうリスキーな教育実践は控えてほしい』。

これらは、私の教員仲間たちが、管理職に実際に言われた言葉です。耳を疑うような発言ばかりですが、これでも氷山の一角かと思います。私もかつて公立小学校にいたからわかるのですが、このようなトップダウンの公立学校を内部から大きく変革することは、とても難しい。

そんな中、公立学校でも性の多様性についての取り組みを行っている自治体もあります。岡山県の倉敷市です。倉敷市の教育委員会は、『性の多様性を認め合う児童生徒の育成』をテーマに人権教育を推進しています」

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「学校現場を変えるためにも、私は保護者のみなさんに、『包括的性教育を学校現場でしてほしい』と、学校や教育委員会にどんどん声を届けていただきたいと思っています。

残念ながら学校や教育委員会は、まだまだ男性優位な組織です。そんな組織のあり方を変えるためにも、そして子どもたちに必要な包括的性教育を行うためにも、母親の声はもちろんですが、父親の声のもつ影響力の大きさを上手に利用していただきたい。

これからもどんどん、社会は変わっていくと思いますが、そのたびに子どもと向き合い、親も子どもといっしょに学び、成長していけるといいですよね」

学校や社会を変えるためには、母親だけではなく父親も包括的性教育に関心を持ち、アクションを起こすことが必要と星野さんは言う。

「性について考えることや、自分のジェンダーを見つめることは、自分自身を新たに発見したり、パートナーの理解をより深めることにもつながります。それは、親というラベルのみでは語り得ない、多様な側面を持つ存在であるご自身を発見し続けることでもあります。一言でいえば、人生が豊かになるんですね。

保護者が“らしさ”にとらわれることなく、しなやかさを持ち続けることは、子どもの多様な幸せを理解し、祝福することにもつながると思います」

子どもは決して未熟な存在ではなく、ひとりひとりが“自分らしさ”を生きている。性の本質は“何を教えるか”ではなく、“自分の性をどう生きるか”。これを胸に、子どもと向き合っていきたい。

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家庭ではこう教えたい「性教育」

親も、子どもといっしょに成長していく存在であろう


<取材・撮影・執筆>KIDSNA編集部

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